秘本玉くしげ / 上 厳しくすれば
まづ下は、高が百姓町人の事にて、その願ふ所を聞とどけだにすれば宜しく、又たとひ眞坂に及びても、武具などもそろはず、戰の法などもしらぬ者なれば、畢竟は恐るるにはたらぬ事のやうなれども、もし上より用捨なくきびしくこれをふせがば、下よりもまたいよいよ用捨なく、身命をすててかかる事もあらん。其時、たとひ武士一人は百姓町人の三人五人づつに當るほどの働きありとも、つひに多勢に及びがたからん事もはかりがたく、又たとひいかやうの計略をめぐらして十分勝をとる共、敵とするところみな自分の民なれば、一人にてもそこなふときは、畢竟は自分の損也。又、手にあまれるとき、近國などより加勢ありて人數を出されては、たとひ早速靜まりても、いよいよ耻辱の至り也。但しさしあたりては、手ごはきときはやむ事を得ず、少少人を損じてなりとも、まづ早く靜むるやうにはからはん事、もとより然るべき事也。又、後來を恐れしめんためにも、一旦は武威を以てきびしく押へ靜むるも權道也。然れども、始終は武威ばかりにては押へがたし。此方よりきびしくあしらふは、以後又かの方よりも、いよいよきびしくかかれと教ふるやうの道理なれば也。然れば此事は、とにかくにその因て起る本をつつしむ事肝要たるべし。
新字:まづ下は、高が百姓町人の事にて、その願ふ所を聞とどけだにすれば宜しく、又たとひ真坂に及びても、武具などもそろはず、戦の法などもしらぬ者なれば、畢竟は恐るるにはたらぬ事のやうなれども、もし上より用捨なくきびしくこれをふせがば、下よりもまたいよいよ用捨なく、身命をすててかかる事もあらん。其時、たとひ武士一人は百姓町人の三人五人づつに当るほどの働きありとも、つひに多勢に及びがたからん事もはかりがたく、又たとひいかやうの計略をめぐらして十分勝をとる共、敵とするところみな自分の民なれば、一人にてもそこなふときは、畢竟は自分の損也。又、手にあまれるとき、近国などより加勢ありて人数を出されては、たとひ早速静まりても、いよいよ耻辱の至り也。但しさしあたりては、手ごはきときはやむ事を得ず、少少人を損じてなりとも、まづ早く静むるやうにはからはん事、もとより然るべき事也。又、後来を恐れしめんためにも、一旦は武威を以てきびしく押へ静むるも権道也。然れども、始終は武威ばかりにては押へがたし。此方よりきびしくあしらふは、以後又かの方よりも、いよいよきびしくかかれと教ふるやうの道理なれば也。然れば此事は、とにかくにその因て起る本をつつしむ事肝要たるべし。
書き下し
まづ下は、高が百姓町人の事にて、その願ふ所を聞とどけだにすれば宜しく、又たとひ真坂に及びても、武具などもそろはず、戦の法などもしらぬ者なれば、畢竟は恐るるにはたらぬ事のやうなれども、もし上より用捨なくきびしくこれをふせがば、下よりもまたいよいよ用捨なく、身命をすててかかる事もあらん。其時、たとひ武士一人は百姓町人の三人五人づつに当るほどの働きありとも、つひに多勢に及びがたからん事もはかりがたく、又たとひいかやうの計略をめぐらして十分勝をとる共、敵とするところみな自分の民なれば、一人にてもそこなふときは、畢竟は自分の損也。又、手にあまれるとき、近国などより加勢ありて人数を出されては、たとひ早速静まりても、いよいよ耻辱の至り也。但しさしあたりては、手ごはきときはやむ事を得ず、少少人を損じてなりとも、まづ早く静むるやうにはからはん事、もとより然るべき事也。又、後来を恐れしめんためにも、一旦は武威を以てきびしく押へ静むるも権道也。然れども、始終は武威ばかりにては押へがたし。此方よりきびしくあしらふは、以後又かの方よりも、いよいよきびしくかかれと教ふるやうの道理なれば也。然れば此事は、とにかくにその因て起る本をつつしむ事肝要たるべし。
現代語訳
まず下は、たかが百姓町人のことで、その願うところを聞き届けさえすればよい。またたとえ実際の合戦に及んでも、武具もそろわず戦のやり方も知らない者だから、結局は恐れるに足りないことのようだが、もし上から容赦なく厳しくこれを防げば、下からもまたいよいよ容赦なく、命を捨ててかかることもあろう。そのとき、たとえ武士一人が百姓町人の三人五人ずつに相当する働きがあっても、ついに多勢には及びがたいことも計りがたい。またたとえどのような計略をめぐらして十分に勝ったとしても、敵とするところはみな自分の民なのだから、一人でも損なうときは、結局は自分の損である。また、手に余ったとき、近国などから加勢があって人数を出されては、たとえすぐに静まっても、いよいよ恥辱の至りである。ただし、さしあたって手ごわいときはやむを得ず、少々人を損じてでも、まず早く静めるように計らうことは、もとより当然である。また、後々を恐れさせるためにも、いったんは武威によって厳しく押さえ静めるのも一つの方便である。