秘本玉くしげ / 下 そろそろと押へる
されば害ながらも俄に禁じがたき事はつねづねに心をつけて、隨分長ぜぬやうにはからひ、いつとなくそろそろとこれを押へて、おのづからと止む時節をまつより外なし。万の事は日日に增長することも、思ひの外に又いつとなく衰へゆく時節もあるものなれば、かならず事を急にしてしそんずまじき也。又國のため民のために利益ある事を考へ出して、これを行はんとするも同じ事にて、たとひ利益あるすぢも、新規に俄にこれを行はんとすれば、人も歸服しがたく、又却てそこなひも出來ることあるもの也。とかく人は、久しく馴來りたる事は、少少勝手あしき事も其分にて安じ居るもの也。益ある事も、新規なる事は煩はしく思ふならひなれば、有來りたる事は少少はあしくとも、大抵のことはそのままにて有べし。新規の事は、大抵はまづはせぬがよき也。
新字:されば害ながらも俄に禁じがたき事はつねづねに心をつけて、随分長ぜぬやうにはからひ、いつとなくそろそろとこれを押へて、おのづからと止む時節をまつより外なし。万の事は日日に增長することも、思ひの外に又いつとなく衰へゆく時節もあるものなれば、かならず事を急にしてしそんずまじき也。又国のため民のために利益ある事を考へ出して、これを行はんとするも同じ事にて、たとひ利益あるすぢも、新規に俄にこれを行はんとすれば、人も帰服しがたく、又却てそこなひも出来ることあるもの也。とかく人は、久しく馴来りたる事は、少少勝手あしき事も其分にて安じ居るもの也。益ある事も、新規なる事は煩はしく思ふならひなれば、有来りたる事は少少はあしくとも、大抵のことはそのままにて有べし。新規の事は、大抵はまづはせぬがよき也。
書き下し
されば害ながらも俄に禁じがたき事はつねづねに心をつけて、随分長ぜぬやうにはからひ、いつとなくそろそろとこれを押へて、おのづからと止む時節をまつより外なし。万の事は日日に増長することも、思ひの外に又いつとなく衰へゆく時節もあるものなれば、かならず事を急にしてしそんずまじき也。又国のため民のために利益ある事を考へ出して、これを行はんとするも同じ事にて、たとひ利益あるすぢも、新規に俄にこれを行はんとすれば、人も帰服しがたく、又却てそこなひも出来ることあるもの也。とかく人は、久しく馴来りたる事は、少少勝手あしき事も其分にて安じ居るもの也。益ある事も、新規なる事は煩はしく思ふならひなれば、有来りたる事は少少はあしくとも、大抵のことはそのままにて有べし。新規の事は、大抵はまづはせぬがよき也。
現代語訳
だから、害でありながらもにわかには禁じがたい事は、ふだんから気をつけて、できるだけ募らないように計らい、いつとはなく少しずつこれを抑えて、自然と止む時節を待つよりほかはない。あらゆる事は日に日に増長することもあるが、思いのほかにまた、いつとはなく衰えてゆく時節もあるものなので、決して事を急にして仕損じてはならない。また、国のため民のために利益のある事を考え出して、これを行おうとするのも同じことであって、たとえ利益のある筋でも、新規ににわかにこれを行おうとすれば、人も得心しにくく、またかえって損ないもできることがあるものである。とかく人は、長く慣れてきた事は、少々不都合な事でもそのままで安んじているものである。益のある事でも、新規な事は煩わしく思う習いなので、在来の事は少々悪くても、たいていの事はそのままでいるべきである。新規の事は、たいていはまずしないのがよいのである。
解説
この章句が説くこと
