塩鉄論 / 伐功篇
文學曰:「古之用師、非貪壤土之利、救民之患也。民思之、若旱之望雨、簞食壺漿、以逆王師。故憂人之患者、民一心而歸之、湯、武是也。不愛民之死、力盡而潰叛者、秦王是也。孟子曰:『君不鄉道、不由仁義、而為之強戰、雖克必亡。』此中國所以擾亂、非蒙恬死而諸侯叛秦。昔周室之盛也、越裳氏來獻、百蠻致貢。其後周衰、諸侯力征、蠻、貊分散、各有聚黨、莫能相一、是以燕、趙能得意焉。其後、匈奴稍強、蠶食諸侯、故破走月氏、因兵威、徙小國、引弓之民、幷為一家、一意同力、故難制也。前君為先帝畫匈奴之策:『兵據西域、奪之便勢之地、以候其變。以漢之強、攻於匈奴之眾、若以強弩潰癰疽、越之禽吳、豈足道哉!』上以為然。用君之義、聽君之計、雖越王之任種、蠡不過。以搜粟都尉為御史大夫、持政十有餘年、未見種、蠡之功、而見靡弊之效、匈奴不為加俛、而百姓黎民以敝矣。是君之策不能弱匈奴、而反衰中國也。善為計者、固若此乎?」
新字:文学曰:「古之用師、非貪壤土之利、救民之患也。民思之、若旱之望雨、箪食壺漿、以逆王師。故憂人之患者、民一心而帰之、湯、武是也。不愛民之死、力尽而潰叛者、秦王是也。孟子曰:『君不郷道、不由仁義、而為之強戦、雖克必亡。』此中国所以擾乱、非蒙恬死而諸侯叛秦。昔周室之盛也、越裳氏来献、百蠻致貢。其後周衰、諸侯力征、蠻、貊分散、各有聚党、莫能相一、是以燕、趙能得意焉。其後、匈奴稍強、蠶食諸侯、故破走月氏、因兵威、徙小国、引弓之民、幷為一家、一意同力、故難制也。前君為先帝画匈奴之策:『兵拠西域、奪之便勢之地、以候其変。以漢之強、攻於匈奴之衆、若以強弩潰癰疽、越之禽呉、豈足道哉!』上以為然。用君之義、聴君之計、雖越王之任種、蠡不過。以捜粟都尉為御史大夫、持政十有余年、未見種、蠡之功、而見靡弊之効、匈奴不為加俛、而百姓黎民以敝矣。是君之策不能弱匈奴、而反衰中国也。善為計者、固若此乎?」
書き下し
文學曰く、古の師を用うるは、壤土の利を貪るに非ず、民の患いを救うなり。民之を思うこと、旱の雨を望むが若く、簞食壺漿して、以て王師を逆う。故に人の患いを憂うる者は、民一心にして之に歸す。湯・武是れなり。民の死を愛まず、力盡きて潰叛せらるる者は、秦王是れなり。孟子曰く、「君、道に鄉わず、仁義に由らずして、之が為に強いて戰わば、克つと雖も必ず亡ぶ」と。此れ中國の擾亂せし所以にして、蒙恬死して諸侯秦に叛きしに非ず。昔、周室の盛んなるや、越裳氏來り獻じ、百蠻貢を致す。其の後、周衰えて諸侯力征し、蠻・貊分散して、各々聚黨有り、能く相一なる莫し。是を以て燕・趙意を得ること能えり。其の後、匈奴稍く強く、諸侯を蠶食す。故に月氏を破り走らせ、兵威に因りて小國を徙し、引弓の民、幷せて一家と為り、意を一にし力を同じくす。故に制し難きなり。前に君、先帝の為に匈奴の策を畫きて曰く、「兵を西域に據え、之が便勢の地を奪い、以て其の變を候たん。漢の強きを以て、匈奴の眾を攻むるは、強弩を以て癰疽を潰るが若し。越の吳を禽にせしも、豈に道うに足らんや」と。上以て然りと為す。君の義を用い、君の計を聽くこと、越王の種・蠡に任ずるも過ぎず。搜粟都尉を以て御史大夫と為し、政を持すること十有餘年。未だ種・蠡の功を見ずして、而も靡弊の效を見る。匈奴は為に俛を加えずして、百姓黎民は以て敝れたり。是れ君の策、匈奴を弱むる能わずして、反って中國を衰えしむるなり。善く計を為す者、固より此くの若きか。
現代語訳
文学が言った。「古の軍の用い方は、土地の利をむさぼるためではなく、民の患いを救うためのものでした。民はそれを、旱に雨を望むように待ち焦がれ、器に飯を盛り壺に飲み物を用意して王の軍を迎えたのです。だから人の患いを憂える者には、民が心を一つにして帰服しました。湯王と武王がそれです。民の死を惜しまず、力を使い果たして背かれた者、それが秦王です。孟子は『君主が道に向かわず、仁義によらずに、無理に戦わせるなら、勝ってもかならず滅びる』と言いました。中国が乱れたのはこれが理由であって、蒙恬が死んで諸侯が秦に叛いたからではありません。かつて周室が盛んだったころは、越裳氏が来て献じ、多くの蛮族が貢ぎ物を届けました。その後、周が衰えて諸侯が力で征伐し合うと、蛮貊は散り散りになり、それぞれ徒党を組んで一つにまとまれなかった。だから燕や趙は思いを遂げられたのです。その後、匈奴がしだいに強くなり、諸侯を蚕食しました。