抱朴子外篇 / 嘉遁
「夫繩舒則木直,正進則邪雕,有虞舉則四兇戮,宣尼任則少卯梟,猶震雷駭則鼛鼓堙,朝日出則螢燭幽也。不拯招魂之病,則無為效越人之絕伎;不獎多難之世,則無以知非常之遠量。高拱以觀溺,非勿踐之仁也,懷道以迷國,非作者之務也。若俟中唐殖占日之草,朝陽繁鳴鳳之音,郊跱獨角之獸,野攢連理之林,長旌卷而不懸,幹戈戢而莫尋,少伯方將告退於成功,孰能相擢乎陸沈哉?深願先生不遠迷復哉!」
新字:「夫縄舒則木直,正進則邪雕,有虞舉則四兇戮,宣尼任則少卯梟,猶震雷駭則鼛鼓堙,朝日出則蛍燭幽也。不拯招魂之病,則無為効越人之絶伎;不獎多難之世,則無以知非常之遠量。高拱以観溺,非勿践之仁也,懐道以迷国,非作者之務也。若俟中唐殖占日之草,朝陽繁鳴鳳之音,郊跱独角之獣,野攢連理之林,長旌巻而不懸,幹戈戢而莫尋,少伯方将告退於成功,孰能相擢乎陸沈哉?深願先生不遠迷復哉!」
書き下し
「夫れ縄舒ぶれば則ち木直く、正進めば則ち邪雕む。有虞挙ぐれば則ち四凶戮せられ、宣尼任ぜられば則ち少正卯梟せらる。猶お震雷駭けば則ち鼛鼓堙み、朝日出づれば則ち蛍燭幽るるがごとし。招魂の病を拯わざれば、則ち越人の絶技を效うこと無く、多難の世を奨めざれば、則ち非常の遠量を知る無し。高拱して以て溺るるを観るは、践む勿きの仁に非ず。道を懐きて以て国を迷わしむるは、作者の務めに非ず。若し中唐に占日の草を殖え、朝陽に鳴鳳の音を繁くし、郊に独角の獣を跱め、野に連理の林を攢むを俟たば、長旌は巻かれて懸けられず、干戈は戢められて尋ねられず、少伯は方に功成るに告退せんとす。孰か能く相い陸沈を擢んでんや。深く願わくは先生、遠からずして復るを迷わず」と。
現代語訳
「墨縄を張れば木はまっすぐになり、正しい者が進めば邪な者はしぼむ。舜が賢者を挙げれば四凶は罰せられ、孔子が任用されれば少正卯は処刑された。ちょうど、雷が轟けば小さな太鼓の音が消え、朝日が昇れば蛍や燭の光が薄れるようなものである。死にかけた者の魂を呼び戻す病を救わなければ、名医扁鵲の絶技をまねる意味はなく、多難の世を励まさなければ、並外れた大きな器量は知られない。腕を組んで溺れる者を眺めるのは、踏みつけぬという仁ではない。道を懐きながら国を迷わせるのは、作者の務めではない。もし庭に太陽を占う草が生え、朝日に鳳の鳴き声が満ち、郊外に一角の獣が立ち、野に連理の木が並ぶのを待つようなら、長い旗は巻かれたまま掲げられず、武器はおさめられたまま探されず、少伯(范蠡)のように功成って身を引く時になってしまう。誰が世に沈んだ者を引き上げられようか。どうか先生、遠くに迷い出たところで引き返してほしい」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 張耳陳余列伝貫高独り怒り罵りて曰く、「誰か公をして之を為さしめし。今王実に謀無くして、并せて王を捕ふ。公等皆死せば、誰か王の反せざるを白さん」と。乃ち轞車に膠致せられ、王と長安に詣る。張敖の罪を治む。上乃ち趙の群臣賓客に詔すらく、敢て王に従ふ有らば皆族せんと。貫高と客孟舒等十余人と、皆自ら髡鉗し、王の家奴と為りて従ひ来たる。貫高至り、獄に対へて曰く、「独り吾が属之を為す。王実に知らず」と。吏治めて榜笞すること数千、刺剟して、身に撃つべき者無きも、終に復た言はず。呂后数々言ふ、張王は魯元公主の故を以て、宜しく此れ有るべからずと。上怒りて曰く、「張敖をして天下に拠らしめば、豈に而が女を少しとせんや」と。聴かず。廷尉貫高の事の辞を以て聞す。上曰く、「壮士なり。誰か知る者ぞ。