秘本玉くしげ / 下 華法の武術
武士の兵術軍法を第一に心がくべき事は今さら申すに及ばざれども、今治平の御代久しくつづきたることなれば、法も術も實用をこころみ知れる人は一人もなければ、ただ家家に傳はりたる通りを學びならひて、其上はただ面面の工夫のみなるが、その工夫とても實にこれを試むるにあらざれば、畢竟みな空按也。さればその同じ空按の中にも、ただ道理のあたるあたらざるばかりをば考へずして、とかく實用の所を心がくべき也。さて又時代のうつるにつきては、世中のもやう人の氣質などもうつりかはるものなれば、昔の法のままにては今は宜しからざる事もあるべければ、其時代時代の世中のもやう人の氣分などをよく辨へて、昔の法をもこれに引當て考ふべき也。さて又もろもろの武術も、治平の世には實用することなきゆゑに、おほくは華法といふものにして、見分のよろしきをよきことにして巧拙を定め、實用の巧拙をば思はざる事多し。弓を學ぶにも、ただ的にあたることを詮とし、强弓をひく事をのみよしとす。
新字:武士の兵術軍法を第一に心がくべき事は今さら申すに及ばざれども、今治平の御代久しくつづきたることなれば、法も術も実用をこころみ知れる人は一人もなければ、ただ家家に伝はりたる通りを学びならひて、其上はただ面面の工夫のみなるが、その工夫とても実にこれを試むるにあらざれば、畢竟みな空按也。さればその同じ空按の中にも、ただ道理のあたるあたらざるばかりをば考へずして、とかく実用の所を心がくべき也。さて又時代のうつるにつきては、世中のもやう人の気質などもうつりかはるものなれば、昔の法のままにては今は宜しからざる事もあるべければ、其時代時代の世中のもやう人の気分などをよく弁へて、昔の法をもこれに引当て考ふべき也。さて又もろもろの武術も、治平の世には実用することなきゆゑに、おほくは華法といふものにして、見分のよろしきをよきことにして巧拙を定め、実用の巧拙をば思はざる事多し。弓を学ぶにも、ただ的にあたることを詮とし、強弓をひく事をのみよしとす。
書き下し
武士の兵術軍法を第一に心がくべき事は今さら申すに及ばざれども、今治平の御代久しくつづきたることなれば、法も術も実用をこころみ知れる人は一人もなければ、ただ家々に伝はりたる通りを学びならひて、其上はただ面々の工夫のみなるが、その工夫とても実にこれを試むるにあらざれば、畢竟みな空按也。さればその同じ空按の中にも、ただ道理のあたるあたらざるばかりをば考へずして、とかく実用の所を心がくべき也。さて又時代のうつるにつきては、世中のもやう人の気質などもうつりかはるものなれば、昔の法のままにては今は宜しからざる事もあるべければ、其時代時代の世中のもやう人の気分などをよく弁へて、昔の法をもこれに引当て考ふべき也。さて又もろもろの武術も、治平の世には実用することなきゆゑに、おほくは華法といふものにして、見分のよろしきをよきことにして巧拙を定め、実用の巧拙をば思はざる事多し。弓を学ぶにも、ただ的にあたることを詮とし、強弓をひく事をのみよしとす。
現代語訳
武士が兵術・軍法を第一に心がけるべき事は今さら申すまでもないが、今は泰平の御代が久しく続いたことであるから、法も術も実際の用を試して知っている人は一人もいないので、ただ家々に伝わった通りを学び習って、その上はただ各々の工夫だけであるが、その工夫にしても実際にこれを試すのでなければ、結局みな机上の空論である。だからその同じ空論の中にも、ただ理屈が当たるか当たらないかばかりを考えず、とにかく実用の所を心がけるべきである。さてまた時代が移るにつれては、世の中の様子や人の気質なども移り変わるものであるから、昔の法のままでは今はよろしくない事もあるであろうから、その時代時代の世の中の様子や人の気分などをよくわきまえて、昔の法をもこれに引き当てて考えるべきである。さてまた諸々の武術も、泰平の世には実際に用いることがないために、多くは華法というものであって、見栄えのよいことをよしとして巧拙を定め、実用の巧拙を考えない事が多い。弓を学ぶにも、ただ的に当たることを目当てとし、強弓を引く事ばかりをよしとする。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『秘本玉くしげ』下 織豊の軍に学ぶ此二つはいかにも弓の肝要にはあれども、実用はあながちこれらのみにも限るべからず。其外にも敵をうけたるとき、ふせぐにも攻るにもこれを用ひて利方おほからんやうを考ふべし。又馬を乗とても、ただ馬にばかりいかほどよく乗ても実用には益すくなし。ただ馬上にての働きを心がくべし。馬に乗ほどの人は、今の火消などの如く、ただ下知ばかりをしてすむものと思ひても大に違ふべし。軍書を見て、むかしの馬上の働きをしるべき也。すべて武術を稽古するには、何によらずみな此心がけ肝要たるべき也。武道軍術のためには、とかく軍談の書を常々見るがよき也。それも源平盛衰記、太平記などの類は、おもしろくはあれども、よほど時代ふるきゆゑに、近世とはもやうの違ひたる事多し。ただ足利の代の末つかたの戦のやうをよく考ふべし。殊に織田豊臣の御時代の軍は、古今にすぐれてたぐひなく功者なるもの也。大がい武士は、つねづねかの時代に在て、かの戦の中にまじり居る心持になりて、武道をば心がくべき事也。