月氏を破って追い、武力の威をもって小国を移し、弓を引く民をすべて一家にまとめ、心を一つにし力を合わせた。だから制しがたいのです。かつてあなたは先帝のために匈奴の策を描いて言われた。『兵を西域に据え、有利な土地を奪い、その変化を待ちましょう。漢の強さで匈奴の兵を攻めるのは、強い弩で腫れ物を潰すようなもの。越が呉を捕らえたことなど、語るに足りません』と。主上はもっともだとされた。あなたの主張を用い、あなたの計を聞き入れたさまは、越王が文種や范蠡を用いたのに劣りません。捜粟都尉から御史大夫となり、政を握って十余年。まだ文種・范蠡の功は見えず、疲弊の効ばかりが見えている。匈奴は頭を下げず、民は疲れ果てました。あなたの策は匈奴を弱めることができず、かえって中国を衰えさせたのです。よく計を立てる者とは、もともとこういうものなのでしょうか」
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』兼愛中昔者、文王の西土を治むるや、日の若く月の若く、乍ち四方に光り、西土に于てす。大國を為して小國を侮らず、衆庶を為して鰥寡を侮らず、暴勢を為して穡人の黍稷狗彘を奪わず。天、屑みて文王の慈を臨む。是を以て老いて子無き者は、其の夀を終うるを得る所有り、獨りにして兄弟無き者は、生人の間に雜わる所有り、少くして其の父母を失う者は、放依して長ずる所有り。此れ文王の事なれば、則ち吾れ今、兼を行わん。昔者、武王、將に泰山に事えんとし、隧む。傳に曰く、「泰山よ、道有る曽孫周王、事有り。大事既に獲て、仁人尚く作り、以て商夏蠻夷醜貉を祗む。周親有りと雖も、仁人に若かず。萬方に罪有らば、維れ予れ一人」と。此れ武王の事を言う。吾れ今、兼を行わん。
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論語・子張篇叔孫武叔、仲尼を毀る。子貢曰く、「以て為すこと無かれ。仲尼は毀る可からざるなり。他人の賢者は、丘陵なり、猶お踰ゆ可きなり。仲尼は、日月なり、得て踰ゆること無し。人自ら絶たんと欲すと雖も、其れ何ぞ日月を傷らんや。多だ其の量を知らざるを見るなり。」
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尚書・康誥今惟れ民静かならず、未だ厥の心を戾(さだ)めず、迪くこと屢々なれども未だ同じからず。爽(あき)らかに惟れ天其れ我を罰殛するも、我其れ怨みず。惟れ厥の罪大に在る無く、亦多きに在る無し、矧んや曰く其れ尚ほ顕らかに天に聞こゆるをや。」王曰く、「嗚呼(ああ)、封よ、敬めや。怨みを作すこと無く、非謀非彝を用ひて時の忱を蔽ふこと勿かれ。丕いに則ち徳に敏(つと)め、用て乃の心を康んじ、乃の徳を顧み、乃の猷を遠くし、裕かにして乃ち以て民寧からば、汝を瑕殄(かてん)せず。」王曰く、「嗚呼(ああ)、肆(つと)めよ汝小子封。
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史記 孝武本紀泰一の用ゐる所は、雍の一畤の物の如く、而して醴棗脯の属を加へ、一犛牛を殺して以て俎豆の牢具と為す。而して五帝は独り俎豆醴の進有り。其の下の四方の地は、餟食の為に群神の従者及び北斗を云ふ。已に祠れば、胙の余は皆之を燎く。其の牛の色は白、鹿其の中に居り、彘鹿の中に在り、水にて之を洎(ひた)す。日を祭るに牛を以てし、月を祭るに羊彘特を以てす。泰一の祝宰は則ち紫及び繡を衣る。五帝は各々其の色の如くし、日は赤、月は白。十一月辛已朔旦冬至、昧爽、天子始めて郊して泰一を拝す。朝に日を朝し、夕に月を夕すれば、則ち揖す。而して泰一に見ゆること雍の礼の如くす。其の贊饗に曰く、「天始めて宝鼎神筴を以て皇帝に授く、朔にして又朔、終はりて復た始まる、皇帝敬ひて拝し焉に見ゆ。」と。而して衣は黄を上ぶ。其の祠火を列ねて壇に満たし、壇の旁に烹炊の具あり。有司云ふ「祠上に光有り」と。公卿言ふ「皇帝始めて泰一に雲陽に郊見す、有司瑄玉嘉牲を奉じて薦饗す。是の夜美光有り、昼に及びて、黄気上りて天に属す。」と。太史公・祠官寛舒等曰く、「神霊の休、祐福兆祥なり、宜しく此の地の光域に因りて泰畤の壇を立て以て応を明らかにすべし。太祝をして領せしめ、(祀)[秋]及び臘の間に祠らしめん。三歳に天子一たび郊見せん。」と。其の秋、南越を伐たんが為に、泰一に告禱し、牡荊を以て幡に日月北斗登龍を画き、以て天一三星に象り、泰一の鋒と為し、名づけて「霊旗」と曰ふ。兵の為に禱れば、則ち太史奉じて以て伐つ所の国を指す。而して五利将軍使ひして敢へて海に入らず、泰山に之きて祠る。上人をして微かに随ひて験せしむるに、実に見る所無し。五利妄りに其の師を見たりと言ふ、其の方尽き、多く讎(あた)らず。上乃ち五利を誅す。其の冬、公孫卿神を河南に候ひ、僊人の跡を緱氏城の上に見る、物有り雉の若く、城上を往来す。天子親ら緱氏城に幸して跡を視る。卿に問ふ、「文成・五利に効ふこと毋きを得んや。」と。
