秘本玉くしげ / 上 奢りは法で止まらず
然れば、これをよきほどにせんと思ふときは、万事を大にそぎすてて、狂人かと人に笑はるるほどに落さざれば、おのおの身分相應の所へは當りがたし。然れども、さほどまでにはとてもおとしがたきものにて、たとひ自分一人は人にかまはず右の如くにおとしても、家內までにも行とどきがたく、又上よりいかほど嚴しく命令を下しても、これを制せられても、時世の勢は中中防ぎがたく、人力の及びがたきところあるもの也。たとひしばらくは命令に恐れてこれを愼しむやうにても、末とげがたく、又うはべは命令を守るやうにても、內內にては皆これを破る。衣服の制などみな然也。又一國ぎりこれを制しても、天下一同ならざれば、その制立がたき事も多し。又惣体表向へは出ざる家內のこまかなる事の奢の甚しきを、一つ一つ吟味をとげてこれを禁ずべき由なければ、とにかくに此世上一同の華美おごりは、いかやうにしても俄には停めがたく、年年月月に長じゆくばかり也。
新字:然れば、これをよきほどにせんと思ふときは、万事を大にそぎすてて、狂人かと人に笑はるるほどに落さざれば、おのおの身分相応の所へは当りがたし。然れども、さほどまでにはとてもおとしがたきものにて、たとひ自分一人は人にかまはず右の如くにおとしても、家内までにも行とどきがたく、又上よりいかほど厳しく命令を下しても、これを制せられても、時世の勢は中中防ぎがたく、人力の及びがたきところあるもの也。たとひしばらくは命令に恐れてこれを慎しむやうにても、末とげがたく、又うはべは命令を守るやうにても、内内にては皆これを破る。衣服の制などみな然也。又一国ぎりこれを制しても、天下一同ならざれば、その制立がたき事も多し。又惣体表向へは出ざる家内のこまかなる事の奢の甚しきを、一つ一つ吟味をとげてこれを禁ずべき由なければ、とにかくに此世上一同の華美おごりは、いかやうにしても俄には停めがたく、年年月月に長じゆくばかり也。
書き下し
然れば、これをよきほどにせんと思ふときは、万事を大にそぎすてて、狂人かと人に笑はるるほどに落さざれば、おのおの身分相応の所へは当りがたし。然れども、さほどまでにはとてもおとしがたきものにて、たとひ自分一人は人にかまはず右の如くにおとしても、家内までにも行とどきがたく、又上よりいかほど厳しく命令を下しても、これを制せられても、時世の勢は中中防ぎがたく、人力の及びがたきところあるもの也。たとひしばらくは命令に恐れてこれを慎しむやうにても、末とげがたく、又うはべは命令を守るやうにても、内内にては皆これを破る。衣服の制などみな然也。又一国ぎりこれを制しても、天下一同ならざれば、その制立がたき事も多し。又惣体表向へは出ざる家内のこまかなる事の奢の甚しきを、一つ一つ吟味をとげてこれを禁ずべき由なければ、とにかくに此世上一同の華美おごりは、いかやうにしても俄には停めがたく、年年月月に長じゆくばかり也。
現代語訳
それゆえ、これをほどよくしようと思うときは、万事を大いに削ぎ捨てて、狂人かと人に笑われるほどに落とさなければ、それぞれの身分相応のところへは当たりがたい。けれども、それほどまでにはとても落としがたいものであって、たとえ自分一人は人にかまわず右のように落としても、家内にまでは行き届きにくく、また上からどれほど厳しく命令を下しても、これを制しなさっても、時世の勢いはなかなか防ぎがたく、人の力の及びがたいところがあるものである。たとえしばらくは命令を恐れてこれを慎むようであっても、最後まではやり遂げがたく、また表向きは命令を守るようであっても、内々ではみなこれを破る。衣服の制などはみなそうである。また一国限りでこれを制しても、天下一同でなければ、その制が立ちがたいことも多い。また総じて表向きへは出ない家内の細かな事の奢りのはなはだしいのを、一つ一つ吟味し尽くしてこれを禁じるすべもないので、とにかく、この世の中一同の華美・奢りは、どのようにしてもにわかには止めがたく、年ごと月ごとに募ってゆくばかりである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 質素は続かずその中に、たまたま世上奢の長じぬる事に心づきて、物事質素を心がくるものもあれ共、世間並をはづれては、却て変なるやうに云なされ、人にわろく思はるるによりて、せんかたなくおのづから世間にしたがふ事多き故に、これもおごりをまぬかるる事能はず。又時時倹約倹約といひたてて省略する事共もあれ共、或は省略すまじき事をまづ省略し、或は止めてもさのみ為にもならぬ事を止などして、惣体の奢は相替らず。又しばらく倹約を加へても、世間みな然るにあらざれば、世間につれて又いつのほどにかゆるみて、本のごとくになりなどして、すべて質素にかへる事はつゆほどもなくて、年年月月に世上華美にのみなりゆくほどに、貧しき者も世上につれて、おのづから物入多く困窮する者のみ多き也。さて世間のおごりにつきては、商事もおほく、世のにぎはひにもなりて、金銀融通すれば、さのみ困窮はすまじきやうなるものなれ共、左様にはあらず。
