抱朴子外篇 / 逸民
「昔安帝以玄纁玉帛聘周彥祖。桓帝以玄纁玉帛聘韋休明,順帝以玄纁玉帛聘楊仲宣,就拜侍中,不到。魏文帝征管幼安不至,又就拜光祿勛,竟不到;乃詔所在常八月致羊一口酒二斛。桓帝玄纁玉帛聘憑借孺子,就拜太原太守及東海相,不到。順帝以玄纁玉帛聘樊季高,不到;乃詔所在常以八月致羊一口酒二斛,又賜幾杖,待以師傅之禮。獻帝時,鄭康成州辟舉賢良方正茂才,公府十四辟,皆不就;公車徵左中郎博士趙相侍中大司農,皆不起。昭帝公車徵韓福,到;賜帛五十匹及羊酒。法高卿再舉孝廉,本州五辟,公府八辟,九舉賢良博士,三徵,皆不就。桓帝以玄纁玉帛安車軺輪聘韓伯休,不到。以玄纁玉帛安車軺輪聘妾伯雅,就拜太中大夫犍為太守,不起。然皆見優重,不加威辟也。若此諸帝褒隱逸之士不謬者,則呂尚之誅華士為兇酷過惡,斷可知矣。」仕人乃悵然自失,慨爾永嘆曰:「始悟超俗之理,非庸瑣所見矣。」
新字:「昔安帝以玄纁玉帛聘周彦祖。桓帝以玄纁玉帛聘韋休明,順帝以玄纁玉帛聘楊仲宣,就拝侍中,不到。魏文帝征管幼安不至,又就拝光禄勛,竟不到;乃詔所在常八月致羊一口酒二斛。桓帝玄纁玉帛聘憑借孺子,就拝太原太守及東海相,不到。順帝以玄纁玉帛聘樊季高,不到;乃詔所在常以八月致羊一口酒二斛,又賜幾杖,待以師傅之礼。献帝時,鄭康成州辟舉賢良方正茂才,公府十四辟,皆不就;公車徴左中郎博士趙相侍中大司農,皆不起。昭帝公車徴韓福,到;賜帛五十匹及羊酒。法高卿再舉孝廉,本州五辟,公府八辟,九舉賢良博士,三徴,皆不就。桓帝以玄纁玉帛安車軺輪聘韓伯休,不到。以玄纁玉帛安車軺輪聘妾伯雅,就拝太中大夫犍為太守,不起。然皆見優重,不加威辟也。若此諸帝褒隠逸之士不謬者,則呂尚之誅華士為兇酷過悪,断可知矣。」仕人乃悵然自失,慨爾永嘆曰:「始悟超俗之理,非庸瑣所見矣。」
書き下し
「昔、安帝は玄纁玉帛を以て周彦祖を聘す。桓帝は玄纁玉帛を以て韋休明を聘し、順帝は玄纁玉帛を以て楊仲宣を聘し、就きて侍中を拝するも、到らず。魏の文帝は管幼安を徴すも至らず、又た就きて光禄勲を拝するも、竟に到らず。乃ち詔して所在に常に八月に羊一口酒二斛を致さしむ。桓帝は玄纁玉帛を以て憑借孺子を聘し、就きて太原太守及び東海相を拝するも、到らず。順帝は玄纁玉帛を以て樊季高を聘するも、到らず。乃ち詔して所在に常に八月を以て羊一口酒二斛を致さしめ、又た几杖を賜い、待つに師傅の礼を以てす。献帝の時、鄭康成は州に賢良方正茂才に辟挙せられ、公府十四たび辟するも皆就かず。公車して左中郎博士趙相侍中大司農に徴するも、皆起たず。昭帝は公車して韓福を徴し、到る。帛五十匹及び羊酒を賜う。法高卿は再び孝廉に挙げられ、本州五たび辟し、公府八たび辟し、九たび賢良博士に挙げられ、三たび徴せらるるも、皆就かず。桓帝は玄纁玉帛安車軺輪を以て韓伯休を聘するも、到らず。玄纁玉帛安車軺輪を以て妾伯雅を聘し、就きて太中大夫犍為太守を拝するも、起たず。然れども皆優重せられ、威辟を加えられず。若し此の諸帝の隠逸の士を褒むるが謬らざれば、則ち呂尚の華士を誅せしは凶酷の過悪たること、断じて知る可し」と。仕人乃ち悵然として自失し、慨爾として永嘆して曰く、「始めて超俗の理は、庸瑣の見る所に非ざるを悟れり」と。
現代語訳
『昔、安帝は黒と薄赤の絹と玉帛をもって周彦祖を招いた。桓帝は同じ礼物で韋休明を招き、順帝も同じ礼物で楊仲宣を招き、その場で侍中を授けたが、来なかった。魏の文帝は管幼安を召したが来ず、さらにその場で光禄勲を授けたが、ついに来なかった。そこで詔を下して、所在の役所に毎年八月に羊一頭と酒二斛を届けさせた。桓帝は同じ礼物で憑借孺子を招き、その場で太原太守および東海国の相を授けたが、来なかった。順帝は同じ礼物で樊季高を招いたが、来なかった。そこで詔を下して、所在の役所に毎年八月に羊一頭と酒二斛を届けさせ、さらに机と杖を賜い、師傅の礼で待遇した。