-
『秘本玉くしげ』上 筋骨を丈夫に惣体武士はつねづね身をおもおもしく安佚に持ならひては、身体柔弱になりて、肝心のはたらきの時大に苦しむべき事なれば、つねづね是を心がけて、筋骨を丈夫にあらせまほしきこと也。
-
『秘本玉くしげ』上 武士に農作を武士はおほくは町人などにくらぶれば、内内は花美とはいはれぬが如くなれども、それも世につれておのづから何事も花美になれる也。武士奢れば、金銀のほしきままにおのづから非義をも行ひ、又至りて困窮する時は、おのづから肝心の武備をも闕ことあり。よくよく心得べき事也。それに付て思ふに、当時役用のしげくもなき家中衆は、大小上下共に随分多く農作をさせ、家内婦人は女工を出精せられて宜しかるべきにや。其中に軽き人人は、随分なるべきだけは自身鋤鑊をとりて働き、又自身はさすがそれほどにはたらく事も成がたきほどの人人も、随分かけまはりて指図手伝等なして、惣体多くつくりをせらるるやうにあらまほしき也。さやうにするときは、さし当りてまづ内證用脚の助けにもなるべく、又武士の筋骨身体つよくなりて、第一武事の働きのためにも甚宜しかるべき也。
-
五輪書・地の巻漢土(かんど)和朝までも、此の道を行なふ者を兵法の達者と云ひ伝へたり。武士として此の法を学ばずと云ふ事有るべからず。近代、兵法者と云ひて世を渡る者、是れは剣術一通りの事なり。常陸国かしま・かんとりの社人ども、明神の伝へとして流々をたてて国々を回り、人に伝ふる事、近き頃の儀なり。古(いに)しへより十能七芸と有るうちに、利方(りかた)と云ひて芸にわたると云へども、利方と云ひ出すより、剣術一通りにかぎるべからず。剣術一へんの利までにては、剣術も知りがたし。勿論、兵の法には叶ふべからず。世の中を見るに、諸芸を売り物にしたて、我身を売り物のやうに思ひ、諸道具につけても売り物にこしらへる心、花・実の二ツにして、花よりも実のすくなき所なり。とりわき此の兵法の道に色をかざり花をさかせて術をてらひ、或は一道場、或は二道場など云ひて、此の道を教へ、此の道を習ひて利を得んと思ふ事、誰か云ふ、なまひやうはふ大疵(おほきず)のもと、まことなるべし。凡(およ)そ人の世を渡る事、士農工商とて四ツの道なり。(中略)三ツには士の道、武士に於てはさまざまの兵具をこしらへ、兵具しなじなの徳を弁へたらんこそ武士の道なるべけれ。兵具をもたしなまず、其の具々の利をも覚えざる事、武家は少々たしなみのあさきものか。(中略)兵法を大工の道にたとへて云ひあらはすなり。(中略)兵の法を学ばんと思はば、此の書を思案して、師ははり、弟子は糸と成りて、たえず稽古有るべき事なり。
-
五輪書・地の巻夫(そ)れ兵法と云ふ事、武家の法なり。将たる者はとりわき此の法を行ひ、卒たる者も此の道を知るべき事なり。今、世の中に兵法の道慥(たしか)に弁(わきま)へたるといふ武士なし。先(ま)づ道を顕して有るは、仏法として人をたすくる道、又儒道として文(ぶん)の道を糾し、医者といひて諸病を治する道、或は歌道者とて和歌の道ををしへ、或は数寄者(すきしや)・弓法者、其の外諸芸諸能までも、思ひ思ひに稽古し、こころこころにすくものなり。兵法の道にはすく人まれなり。先づ武士は文武二道と云ひて、二ツの道を嗜む事、是れ道なり。縦(たと)ひ此の道ぶきようなりとも、武士たるものはおのれおのれが分際程は、兵の法をばつとむべき事なり。大形(おほかた)武士の思ふ心をはかるに、武士は只死ぬると云ふ道を嗜む事と覚ゆる程の儀なり。死する道に於ては、武士ばかりに限らず、出家にても、女にても、百姓以下に至るまで、義理を知り恥を思ひ、死するべきを思ひきる事は、其の差別なきものなり。武士の兵法をおこなふ道は、何事に於ても大にすぐるる所を本とし、或は一身の切合にかち、或は数人の戦に勝ち、主君の為、我身の為、名をあげ身をたてんと思ふ、是れ兵法の徳をもつてなり。又世の中に兵法の道をならひても、実の時の役にはたつまじきと思ふ心あるべし。其の儀に於ては、何時にても役に立つやうに稽古し、万事に至り役に立つ様に教ゆる事、是れ兵法の実の道なり。
-
『秘本玉くしげ』上 甲乙丙丁の役人さて軍記などをよみて、むかしの大名の身分働きと今の様子とをくらべ見て、今の世の甚おもおもしき事を考へ知べし。主君の然るのみならず、家中までも皆ほどほどに、分際よりも殊の外重重しくなれること、上にも既に申せるがごとし。これらは戦国の時代と治世とは同じ口にはいふべきにあらざれ共、今の世のありさまはあまりに重重しきに過たり。たとへば甲乙丙丁と上下段段の役人有て事をとり行ふに、昔は甲がみづからとりあつかひし事をも今は乙に云付て取扱はせ、先年は乙が勤めたりしわざをも近年は丙につとめさするやうになり、去年までは丙が手づからつとめたる事も、いつしか今年は丁につとめさせ、丙が手をおろさぬやうになりて、惣体下下まで武士の身持次第に重重しく成行に付ては、国中の政事のためにも宜しからぬこと多き也。右のごとく身を重く持につきては、おのづから家内の暮しもよくなりて、身の労はすくなけれ共、物入は多ければ、畢竟は面面のためにも損也。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る