武備和訓 / 卷五・兵書を学び、武芸の的を見失わない
一武士は、十三四歳より必軍旅の藝を習ふべし、孔孟の書のみを熟讀して道を行ふ則は、軍道素より其中にありと云人あれども、尤聖賢のはだへある人は、天理の大道を統て、陰陽とともに進退すれば、何事をか爲ざるべけんや、平人の心は常に天道と齟齬たれば、豫して天理を察するといへども、天道の變化を識事ならず、經書の常理を致るといへども、聖敎の變理に通る事難し、吾國千古より、孔孟の道を學得て、孫吳の道を推て識ほどの人、未有能之なり、しかれば、武家必兵書を學びずんば家業を知とはいふべからず、兵法を知らずしては、其餘の武藝に精妙なりとも、的なくして、射る如くなるべし、前にもいふがごとく、たとへば射人堂を射て、通矢の多きを以天下無雙の名人とすれども、心ある武士是を譽ず、それ弓は軍陣の長器なり、大矢數のごときは戰陣の用樞にあらずして、唯名聞の利のみにかゝわる、射人弓を射る的のみを的とは思ふべからず、武藝は戰陣勝利の的こそ大事なれ、勝利の的のはづるゝをば武藝の達人とは仕がたし、是皆其大本兵法の道不立して、其末を學ぶ故なり、本を不齊して、末治らざる事は、聖人の敎也、兵法の道に精しからずとも、達人にむかひて其大意を尋問ひ、我好む所の藝の得失利害を致め、其藝の藝たる事を精熟すべし、
新字:一武士は、十三四歳より必軍旅の芸を習ふべし、孔孟の書のみを熟読して道を行ふ則は、軍道素より其中にありと云人あれども、尤聖賢のはだへある人は、天理の大道を統て、陰陽とともに進退すれば、何事をか為ざるべけんや、平人の心は常に天道と齟齬たれば、予して天理を察するといへども、天道の変化を識事ならず、経書の常理を致るといへども、聖教の変理に通る事難し、吾国千古より、孔孟の道を学得て、孫呉の道を推て識ほどの人、未有能之なり、しかれば、武家必兵書を学びずんば家業を知とはいふべからず、兵法を知らずしては、其余の武芸に精妙なりとも、的なくして、射る如くなるべし、前にもいふがごとく、たとへば射人堂を射て、通矢の多きを以天下無双の名人とすれども、心ある武士是を誉ず、それ弓は軍陣の長器なり、大矢数のごときは戦陣の用枢にあらずして、唯名聞の利のみにかゝわる、射人弓を射る的のみを的とは思ふべからず、武芸は戦陣勝利の的こそ大事なれ、勝利の的のはづるゝをば武芸の達人とは仕がたし、是皆其大本兵法の道不立して、其末を学ぶ故なり、本を不斉して、末治らざる事は、聖人の教也、兵法の道に精しからずとも、達人にむかひて其大意を尋問ひ、我好む所の芸の得失利害を致め、其芸の芸たる事を精熟すべし、
書き下し
一武士は、十三四歳より必軍旅の藝を習ふべし、孔孟の書のみを熟讀して道を行ふ則は、軍道素より其中にありと云人あれども、尤聖賢のはだへある人は、天理の大道を統て、陰陽とともに進退すれば、何事をか爲ざるべけんや、平人の心は常に天道と齟齬たれば、豫して天理を察するといへども、天道の變化を識事ならず、經書の常理を致るといへども、聖敎の變理に通る事難し、吾國千古より、孔孟の道を學得て、孫吳の道を推て識ほどの人、未有能之なり、しかれば、武家必兵書を學びずんば家業を知とはいふべからず、兵法を知らずしては、其餘の武藝に精妙なりとも、的なくして、射る如くなるべし、前にもいふがごとく、たとへば射人堂を射て、通矢の多きを以天下無雙の名人とすれども、心ある武士是を譽ず、それ弓は軍陣の長器なり、大矢數のごときは戰陣の用樞にあらずして、唯名聞の利のみにかゝわる、射人弓を射る的のみを的とは思ふべからず、武藝は戰陣勝利の的こそ大事なれ、勝利の的のはづるゝをば武藝の達人とは仕がたし、是皆其大本兵法の道不立して、其末を學ぶ故なり、本を不齊して、末治らざる事は、聖人の敎也、兵法の道に精しからずとも、達人にむかひて其大意を尋問ひ、我好む所の藝の得失利害を致め、其藝の藝たる事を精熟すべし、
