秘本玉くしげ / 上 守護地頭と年貢
さて中古より次第に令の制くづれて、年貢なども全くそのかみの定めの如くにはあらざりしかとも見ゆれども、さのみ過分にかはれる事はなかりしに、源平の亂の後、鎌倉より諸國にことごとく守護地頭といふものをおかるる世になりては、領主と地頭と兩方へ年貢を上る事になりて、此時より年貢よほど多くなれる也。領主といふは、もとより其地を領し居たる京家の人人也。守護地頭は武家也。さて次第に守護地頭の威勢つよくなりて、足利の世の中頃より後になりては、領主へ上べき年貢をも一向に皆地頭へ押し取り、大將軍の號令も行はれぬやうになりては、天下の大名小名面面心まかせに領地を治め、隣國を攻取をつとめとするほどに、面面武威を盛んにし兵力を强くせんために、段段人數を多く扶持するから、年貢をも過分に多く取らではたらぬやうになりて、年年にましとることになりし也。
新字:さて中古より次第に令の制くづれて、年貢なども全くそのかみの定めの如くにはあらざりしかとも見ゆれども、さのみ過分にかはれる事はなかりしに、源平の乱の後、鎌倉より諸国にことごとく守護地頭といふものをおかるる世になりては、領主と地頭と両方へ年貢を上る事になりて、此時より年貢よほど多くなれる也。領主といふは、もとより其地を領し居たる京家の人人也。守護地頭は武家也。さて次第に守護地頭の威勢つよくなりて、足利の世の中頃より後になりては、領主へ上べき年貢をも一向に皆地頭へ押し取り、大将軍の号令も行はれぬやうになりては、天下の大名小名面面心まかせに領地を治め、隣国を攻取をつとめとするほどに、面面武威を盛んにし兵力を強くせんために、段段人数を多く扶持するから、年貢をも過分に多く取らではたらぬやうになりて、年年にましとることになりし也。
書き下し
さて中古より次第に令の制くづれて、年貢なども全くそのかみの定めの如くにはあらざりしかとも見ゆれども、さのみ過分にかはれる事はなかりしに、源平の乱の後、鎌倉より諸国にことごとく守護地頭といふものをおかるる世になりては、領主と地頭と両方へ年貢を上る事になりて、此時より年貢よほど多くなれる也。領主といふは、もとより其地を領し居たる京家の人人也。守護地頭は武家也。さて次第に守護地頭の威勢つよくなりて、足利の世の中頃より後になりては、領主へ上べき年貢をも一向に皆地頭へ押し取り、大将軍の号令も行はれぬやうになりては、天下の大名小名面面心まかせに領地を治め、隣国を攻取をつとめとするほどに、面面武威を盛んにし兵力を強くせんために、段段人数を多く扶持するから、年貢をも過分に多く取らではたらぬやうになりて、年年にましとることになりし也。
現代語訳
さて中古から次第に令の制度が崩れて、年貢なども、まったくその昔の定めのとおりではなかったかとも見えるが、それほど過分に変わったことはなかったのに、源平の乱の後、鎌倉から諸国にことごとく守護・地頭というものを置かれる世になってからは、領主と地頭と両方へ年貢を上納することになって、この時から年貢がよほど多くなったのである。領主というのは、もとからその地を領していた京の公家の人々である。守護・地頭は武家である。さて次第に守護・地頭の威勢が強くなって、足利の世の中ごろより後になると、領主へ上納すべき年貢をもすっかりみな地頭が押し取り、大将軍の号令も行われないようになってからは、天下の大名・小名がめいめい思いのままに領地を治め、隣国を攻め取ることを務めとするので、めいめい武威を盛んにし兵力を強くするために、段々と人数を多く扶持するから、年貢をも過分に多く取らなくては足りないようになって、年々増して取ることになったのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 戦国のままの年貢大がた此戦国の時のもやうは、田畑の物成の内わづかに農民の命をつづけて飢に及ばぬほどを百姓の手にのこして、其余は皆年貢に取れるくらゐの事なりしは、甚しき事ならずや。さて豊臣關白の御世に天下一統に治まりて、何事も法制定まりてみだりなる事は止めぬれ共、年貢の分量は大抵もとの戦国の時のままにて、旧にかへり減じたる事もなかりき。次に東照神御祖命の御時も同じ事なり。此時世中治平に帰して軍事は止むといへども、かの戦国の時のもやう年代を経て久しく其ならひに成ぬることなれしば、俄に天下の武士を減少し玉ふべきやうもなければ、たとひいかほど御志はましましても、年貢も俄に減じ玉ふことはなりがたき自然の勢なれば、其分にて今に至れる也。されば今の世の年貢は、かの戦国のころのままなれば至て多きと也。