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『秘本玉くしげ』上 身分の奢り身分を重重敷するは、奢りとは別の事の様なれ共、是即大なる奢り也。其中に平人の奢りは、其身一分ぎりの事のみにては害の他に及ぶ事はなきを、上たる人の奢りは、其害領内に及ぶ事也。惣体治平の代久しく続く時は、いつとなく世上物事華美に成て、漸漸に人の身持も重重敷なる事なるを、時時に是を押へずして捨置時は、年年月月に長し行て際限なく、次第次第に世上困窮に及びて、竟に如何敷事の起る也。
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『秘本玉くしげ』上 少しづつ質素へ然れ共、ものはかぎり有て、のぼりきはまる時は又おのづから降るとなれば、いつぞは又本へかへる時節も有べきに、されど此世上の奢りなどの、左様に自然と質素の方へかへるといふことは、まづは何ぞ変なる事などのなくてはかへりがたきことなれば、その変の有て自然とかへるを、安閑として待居るべきにもあらず。されば上にたつ人は、随分なるべきだけは工夫をめぐらして、自他奢の長ぜざるやうに、少しづつにても質素の方へかへるやうにはからひ玉ふべき也。すこしづつにても質素の方にかへりて長ずることなければ、起るべき変事もおこらずして、長久に無事なるべし。さてそのはからひはいかにといふに、右に申せる如く、此事は厳しき命令ばかりにてはとても直りがたきことにて、ただ面面自然とたしなむ心になりて、おのづからにするやうにはからふべき事也。
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『秘本玉くしげ』上 倹約と悋嗇又倹約を心がくれば、おのづから悋(嗇)きかたに流れやすきものにて、必ずすべき事をも止てせず、人にとらすべきものをも惜みてとらさず、甚しき者は人のものをさへ奪はまほしく思ふやうの心にもなりやすし。然に此所をよく心得て、倹約にしてしかも悋嗇に流れぬやうにはありにくきもの也。殊に上にたつ人など、此わきまへなくして悋嗇なるときは、下の潤ひかはきて甚よろしからず。されば倹約も実には宜しき事にあらず。とかく上中下、各身分相応にくらすがよき也。然りといへども、その相応といふはいかほどが相応なるや、手本のなきものなれば、よきほどは知がたき事なるに、惣じて華美なるかたにはうつりやすく、すこしも質素なる方へはうつりにくきものなれば、治平の久しくつづける世は、一同に段段華美の長ずるならひにして、上にも申せる如く、今の世ほど下が下まで華美なることは古今の間になき事なれば、今の世にこれぞ分限相応のよきほどならんと思ふ事は、皆大に分限には過てある也。
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『秘本玉くしげ』上 町人の奢り今の世、町人の奢は殊に甚しき事也。すべて飲食衣服よりはじめ、諸道具住居等、みな高貴の人のうへとさのみ異ならず。中にもすぐれて富る者などは、内内こまかなることのおごりは、大名にもおさおさおとらず、何事も善美をつくしてゆたかにくらす事也。さて町人は、殊に定まれる階級のなきものにて、先はひら一まいなるがゆゑに、身上の大小は雲泥ちがひても、とかく富たる者のうへを見ならひうらやみて、さしもなきものもそのまねをして、分不相応にゆたかにくらさんとするから、内證は困窮する者甚多き也。或はその困窮を隠さんとするから、いよいよ困窮つのり、或は身上を持直さんために急に大利を得んと欲して、あらぬ事にかかり、家をほろぼす者も多し。さてかやうに惣体殊の外におごり長じたれ共、これ天下一同の事なるゆゑに、地になりて奢といふやうにも見えず、面面みづからもおごり也といふ事を覚えず、本よりかやうにあるべきもののやうに思ひ居る也。
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『秘本玉くしげ』上 倹約の的外れ然るを、世に倹約といへば、先第一に飮食衣服音信抔をおとす事なれ共、是は下下の身上にてこそ大なる違ひも有事なれ、大名の御身上にては、是らの倹約ばかりにては、さのみ御勝手の直る程の事は出来がたかるべし。是らの外に、急度それとは心の付ざる事共に、広大の費ある事多し。
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