献帝の時、鄭康成は州から賢良方正・茂才に推挙され、公府から十四度召されたが、みな就かなかった。公車で左中郎・博士・趙相・侍中・大司農に召したが、みな起たなかった。昭帝は公車で韓福を召し、来たので、絹五十匹と羊酒を賜った。法高卿は孝廉に二度挙げられ、本州から五度召され、公府から八度召され、賢良・博士に九度挙げられ、三度召されたが、みな就かなかった。桓帝は黒と薄赤の絹と玉帛に安車と軺車をそえて韓伯休を招いたが、来なかった。同じ礼で妾伯雅を招き、その場で太中大夫・犍為太守を授けたが、起たなかった。それでも皆、優遇され、威圧して召されることはなかった。もしこれらの諸帝が隠逸の士を褒めたことが誤りでないなら、呂尚が華士を誅したのは酷い悪事だったと、断じて知ることができる』と。仕人はそこで愕然として我を失い、深く嘆息して言った。『初めて、俗を超える道理は凡庸な者の見るところでないと悟りました』と。
解説
この章句が説くこと
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抱朴子外篇・逸民且つ呂尚の未だ文王に遇わざるや、亦た曽て窮賤に隠れ、凡人は之を易んじ、老婦は之を逐い、庸を売れども售れず、屠釣するも獲る無く、曽て一人も之を慕う無し。其の世を避くるや、何ぞ独り狷華の衆を沮むを慮らんや。設し殷紂、尚の逃遁するを以て、収めて之を斂めしめば、尚、死に臨みて、豈に能く自ら罪の応ずる所なりと謂わんや。魏武帝も亦た法を弄すること厳峻にして、殺戮を果とし、乃ち心に孔明を用いんと欲するも、孔明は自ら出身を楽しまずと称す。武帝謝して遣りて曰く、「義として高世の士をして、汚君の朝に辱められしめず」と。其の九有を鞭撻し、皇基を草創するも、亦た妄ならず。
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抱朴子外篇・逸民「漢の高帝は細行に闕くること多く、典藝に渉らずと雖も、然れども其の弘曠恢廓にして、善く恕して多く容れ、近累に係らず、蓋し豁如たり。四皓を饑渇すと雖も、而して逼らず。太子の卑辞して之を致し、以て羽翼と為すに及び、便ち徳を敬い情を矯め、其の大なる者を惜しみ、黄鵠の悲歌を発し、宛妾の覬覦を杜ぐ。其の賢を珍とし隠を貴ぶこと、此くの如く至れり。宜なり其の布衣を以て四海に君たること、其の度量は蓋し人に過ぐる者有り。且つ夫れ呂尚の狷華を殺せしは、衆を沮むを恐るるに在り。然れども俗の患うる所は、進趨に躁ぎて、行業を務めざるに病む。安貧楽賤の者の太だ多きを苦しむに非ず。仮令い隠士は往往にして目を属するも、情は勢利に掛かり、志は止足無き者に至っては、終に此の常欲を割きて、彼の退静を慕う能わず。開辟より已降、人少なきに非ず、而れども富を忘れ貴を遺るるの士は、猶お万分の一に居る能わず。仲尼は親しく業を老子に受けしも、而も其の無為を修むる能わず。子貢は原憲と同門なるも、其の清苦に模する能わず。四凶は巣由と時を同じくし、王莽は二龔と世を共にするも、効う能わず。凡民は復た之を笞督し、之を危辱して、狷華を追わしむと雖も、猶お必ず肯んぜず。乃ち反って其の俗を壊すを憂えんや。呂尚は思い此に及ばず、軍法を以て平世を治め、賢人を枉害す。酷の誤り已に甚だし。其の功の大なるに頼りて、便ち以て顛沛せざるのみ。