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史記 扁鵲倉公列伝潘満如の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに深く小さく弱く、其の卒然として合合するなり。是れ脾気なり。右の脈口の気至ること緊小にして、瘕気を見るなり。次を以て相乗ず。故に三十日にして死す。三陰倶に摶つ者は、法の如し。倶には摶たざる者は、決は急期に在り。一たび摶ち一たび代はる者は、近し。故に其の三陰摶ち、血を溲すること前の如くして止む。陽虚侯の相趙章病み、臣意を召す。衆医皆以て寒中と為す。臣意其の脈を診して曰く、「迵風なり」と。迵風なる者は、飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらず。法に曰く、「五日にして死す」と。而るに後十日にして乃ち死す。病は之を酒に得たり。趙章の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切するに、脈来ること滑なり。是れ内風の気なり。飲食嗌を下りて輒ち出でて留まらざる者は、法として五日にして死す。皆前の分界の法なり。後十日にして乃ち死し、期を過ぐる所以の者は、其の人粥を嗜む。故に中蔵実す。中蔵実す、故に期を過ぐ。師言ひて曰く、「穀に安んずる者は期を過ぎ、穀に安んぜざる者は期に及ばず」と。済北王病み、臣意を召して其の脈を診せしむ。曰く、「風蹶して胸満つ」と。即ち為に薬酒を為る。三石を尽くして、病已ゆ。之を汗出でて地に伏すに得たり。済北王の病を知る所以の者は、臣意其の脈を切する時、風気なり、心脈濁る。病法に「過ぎて其の陽に入り、陽気尽きて陰気入る」と。陰気入りて張れば、則ち寒気上りて熱気下る。故に胸満つ。汗出でて地に伏す者は、其の脈を切するに、気陰なり。陰気なる者は、病必ず中に入り、出づること瀺水に及ぶなり。斉の北宮司空の命婦出於病む。衆医皆以て風中に入り、病は主として肺に在りと為し、其の足の少陽の脈を刺す。臣意其の脈を診して曰く、「病は気疝にして、膀胱に客たり。前後に溲するに難くして、溺赤し。病寒気を見れば則ち遺溺し、人をして腹腫れしむ」と。出於の病は之を溺せんと欲して得ず、因りて以て接内するに得たり。
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『墨子』節葬下是の故に子墨子曰く、郷に吾が本と言えらく、意うに亦た其の言をして、其の謀を用いて、厚葬久喪を計るに、誠に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からんか。則ち仁なり、義なり、孝子の事なり。人の為に謀る者は、勸めざる可からざるなり。意うに亦た其の言に法り、其の謀を用いて、人の若きの厚葬久喪、實に以て貧を富まし、寡を衆くし、危を定め、亂を治む可からざらんか。則ち仁に非ざるなり、義に非ざるなり、孝子の事に非ざるなり。人の為に謀る者は、沮まざる可からざるなり。是の故に以て國家を富まさんことを求むるも、甚だ貧を得たり。以て人民を衆くせんと欲するも、甚だ寡を得たり。以て刑政を治めんと欲するも、甚だ亂を得たり。以て大國の小國を攻むるを禁止せんことを求むるも、既已に不可なり。以て上帝鬼神の福を千めんと欲するも、又た禍を得たり。上、之を堯舜禹湯文武の道に稽うるに、政、之に逆らう。下、之を桀紂幽厲の事に稽うるに、猶お節を合わするがごとし。若し此を以て觀れば、則ち厚葬久喪は、其れ聖王の道に非ざるなり。

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