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史記 孫子呉起列伝楚の悼王、素より起の賢なるを聞き、至れば則ち楚に相とす。法を明らかにし令を審らかにし、不急の官を捐て、公族の疏遠なる者を廃し、以て戦闘の士を撫養す。要は兵を彊くし、馳説の従横を言ふ者を破るに在り。是に於いて南は百越を平らげ、北は陳・蔡を并せ、三晋を卻け、西は秦を伐つ。諸侯、楚の彊きを患ふ。故に楚の貴戚尽く呉起を害せんと欲す。悼王死するに及び、宗室大臣、乱を作して呉起を攻む。呉起、走りて王の尸に之きて之に伏す。起を撃つの徒、因りて呉起を射刺し、并せて悼王に中つ。悼王既に葬られ、太子立ち、乃ち令尹をして尽く呉起を射て并せて王の尸に中つる者を誅せしむ。起を射るに坐して宗を夷げられて死せし者七十余家。
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『韓非子』孤憤第十一智術の士は明察にして、聴用せらるれば、且に重人の陰情を燭さんとす。能法の士は勁直にして、聽用せらるれば、且に重人の姦行を矯めんとす。
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『韓非子』問田第四十二亂主闇上の患禍を憚らずして、必ず以て民萌の資利を齊えんと思うは、仁智の行なり。...亂主闇上の患禍を憚りて、死亡の害を避け、...は、貪鄙の為なり。
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『韓非子』六反第四十六夫れ痤を弾く者は痛み、薬を飲む者は苦し、苦憊の故の為に痤を弾き薬を飲まざれば、則ち身活きず、病已まず。
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史記 袁盎鼂錯列伝其の弁を以て太子に幸を得、太子の家号して「智嚢」と曰ふ。数(しばしば)孝文の時に上書し、諸侯を削る事、及び法令の更定すべき者を言ふ。書数十たび上るも、孝文聴かず、然れども其の材を奇とし、遷して中大夫と為す。是の時に当たり、太子錯の計策を善しとし、袁盎・諸大功臣多く錯を好まず。景帝即位し、錯を以て内史と為す。錯常に数(しばしば)閒を請ひて事を言ひ、輒ち聴かれ、寵幸九卿を傾け、法令多く更定する所あり。丞相申屠嘉心に便とせず、力未だ以て傷つくる有らず。内史の府は太上廟の壖(ぜん)中に居り、門東に出で、便ならず。錯乃ち両門を穿ちて南に出だし、廟の壖垣を鑿つ。丞相嘉聞き、大いに怒り、此の過ちに因りて奏請して錯を誅せんと欲す。錯之を聞き、即ち夜閒を請ひ、具さに上の為に之を言ふ。丞相事を奏し、因りて錯擅に廟垣を鑿ちて門と為す、廷尉に下して誅せんことを請ふと言ふ。上曰く、「此れ廟垣に非ず、乃ち壖中の垣なり、法に致さず」と。丞相謝す。朝を罷め、怒りて長史に謂ひて曰く、「吾当に先づ斬りて以て聞すべきに、乃ち先づ請ひ、児の売る所と為る、固より誤れり」と。丞相遂に病を発して死す。錯此を以て愈(いよい)よ貴し。遷りて御史大夫と為り、諸侯の罪過を請ひ、其の地を削り、其の枝郡を収めんとす。奏上し、上公卿列侯宗室をして集議せしむ。敢へて難ずる莫く、独り竇嬰之を争ふ。此に由りて錯と卻(げき)有り。錯の更むる所の令三十章、諸侯皆諠譁して鼂錯を疾む。錯の父之を聞き、潁川より来たり、錯に謂ひて曰く、「上初めて即位し、公政を為して事を用ひ、諸侯を侵削し、人の骨肉を別疏す。人口議して多く公を怨む者は、何ぞや」と。鼂錯曰く、「固よりなり。此の如くならずんば、天子尊からず、宗廟安からず」と。錯の父曰く、「劉氏は安けれども、鼂氏は危ふし。吾公を去りて帰らん」と。遂に薬を飲みて死し、曰く、「吾禍の吾が身に及ぶを見るに忍びず」と。
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