秘本玉くしげ / 上 分限相応
町人はこれによりて多くの利を得る、それだけ武家に損ある事は目に見えたれども、困窮の節など、さしあたりて便宜なるによりて、損をば知ながら皆申付る事也。然れども、これはみな富者のうけたまはりてする事なれば、ますます富を重ねさせて、武家には損あることなれば、なるべきだけは無用にせまほしき事也。人は何事も、その身の分際相應にするがよき也。分限に過て奢るがわろき事は申すに及ばず、又あまり降して輕くするも正道にはあらず。大名は大名相應に御身を持玉ふよし。質素がよきとて、下下の武士の如く御身を持玉ふべきにもあらず。次に其下にたつ武士も、又その相應相應がよし。百姓町人も、又その身上相應に身を持が宜しき也。すべて事を輕くするがよろしとても、又あまり身持かろがろしければ、それに應じておのづから心も万の行ひも、いやしく輕輕しくなりて、上にたつ人などは殊によからぬ事多きもの也。
新字:町人はこれによりて多くの利を得る、それだけ武家に損ある事は目に見えたれども、困窮の節など、さしあたりて便宜なるによりて、損をば知ながら皆申付る事也。然れども、これはみな富者のうけたまはりてする事なれば、ますます富を重ねさせて、武家には損あることなれば、なるべきだけは無用にせまほしき事也。人は何事も、その身の分際相応にするがよき也。分限に過て奢るがわろき事は申すに及ばず、又あまり降して軽くするも正道にはあらず。大名は大名相応に御身を持玉ふよし。質素がよきとて、下下の武士の如く御身を持玉ふべきにもあらず。次に其下にたつ武士も、又その相応相応がよし。百姓町人も、又その身上相応に身を持が宜しき也。すべて事を軽くするがよろしとても、又あまり身持かろがろしければ、それに応じておのづから心も万の行ひも、いやしく軽軽しくなりて、上にたつ人などは殊によからぬ事多きもの也。
書き下し
町人はこれによりて多くの利を得る、それだけ武家に損ある事は目に見えたれども、困窮の節など、さしあたりて便宜なるによりて、損をば知ながら皆申付る事也。然れども、これはみな富者のうけたまはりてする事なれば、ますます富を重ねさせて、武家には損あることなれば、なるべきだけは無用にせまほしき事也。人は何事も、その身の分際相応にするがよき也。分限に過て奢るがわろき事は申すに及ばず、又あまり降して軽くするも正道にはあらず。大名は大名相応に御身を持玉ふよし。質素がよきとて、下下の武士の如く御身を持玉ふべきにもあらず。次に其下にたつ武士も、又その相応相応がよし。百姓町人も、又その身上相応に身を持が宜しき也。すべて事を軽くするがよろしとても、又あまり身持かろがろしければ、それに応じておのづから心も万の行ひも、いやしく軽軽しくなりて、上にたつ人などは殊によからぬ事多きもの也。
現代語訳
町人はこれ(仕送り)によって多くの利を得る、そのぶん武家に損があることは目に見えているけれども、困窮の時など、さしあたって便宜であるので、損を知りながらみな申し付けるのである。しかしながら、これはみな富者が引き受けてすることなので、ますます富を重ねさせて、武家には損があることだから、なるべくなら無用にしてほしいことである。人は何事も、その身の分際相応にするのがよいのである。分限を過ぎて奢るのが悪いことは言うまでもなく、また、あまり下げて軽くするのも正道ではない。大名は大名相応に御身をお持ちになるのがよい。質素がよいからといって、下々の武士のように御身をお持ちになるべきでもない。次に、その下に立つ武士も、またその相応相応がよい。百姓・町人も、またその身代相応に身を持つのがよいのである。およそ事を軽くするのがよいといっても、またあまりに身の持ち方が軽々しければ、それに応じて自然と心もあらゆる行いも卑しく軽々しくなって、上に立つ人などはとりわけよくないことが多いものである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『酔古堂剣掃』集倩・詩に方言を用ふ詩に方言を用ふるは、豈に是れ采風の子ならんや。 談ずること徘語に鄰すれば、恐らくは拂麈の羞を貽さん。
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説苑・奉使晏子楚に使いす。晏子短し。楚人大門の側に小門を爲りて晏子を延く。晏子入らずして曰く、「狗國に使いする者は狗門より入る。今臣楚に使いす、當に此の門より入るべからず。」儐者更めて大門より入りて楚王に見えしむ。王曰く、「齊人無きか。」晏子對えて曰く、「齊の臨淄三百閭、袂を張れば帷を成し、汗を揮えば雨を成す。肩を比べ踵を繼ぎて在り、何為れぞ人無からんや。」王曰く、「然らば則ち何為れぞ子を使わす。」晏子對えて曰く、「齊使いを命ずるに各々主とする所有り。其の賢者は賢主に使いし、不肖なる者は不肖なる主に使いす。嬰最も不肖なり、故に宜しく楚に使いすべきのみ。」
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