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抱朴子外篇・逸民逸民答えて曰く、「夫れ雛鼠に志を鋭くする者は、騶虞の用心を識らず。庭粒に盛んに務むる者は、安んぞ鴛鸞の遠指を知らんや。猶お焦螟の雲鵬を笑い、朝菌の大椿を怪しみ、坎蛙の海鱉を疑い、井蛇の応龍を嗤うがごとし。子は誠に勧沮に喜懼す、焉んぞ玄曠の高韻を識らんや。吾幸いにも堯舜の世に生まれたり、何ぞ此の人の志を得ざるを憂えん」と。仕人曰く、「昔、狂狷の華士は義として上に事えず、海隅に隠れしに、太公之を誅す。吾子の沈遁するは、亦た危うからずや」と。逸民曰く、「呂尚は兵を用うるに長じ、国を為むるに短なり。玄黄に儀りて以て覆載し、海嶽に擬えて以て博納し、賢を褒め徳を貴び、人材を楽育する能わず。而して刑殺に甘んじ、仁義を修めず。故に其の劫殺の禍いは、始封に萌す。周公之を聞き、其の国無きを知れり。夫れ攻守は容を異にし、道は変を知るを貴ぶ。而るに呂尚は烹鮮の術無く、致遠の御を出だし、戦陳の法を推して、高尚の士を害す。甲冑に頼りて以て刃を完うし、又た浮泳を兼ね、走を射るの儀を以て、之を準的に求むる者と謂う可し。
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抱朴子外篇・逸民唐堯は許由・巣父を致す能わざるに非ず、虞舜は善鄭・石戸を脅す能わざるに非ず、夏禹は柏成・子高を逼る能わざるに非ず、成湯は卞随・務光を録す能わざるに非ず、魏文は干木を屈する能わざるに非ず、晋平は亥唐を吏とする能わざるに非ず。然れども服して之を師とし、貴びて之を重んず。豈に六君の小弱ならんや。誠に百行は尚ぶ所を殊にし、黙黙として斉しくし難く、賢を尊ぶの美称を慕い、善を賊うの醜跡を恥ずるを以てなり。之を取るも以て威を増すに足らず、之を放つも未だ官の曠しきを憂えず。其の志に従えば、以て風化を闡弘し、退譲を熙隆し、苟進の貪夫を厲まし、軽薄の冒昧を感ぜしむ可し。器は旦夕の用に益せず、才は立朝の俊に周からずと雖も、亦た肩を脅し眉を低れ、権右に諂媚し、贄を提げ貨を懐き、宵征して塵に同じ、津を争い済るを競い、名品を市買し、徳行学問の本を棄て、雷同比周の末に赴くに愈らずや。彼の六君すら尚お苦言を以て隠士を侵すを肯んぜず、寧ぞ之に鋒刃を加うるを肯んぜんや。聖賢の誠に師とす可き者は、呂尚は居然として謬れり。
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抱朴子外篇・逸民夫れ庶鳥の巣を傾くれば、則ち霊鳳集まらず。魚鱉の池を漉せば、則ち神虬遐く逝く。凡獣の胎を刳けば、則ち麒麟其の郊に止まらず。一介の士を害すれば、則ち英傑其の境を踐まず。呂尚は業を創め統を垂れて以て後人に示すに、苛酷の端を張り、残賊の軌を開く。適に俊民を駆りて以て他国を資け、賢能を逐いて以て讎敵に遺すに足るのみ。彼の馬骨を市いて以て駿足を致し、陋巷に軾して以て秦兵を退けたるに去ること、亦た遠からずや。子は呂尚を周公に何如と謂うや」と。仕人曰く、「審らかにする能わず」と。逸民曰く、「夫れ周公は大聖にして、貴きを以て賤しきに下り、哺を吐き髪を握りて、人を失うを懼る。白屋の士七十人に従い、布衣の徒の親ら贄を執りて師として見ゆる所の者十人、友とする所の者十有二人、皆朝に在るを逼らず。設し呂尚をして周公の地に居らしめば、則ち此等は皆市朝の暴屍と成り、溝澗の腐肉ならん。
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抱朴子外篇・逸民「夫れ山の金玉、水の珠貝は、府庫の中に在らず、朝夕の用に給せずと雖も、然れども皆君の財なり。退士は肉食の列に居らざるも、亦た山水の物の猶し、豈に国有に非ざらんや。許由は四海の外に竄れず、四皓は八荒の表に走らず。故に曰く、万邦の黎献、共に惟れ帝臣なりと。干木は戈を荷いて境を戍らず、塁を疆場に築かざるも、而も蕃魏の功有り。今、隠者は行いを蓬蓽の内に潔くし、以て先王の道を詠じ、民をして退譲を知らしめ、儒墨替えざらしむ。此れ亦た堯舜の許す所なり。昔、夷斉は周の粟を食らわず、鮑焦は橋の上に死せり。彼の硜硜たるは、何ぞ師表とするに足らんや。
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