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秘本玉くしげ / 上 百姓あはれ

さて、年貢廿分の一ほどにて濟し古への代とても、百姓富る者ばかりにはあらず、貧しき者も有しかども、其時代は年貢いささかなりし故に、一反か二反の田地を作れば、今の世に一町の餘も作るほどの米を得たる故に、貧しき者も貧しきなりに、身を勞し心を勞する事は甚少なかりしに、今の世は年貢多き故に、古へに一反反の田を作りて取しほどの米は、一町も二町も作らざれば我物になりがたきによりて、それだけに身を勞し心をも勞する事甚しきがうへに、あまつさへ正味の米は多くは上へ上げて、自分はただ米ならぬ麁末の物をのみ食して過す也。これを思へば、今の世の百姓といふものは、いともいともあはれにふびんなるもの也。

新字:さて、年貢廿分の一ほどにて済し古への代とても、百姓富る者ばかりにはあらず、貧しき者も有しかども、其時代は年貢いささかなりし故に、一反か二反の田地を作れば、今の世に一町の余も作るほどの米を得たる故に、貧しき者も貧しきなりに、身を労し心を労する事は甚少なかりしに、今の世は年貢多き故に、古へに一反反の田を作りて取しほどの米は、一町も二町も作らざれば我物になりがたきによりて、それだけに身を労し心をも労する事甚しきがうへに、あまつさへ正味の米は多くは上へ上げて、自分はただ米ならぬ麁末の物をのみ食して過す也。これを思へば、今の世の百姓といふものは、いともいともあはれにふびんなるもの也。

書き下し

さて、年貢廿分の一ほどにて済し古への代とても、百姓富る者ばかりにはあらず、貧しき者も有しかども、其時代は年貢いささかなりし故に、一反か二反の田地を作れば、今の世に一町の余も作るほどの米を得たる故に、貧しき者も貧しきなりに、身を労し心を労する事は甚少なかりしに、今の世は年貢多き故に、古へに一反反の田を作りて取しほどの米は、一町も二町も作らざれば我物になりがたきによりて、それだけに身を労し心をも労する事甚しきがうへに、あまつさへ正味の米は多くは上へ上げて、自分はただ米ならぬ麁末の物をのみ食して過す也。これを思へば、今の世の百姓といふものは、いともいともあはれにふびんなるもの也。

現代語訳

さて、年貢が二十分の一ほどですんでいた古の時代でも、百姓は富める者ばかりではなく貧しい者もいた。けれどもその時代は年貢がわずかだったから、一反か二反の田を作れば、今の世で一町あまりも作るほどの米を得られた。だから貧しい者も貧しいなりに、身を労し心を労することは甚だ少なかった。それが今の世は年貢が多いので、古に一反の田を作って得たほどの米は、一町も二町も作らなければ自分のものにならない。それだけ身を労し心を労することが甚だしいうえに、そのうえ正味の米は多くを上へ納めて、自分はただ米でない粗末な物ばかりを食べて過ごすのである。これを思えば、今の世の百姓というものは、まことにまことに哀れで不憫なものである。

解説

前段の数字が、ここで人の暮らしに翻訳される。同じ米を手に入れるのに、昔は一反でよかったものが、今は一町から二町を作らなければならない。十倍の労力で、同じ手取りである。しかも「正味の米は多くは上へ上げて、自分はただ米ならぬ麁末の物をのみ食して過す」——作った米は納め、自分は米以外の粗末なものを食べる。宣長は紀州藩主に献じる書の中で、この結論を書いた。「今の世の百姓といふものは、いともいともあはれにふびんなるもの也」。感情の言葉である。制度の議論を積み上げた末に、感情で締めくくる。この順序が重要で、憐れみが先にあるのではなく、数字を追った結果として出てきている。

この章句が説くこと

十倍の労力正味の米は上へあはれにふびん負担の実感

この一句を、あなたの毎日に。

古典の教えを、今の状況に当てはめて考えてみる——師導があなたの学びと選択を支えます。

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