現代語訳
一つ、武士は十三、四歳から、必ず軍旅の芸を習うべきです。孔子・孟子の書だけを熟読して道を行えば、軍の道ももとよりその中にある、と言う人もいます。なるほど聖賢の素質のある人は、天理の大道を統べ、陰陽とともに進退しますから、何事もできないことはないでしょう。しかし普通の人の心は常に天道と食い違っていますから、前もって天理を察しようとしても、天道の変化を知ることはできません。経書の常の理に達しても、聖教の変の理に通じることは難しいのです。わが国では古来、孔孟の道を学び得て、孫子・呉子の道を推し広めて知るほどの人は、まだいません。ですから、武家が必ず兵書を学ばなければ、家業を知っているとは言えません。兵法を知らなければ、そのほかの武芸に精妙であっても、的もなく射るようなものです。前にも言ったように、たとえば射人が堂を射て、通し矢の多さで天下無双の名人とされますが、心ある武士はこれを誉めません。そもそも弓は軍陣の長器です。大矢数のようなものは戦陣の要ではなく、ただ名聞の利にかかわるだけです。射る人は、弓を射る的だけを的と思ってはなりません。武芸は戦陣で勝利する的こそが大事で、勝利の的を外す者は武芸の達人とは言えません。これはみな、その大本である兵法の道が立たず、その末を学ぶからです。本を整えずに末が治まることはない、というのは聖人の教えです。兵法の道に詳しくなくても、達人に向かってその大意を尋ね、自分の好む芸の得失・利害を考え、その芸を芸として精熟すべきです。
解説

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新語・道基後世淫邪にして、之を増すに鄭・衛の音を以てし、民は本を棄て末に趨き、技巧横出し、用意各々殊なれば、則ち雕文刻鏤を加え、膠漆丹青、玄黄琦瑋の色を傅致し、以て耳目の好みを窮め、工匠の巧みを極む。夫れ驢騾駱駝、犀象瑇瑁、琥珀珊瑚、翠羽珠玉は、山に生じ水に蔵れ、地を択びて居り、潔清明朗、潤沢にして濡い、磨すれども磷がず、涅すれども淄まず、天気の生ずる所、神霊の治むる所、幽閒清浄にして、神と浮沈し、力を効して用を為し、情を尽くして器を為さざる莫し。故に曰く、「聖人之を成す」と。能く物を統べ変に通じ、情性を治め、仁義を顕す所以なり。
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『武訓』上・第1段武に本末あり。忠孝義勇は、兵法の本なり。武德なり。節制謀略は、兵法なり。節制とは、人數をくばり、兵を行る道、是、いはゆる軍法なり。弓矢劔戟等の兵器の術は、兵法の末なり。武藝なり。本末ともにそなはるをよしとす。武藝は、兵法を本とし、兵法は、仁義を本とす。此の三の品あることをしりて、其の序をわかち、其の輕重を知るべし。三の者かぬることを得ずんば、忠孝義理の武德をはげむべし。武藝をしらざる人も、忠孝義理の勇あれば、戰功を立て、武名を得る人多し。武藝に達すとも、忠義なき臆病人ならば、戰功を立て武名をとることかたかるべし。君子は本をつとむ。本立ちて道生るとは、是なり。武藝は、まことに學ぶべくして、すつべからずといへど、必、武德を本として、つとめはげますべし。輕重本末あることをしるべし。又、忠義と剛勇とも、本末あり。程子曰、人必有仁義之心、而後有仁義之氣。仁義の心は、本なり。剛勇は、仁義の氣なり。末なり。仁義の心あれば、勇氣は、おのづから出てくるなり。仁義なくして武勇を好めば、大人は亂をおこし、小人は盜賊となる。