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『秘本玉くしげ』上 収納十倍でも足らずすべてつねづね右の事共の手当をも丈夫にして、其余のところをはかりて年年の御用脚をまかなひ玉はんには、格別の御逼迫はあるまじき道理なるに、右の御手当ども行とどきがたきのみならず、あまつさへ年年定まれる御まかなひさへ出来がたき家家の多きはいかなる事ぞや。古へは下民より上る物、今の年貢にくらぶれば甚いささかなることにて有し時代すら、今の如く上の逼迫し玉ふ事はなくして、民を救ひ玉ふ筋も随分ゆきとどきて、凶年なれば年貢をも或は半分も減ぜられ、時によりては皆ながらも免し玉へる事も有て、またそれぞれの御手当などもよく出来てとほりし也。然るに今は、臨時に年貢を過分に免し玉ふこともなく、惣体の御収納も古へには十倍せるに、なほ用脚の足らざるは、惣体の事の取扱ひあまりにおもおもしく、無益の事繁多にして、御物入の過分に多きが故ならずや。さて中下の武家の多く内證困窮するも、又同じく分限不相応に身分重重しく、諸事花美になりて物入多き故也。
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『秘本玉くしげ』上 年貢の由来近来百姓は殊に困窮の甚しき者のみ多し。これに二つの故あり。一には、地頭へ上る年貢甚多きが故也。二つには、世上一同の奢につれて、百姓もおのづから身分のおごりもつきたる故也。まづ一つに、地頭へ上る年貢のはなはだ多きと申す子細は、まづ唐土の上古には、十か一といふを中分の宜しきほどとしたるなれども、後には段段多くなりたり。然れ共、此方の今のごとくに多くはあらず。さて本朝は、大宝のころ令の御定めを考ふるに、廿分の一ほどにあたりて、たとへば米廿俵とる所にて、年貢はわづかに一俵ほどにて済たる也。但しこれにはいささか不審なることありて、別に僕が考へもあれど、たとひその考への如くにしても、十分の一には過ざること也。其外に調庸など云物ありしか共、それ何もほどの事にもあらず。大寳のころかくのごとくなれば、それより以前上古はなほなほすくなかりけん事、思ひやるべし。
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『秘本玉くしげ』上 半減はかなわぬさて今の世は、いづれの国にもせよ、仁徳深くおはします領主有て、右の子細をよく考へ弁へ玉ひ、百姓を不便に思召て、年貢を半減にも改めまほしく思召す御志ありても、是は決してかなひがたきこと也。其故は、戦国以来諸大名の武士をおびただしく扶持せらるること、おのづから定まりと成て久しく年代を経来りたる事なるに、其武士を過分に減ぜられては、公儀の御軍役も勤まりがたく、又あまたの武士の俄に難義に及ばるることにて、是を減ずること成がたければ、年貢も今更俄に減ずることは決してなりがたき御事也。
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『秘本玉くしげ』上 由来を忘れた武士然るに今の武士は、古への定めの分量をも考へず、次第に多くなりぬるわけをも思はずして、ただ本より今の如くに上るべきはづの物と心得居て、みだりに百姓をしへたげ苦しむる国もよそには有ときくは、いかなる事ぞや。
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『秘本玉くしげ』上 年貢を増すな又百姓も、年代久しくなれ来りたる年貢の事なれば、今の定まりほどは必上るべきはづのものと心得居て、是を過分に多しとは思はぬことなれば、ふびんながらも年貢は定まりのとほりなるべき事なれ共、せめては右の子細を思召て、今の世の百姓は必身を労する事も古よりは甚しく、年貢に大に苦しむものぞといふ事を朝夕わすれ玉はず、不便に思召て、有来りたる定まりの年貢の上をいささかもまさぬやうに、すこしにても百姓の辛苦のやすまるべきやうにと心がけ玉ふべき事、御大名の肝要なるべく、下下の役人たちまでも此心がけを第一として、忠義を思はば随分百姓をいたはるべき旨を、常常仰付らるべき御事にこそ。
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