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秘本玉くしげ / 上 戦国のままの年貢

大がた此戰國の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其餘は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豐臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戰國の時のままにて、舊にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に歸して軍事は止むといへども、かの戰國の時のもやう年代を經て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戰國のころのままなれば至て多きと也。

新字:大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣関白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。

書き下し

大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。

現代語訳

おおよそこの戦国の時の様子は、田畑の物成(収穫)のうち、わずかに農民が命をつないで飢えに及ばないほどを百姓の手に残して、その余りはみな年貢に取るくらいのことであったのは、ひどいことではないか。さて豊臣関白(秀吉)の御世に天下が一統に治まって、何事も法制が定まって乱れたことは止めたけれども、年貢の分量はおおかたもとの戦国の時のままで、元に返って減らしたこともなかった。次に東照神御祖命(徳川家康)の御時も同じことである。この時、世の中は治平に帰して軍事は止んだといっても、あの戦国の時の様子が年代を経て長くその習いになってしまったことであるので、にわかに天下の武士を減らされるべきようもないので、たとえどれほど御志はおありになっても、年貢もにわかにお減らしになることはできない自然の勢いであるので、そのままで今に至ったのである。だから今の世の年貢は、あの戦国のころのままであるので、いたって多いということである。

解説

前段の続きで、戦国の年貢の実態と、それが今に持ち越された理由を述べる。戦国の年貢は、百姓が飢え死にしない程度だけを残して残りを取るというひどいものだった。豊臣秀吉が天下を統一して法制を整えても、年貢の量は戦国のままで減らされなかった。徳川家康の時も同じで、泰平になっても長年の習いとなった武士の数を急には減らせず、年貢も減らせない自然の勢いがあった、と宣長は家康を責めずに事情として述べる。戦時の非常の水準が、平時の標準としてそのまま固定されたのである。非常時に始めた負担や施策が、平時に戻っても外されないまま続いていないだろうか。

この章句が説くこと

年貢戦国豊臣家康物成

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