抱朴子外篇 / 逸民
抱樸子曰:余昔遊乎雲臺之山,而造逸民,遇仕人在焉。仕人之言曰:「明明在上,總禦八紘,華夷同歸,要荒服事;而先生遊柏成之遐武,混群伍於鳥獸。然時移俗異,世務不拘,故木食山棲,外物遺累者,古之清高,今之逋逃也。君子思危於未形,絕禍於方來,無乃去張毅之內熱,就單豹之外害,畏盈抗慮,忘亂群之近憂,避牛跡之淺崄,而墮百仞之不測,違濡足之泥涇,投爐冶而不覺乎?」
新字:抱樸子曰:余昔遊乎雲台之山,而造逸民,遇仕人在焉。仕人之言曰:「明明在上,総禦八紘,華夷同帰,要荒服事;而先生遊柏成之遐武,混群伍於鳥獣。然時移俗異,世務不拘,故木食山棲,外物遺累者,古之清高,今之逋逃也。君子思危於未形,絶禍於方来,無乃去張毅之内熱,就単豹之外害,畏盈抗慮,忘乱群之近憂,避牛跡之浅崄,而堕百仞之不測,違濡足之泥涇,投炉冶而不覚乎?」
書き下し
抱樸子曰く、余、昔、雲台の山に遊び、逸民に造るに、仕人の在る有るに遇う。仕人の言に曰く、「明明として上に在り、八紘を総御し、華夷帰を同じくし、要荒服事す。而るに先生は柏成の遐武に遊び、群伍を鳥獣に混ず。然れども時移り俗異なり、世務は拘らず。故に木食山棲し、外物累を遺る者は、古の清高にして、今の逋逃なり。君子は危うきを未形に思い、禍いを方来に絶つ。無乃ち張毅の内熱を去りて単豹の外害に就き、盈つるを畏れて慮りを抗げ、乱群の近憂を忘れ、牛跡の浅き崄を避けて百仞の不測に墮ち、濡足の泥涇に違いて炉冶に投ずるを覚えざるか」と。
現代語訳
抱樸子は言う。私は昔、雲台山に遊び、逸民のもとを訪ねたところ、そこに仕官している人が居合わせた。その仕人は言った。「明らかな君が上にあって天下を統べ、中華も夷狄も帰服し、辺境の地も従っている。それなのに先生は柏成子高の遠い足跡をたどり、鳥獣の群れの中に仲間入りしておられる。しかし時は移り世の風も変わり、世の務めは一つに縛られない。だから木の実を食らい山に住み、外の物ごとの煩いを捨てる者は、古では清く高い人であったが、いまでは逃亡者にすぎない。君子は危うさを形になる前に思い、災いを来る前に断つ。あなたは張毅のように内の熱で病むのを避けて、単豹のように外の害に遭うことになり、満ちるのを恐れて思いをめぐらし、群れを乱す身近な憂いを忘れ、牛の足跡の浅い溝を避けて百仞の深みに落ち、足を濡らす泥の流れを逃れて溶鉱炉に身を投じるのに気づいていないのではないか」。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』尚賢下子墨子言いて曰く、「天下の王公大人は皆な其の國家の富み、人民の衆く、刑法の治まるを欲す。然れども尚賢を以て政を為して其の國家百姓を治むるを識らず。王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失えるなり。若し茍くも王公大人、本より尚賢の政を為すの本を失わば、則ち物を舉げて之に示す毋くんばある能わざらんや。今、若し一諸侯、此に有りて、國家に政を為すや、曰く、『凡そ我が國の能く射御する士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。射御する能わざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。若の國の士に問う、孰か喜び孰か懼れんと。我れ以て必ず能く射御する士は喜び、射御する能わざる士は懼れんと為す。我れ賞して因りて之を誘わん、曰く、『凡そ我が國の忠信の士は、我れ將に之を賞し貴くせんとす。忠信ならざる士は、我れ將に之を罪し賤しくせんとす』と。」
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『正法眼蔵随聞記』巻四示して云く、善悪と云ふこと定め難し、世間の人は綾羅錦繡をきたるをよしと云ふ、麁布糞掃衣をわるしと云ふ、仏法には此れをよしとし、清しとし、金銀錦綾をわるしとし、けがれたりとす、かくの如く、一切のことにわたりて皆然り、予が如きも、聊か韻声をとゝのへ、文字をかきすぐるゝを、俗人等は尋常ならぬことに云もあり、亦有人は出家学道の身としてかくの如きのこと知れるとそしる人もあり、いづれをか定めて善として取り、悪としてすつへきぞ、
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『韓非子』問辯第四十一夫れ言行は、功用を以て之が的彀と為す者なり。夫れ殺矢を砥礪して以て妄りに発すれば、其の端未だ嘗て秋毫に中らずんばあらず、然れども善く射る者と謂ふべからざるは、常の儀的無ければなり。五寸の的を設け、十歩の遠きに引くも、羿・逢蒙に非ざれば必ずしも中つる能はざるは、常の儀的有ればなり。
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『長短経』息弁此に由りて之を言えば、夫れ身を立て政に従うには、皆本有り。理乱能否には、皆迹有り。若し其の本行を操りて、事迹を以て之を縄さば、譬えば水の寒き、火の熱きが如く、則ち善悪逃るる所無し。
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『学問のすゝめ』七編・国民の職分を論ず・いまだ命の棄てどころを知らざる者かくのごとく世を患いて身を苦しめあるいは命を落とすものを、西洋の語にてマルチルドムという。失うところのものはただ一人の身なれども、その功能は千万人を殺し千万両を費やしたる内乱の師よりもはるかに優れり。古来日本にて討死せし者も多く切腹せし者も多し、いずれも忠臣義士とて評判は高しといえども、その身を棄てたる所以を尋ぬるに、多くは両主政権を争うの師に関係する者か、または主人の敵討ちなどによりて花々しく一命を抛ちたる者のみ。その形は美に似たれどもその実は世に益することなし。己が主人のためと言い己が主人に申し訳なしとて、ただ一命をさえ棄つればよきものと思うは不文不明の世の常なれども、いま文明の大義をもってこれを論ずれば、これらの人はいまだ命の棄てどころを知らざる者と言うべし。
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