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『都鄙問答』卷之四・醫ノ志ヲ問ノ段答、博学は我も好む所なり、捨つるにあらず。然れども、医学熟して後のことなり。本末を正す時は、医学は本と知るべし。有子曰く、本立ちて道生ずと。本末の違へるは、君子の道にあらず。扠汝は、世俗の聞きなれぬことを云ふを、博学と思はれ候や。それは麁相なる了簡なり。良医は聞きなれぬことを云ふものに非ず。医書に、望聞問切と云ふことあり。先づ病人に望み、容体を見るを望と云ふ。様子を聞きて、病を知るを聞と云ふ。不審を問ひて察するを問と云ふ。脈を診て病を定むるを切と云ふ。然れば病人に望み、其の容体を観て後に、疾のことを言はせて聞き、又委細のことは、看病の者に問ひ、且つ脈を診て、我が意に合へるか合はざるかと得心して、薬を用ゆべきことなり。それに人の聞きなれぬことを云ひ、
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段答ふ、汝のいへる所は、枝葉にかかはり、文字の沙汰にて、本を失へり。君子は本をつとむと云ふ。万事に渉りてかくのごとし。先づ初学の者は、本末知るを先務とすべし。末に至りては、繁多にして分れ難し。天地有りて物を生じ、物生じて後に名あり。名有りて後、文字を加へて名を書す。文字は伏羲の後、倉頡が作ると云ふに非ずや。いまだ名も附けず、文字も無き前より天道あり。天道といへども、人有りて付けたる名なり。我が云ふ所を、名を離れて聞くべし。既に聖人は仁を本となし、老子は大道を以て仁の本となし、道と仁と名は二つなり。文字に依りて、何れが本と論議分るべきや。声も無く臭も無くして、万物の体と成る物を、暫く名づけて、乾とも天とも、道とも理とも、命とも性とも、
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『春秋左氏伝』桓公二年 本大にして末小惠の二十四年、晉始めて亂る。故に桓叔を曲沃に封じ、靖侯の孫欒賓之に傅たり。師服曰く、「吾聞く、國家の立つや、本大にして末小なり、是を以って能く固しと。故に天子は國を建て、諸侯は家を立て、卿は側室を置き、大夫は貳宗有り、士は隸子弟有り、庶人・工・商各々分親有り、皆等衰有り。是を以って民其の上に服事して、下に覬覦無し。今晉は、甸侯なり。而るに國を建つ。本既に弱し。其れ能く久しからんや」と。惠の三十年、晉の潘父昭侯を弒して桓叔を納れんとす、克たず。晉人孝侯を立つ。惠の四十五年、曲沃の莊伯翼を伐ち、孝侯を弒す。翼人其の弟鄂侯を立つ。鄂侯哀侯を生む。哀侯陘庭の田を侵す。陘庭の南鄙曲沃を啟きて翼を伐たしむ。
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新語・術事故に性は人に蔵れば、則ち気は天に達し、纖微浩大、下学上達す。事は類を以て相従い、声は音を以て相応ず。道唱えて徳和し、仁立ちて義興る。王者は之を朝廷に行い、疋夫は之を田に行う。末を治むる者は其の本を調え、其の影を端しくする者は其の形を正す。其の根を養う者は則ち枝葉茂り、志気調う者は即ち道沖たり。故に遠きを求むる者は近きを失う可からず、影を治むる者は其の容を忘る可からず。上明らかにして下清く、君聖にして臣忠なり。或いは遠きを図りて近きを失い、或いは道塞がりて路窮まる。季孫は顓臾の地を貪りて、変は蕭牆の内に起こる。夫れ進取する者は難を顧みざる可からず、事を謀る者は忠を尽くさざる可からず。故に刑立てば則ち徳散じ、佞用いらるれば則ち忠亡ぶ。詩に云う、「式て爾の心を訛し、以て万邦を蓄う」と。一心天下を化して、□□国治まるを言うは、此れを之れ謂うなり。