私を以て之に問へ」と。中大夫泄公曰く、「臣の邑子にして、素より之を知る。此れ固より趙国の名義を立てて侵されず、然諾を為す者なり」と。上泄公をして節を持して之に箯輿の前に問はしむ。仰ぎ視て曰く、「泄公か」と。泄公労苦すること生平の驩の如く、与に語り、張王果して計謀有りや不やを問ふ。高曰く、「人情寧ぞ各々其の父母妻子を愛せざらんや。今吾が三族皆以て死に論ぜらる。豈に王を以て吾が親に易へんや。顧ふに王実に反せず、独り吾等之を為せり」と。具に本指の為す所以と王の知らざる状とを道ふ。是に於て泄公入り、具に以て報ず。上乃ち趙王を赦す。上貫高の人と為り能く然諾を立つるを賢とし、泄公をして具に之に告げしめて曰く、「張王已に出でたり」と。因りて貫高を赦す。貫高喜びて曰く、「吾が王審らかに出でたるか」と。泄公曰く、「然り」と。泄公曰く、「上足下を多とす。故に足下を赦す」と。貫高曰く、「死せずして一身に余無き所以の者は、張王の反せざるを白さんとすればなり。今王已に出づ。吾が責已に塞がる。死すとも恨みず。且つ人臣として篡殺の名有り、何の面目ありて復た上に事へんや。縦ひ上我を殺さずとも、我心に愧ぢざらんや」と。乃ち仰ぎて骯を絶ち、
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論語・衛霊公篇子曰わく、君子はこれを己に求め、小人はこれを人に求む。
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論語・季氏篇孔子曰く、禄の公室を去ること、五世なり。政の大夫に逮ぶこと、四世なり。故に夫の三桓の子孫、微なり。
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論語・憲問篇子曰く、「我を知ること莫きかな。」子貢曰く、「何為れぞ其れ子を知ること莫からんや。」子曰く、「天を怨みず、人を尤めず、下学して上達す。我を知る者は、其れ天か。」
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論語・里仁篇子曰わく、父母在すれば、遠く遊ばず。遊ぶに必ず方有り。
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史記 李将軍列伝広大将軍に謝せずして起ちて行き、意甚だ慍怒して部に就き、兵を引きて右将軍食其と軍を合はせて東道より出づ。軍に導亡く、或いは道を失ひ、大将軍に後る。大将軍単于と接戦し、単于遁走し、得る能はずして還る。南のかた幕を絶りて、前将軍・右将軍に遇ふ。広已に大将軍に見え、還りて軍に入る。大将軍長史をして糒醪を持ちて広に遺らしめ、因りて広・食其の道を失ひし状を問ふ。青書を上りて天子に軍の曲折を報ぜんと欲す。広未だ対へず。大将軍長史をして急に広を責めて幕府に之きて簿に対へしむ。広曰く、「諸校尉は罪無し。乃ち我自ら道を失へり。吾今自ら簿に上らん」と。莫府に至り、広其の麾下に謂ひて曰く、「広結髪より匈奴と大小七十余戦す。今幸ひに大将軍に従ひて出でて単于の兵に接す。而るに大将軍又広の部を徙して行くこと回遠にし、而して又迷ひて道を失ふ。豈に天に非ずや。且つ広は年六十余なり。終に復た刀筆の吏に対する能はず」と。遂に刀を引きて自剄す。広の軍の士大夫一軍皆哭す。百姓之を聞き、知ると知らざると、老壮と無く皆為に涕を垂る。
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