しかし、最後まで武威だけでは押さえきれない。こちらから厳しく扱うのは、以後また向こうからも、いよいよ厳しくかかれと教えるような道理だからである。であるから、この事はとにかく、その起こるもとを慎むことが肝要である。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 一揆は上の非抑、此事の起るを考るに、後にいづれも下の非はなくして、皆上の非なるより起れり。今の世、百姓町人の心もあしくなりたりとはいへども、よくよく堪がたきにいたらざれば、此事はおこるものにあらず。たとひ起さんと思ふ者ありとても、村村一致することはかたく、又悪党者ありてこれをすすめありきても、かやうの事を一同にひそかに申合す事はもれやすきものなれば、中中大抵の事にては一致はしがたかるべし。然るに近年、此事の所所に多きは、他国の例を聞ていよいよ百姓の心も動き、又役人の取はからひもいよいよ非なること多く、困窮も甚しきが故に、一致しやすきなるべし。然れ共また、近来世上に此事多きに付ては、何れの国も上にもつねづねその心がけおこたらず、起しがたきやうのかねての防ぎもあることなれば、下はいよいよ一致しがたく、起しがたき道理也。上のかねての防ぎは、隠すべき事にあらざればいかやうにも議しやすく、表向にてとりはからふ事なれば行ひやすく、またたとひ下へ隠してはからふ事も、上はもとより一致なればいかやうにもなる事なるに、下のかやうの事を起さんとするは、上へ隠して至て密密に談合すべき事にて、殊に世間ひろければ、かならず中途にて漏れ顕はるべき道理なるに、近年たやすく一致し固まりて、此事の起りやすきは、畢竟これ人為にはあらず。上たる人、深く遠慮をめぐらさるべきなり。然りとて、いかほど起らぬやうのかねての防ぎ工夫をなす共、末を防ぐばかりにては止がたかるべし。とかく、その因て起る本を直さずばあるべからず。その本を直すといふは、非理のはからひをやめて民をいたはる是也。
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『秘本玉くしげ』上 役人も重く罰すさればたとひいささかの事にもせよ、此すぢあらば、その起るところの本を委細によくよく吟味して是非をただし、下の非あらば、その張本のともがらをおもく刑し玉ふべきは勿論の事、又上に非あらば、その非を行へる役人を重く罰し玉ふべき也。
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『秘本玉くしげ』上 恥辱と思わぬ上たとひいかほど困窮はしても、上のはからひだによろしければ、此事は起るものにあらず。然るに近年は、ここにもかしこにも多きによりて、めづらしからぬ事になりて、まづ一旦静まればよき事にして、さのみ跡の吟味もくはしからず、張本人を一両人とらへて定まりのとほり刑に行へば、そのむきにて、跡の上の取計らひをたしなみ改むる事もせず、世間に例多ければ、さのみ恥辱とも思はれぬやうの所もありとぞ。
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『秘本玉くしげ』上 年貢を増すな又百姓も、年代久しくなれ来りたる年貢の事なれば、今の定まりほどは必上るべきはづのものと心得居て、是を過分に多しとは思はぬことなれば、ふびんながらも年貢は定まりのとほりなるべき事なれ共、せめては右の子細を思召て、今の世の百姓は必身を労する事も古よりは甚しく、年貢に大に苦しむものぞといふ事を朝夕わすれ玉はず、不便に思召て、有来りたる定まりの年貢の上をいささかもまさぬやうに、すこしにても百姓の辛苦のやすまるべきやうにと心がけ玉ふべき事、御大名の肝要なるべく、下下の役人たちまでも此心がけを第一として、忠義を思はば随分百姓をいたはるべき旨を、常常仰付らるべき御事にこそ。
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『秘本玉くしげ』下 上下は遠ししかれ共、上と下とは甚遠ければ、その吟味もとかくに行とどきかぬる事なれば、
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『秘本玉くしげ』上 上の恵みさて今の世には、百姓の方にも年貢のすぢに正直ならざることをかまへて、これを免れんとする者もあることなれ共、それも畢竟は、上よりのいたはりなく、あしらひの悪さに、下よりも左様のかまへをばする也。上の御めぐみだに行とどけば、下は速に感じ奉るものぞかし。
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