秘本玉くしげ / 上 重々しすぎる身分
惣體上中下の人人の身分の持やう、各その分際に相應のよきほどあるべきは勿論なれども、其分際分際につきて、いかほどなるが相應のあたりまへといふ事は、たしかなる手本なければ實は定めがたきことなれども、古今の間をあまねく考へ渡してこれを案ずるに、今の世の人人の身分の持樣は、上中下共におしなべて、分際よりは殊の外重重しきに過たり。まづ上をいはば、今の大名方の御身分の重重しさは、上古の天子、中古の大將軍などの御樣子よりもまさりて、万事重重しき也。それに准じて中下の人人もみな同じ事にて、たとへば今の世に千石もとる武士は、昔一万石乃至四五万石を取し人ほどの重重しさ也。百石とる人は、むかし千石四五千石もとりしほどの人に同じ。かくのごとく上中下おしなべて身持殊の外に重重しき故に、それに准じて分際不相應に心持も重重敷身分の樣にて、昔は大名の自身にせし程の働きをも、今は百石五十石位取程の人も、皆下なる者に云付働かせて、自身はせぬ事の樣になれり。
新字:惣体上中下の人人の身分の持やう、各その分際に相応のよきほどあるべきは勿論なれども、其分際分際につきて、いかほどなるが相応のあたりまへといふ事は、たしかなる手本なければ実は定めがたきことなれども、古今の間をあまねく考へ渡してこれを案ずるに、今の世の人人の身分の持様は、上中下共におしなべて、分際よりは殊の外重重しきに過たり。まづ上をいはば、今の大名方の御身分の重重しさは、上古の天子、中古の大将軍などの御様子よりもまさりて、万事重重しき也。それに准じて中下の人人もみな同じ事にて、たとへば今の世に千石もとる武士は、昔一万石乃至四五万石を取し人ほどの重重しさ也。百石とる人は、むかし千石四五千石もとりしほどの人に同じ。かくのごとく上中下おしなべて身持殊の外に重重しき故に、それに准じて分際不相応に心持も重重敷身分の様にて、昔は大名の自身にせし程の働きをも、今は百石五十石位取程の人も、皆下なる者に云付働かせて、自身はせぬ事の様になれり。
書き下し
惣体上中下の人人の身分の持やう、各その分際に相応のよきほどあるべきは勿論なれども、其分際分際につきて、いかほどなるが相応のあたりまへといふ事は、たしかなる手本なければ実は定めがたきことなれども、古今の間をあまねく考へ渡してこれを案ずるに、今の世の人人の身分の持様は、上中下共におしなべて、分際よりは殊の外重重しきに過たり。まづ上をいはば、今の大名方の御身分の重重しさは、上古の天子、中古の大将軍などの御様子よりもまさりて、万事重重しき也。それに准じて中下の人人もみな同じ事にて、たとへば今の世に千石もとる武士は、昔一万石乃至四五万石を取し人ほどの重重しさ也。百石とる人は、むかし千石四五千石もとりしほどの人に同じ。かくのごとく上中下おしなべて身持殊の外に重重しき故に、それに准じて分際不相応に心持も重重敷身分の様にて、昔は大名の自身にせし程の働きをも、今は百石五十石位取程の人も、皆下なる者に云付働かせて、自身はせぬ事の様になれり。
現代語訳
総じて上・中・下の人々の身分の持ちようは、それぞれその分際に相応のよい程合いがあるべきことは勿論であるが、その分際分際について、どれほどが相応の当たり前だということは、確かな手本がないので実は定めにくいことであるけれども、古今のあいだを広く考え渡してこれを案じると、今の世の人々の身分の持ちようは、上・中・下ともにおしなべて、分際よりはことのほか重々しすぎる。まず上について言えば、今の大名方の御身分の重々しさは、上古の天子や中古の大将軍などの御様子よりもまさって、万事重々しい。それに準じて中・下の人々もみな同じことで、たとえば今の世に千石も取る武士は、昔一万石ないし四、五万石を取った人ほどの重々しさである。百石取る人は、昔千石・四、五千石も取った人と同じである。このように上・中・下おしなべて身の持ち方がことのほか重々しいので、それに準じて分際不相応に心持ちも重々しい身分のようになって、昔は大名が自分でしたほどの働きをも、今は百石・五十石ぐらいを取るほどの人も、みな下の者に言いつけて働かせて、自分ではしないことのようになった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 身分の奢り身分を重重敷するは、奢りとは別の事の様なれ共、是即大なる奢り也。其中に平人の奢りは、其身一分ぎりの事のみにては害の他に及ぶ事はなきを、上たる人の奢りは、其害領内に及ぶ事也。惣体治平の代久しく続く時は、いつとなく世上物事華美に成て、漸漸に人の身持も重重敷なる事なるを、時時に是を押へずして捨置時は、年年月月に長し行て際限なく、次第次第に世上困窮に及びて、竟に如何敷事の起る也。
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『秘本玉くしげ』上 分限相応町人はこれによりて多くの利を得る、それだけ武家に損ある事は目に見えたれども、困窮の節など、さしあたりて便宜なるによりて、損をば知ながら皆申付る事也。然れども、これはみな富者のうけたまはりてする事なれば、ますます富を重ねさせて、武家には損あることなれば、なるべきだけは無用にせまほしき事也。人は何事も、その身の分際相応にするがよき也。分限に過て奢るがわろき事は申すに及ばず、又あまり降して軽くするも正道にはあらず。大名は大名相応に御身を持玉ふよし。質素がよきとて、下下の武士の如く御身を持玉ふべきにもあらず。次に其下にたつ武士も、又その相応相応がよし。百姓町人も、又その身上相応に身を持が宜しき也。すべて事を軽くするがよろしとても、又あまり身持かろがろしければ、それに応じておのづから心も万の行ひも、いやしく軽軽しくなりて、上にたつ人などは殊によからぬ事多きもの也。
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『秘本玉くしげ』上 役人が増える先御身分の重重敷によりて、夫につきたる万事を殊の外重重敷取扱ふから、武備国政の外に御身分の事に付たる様様の役人抔多くして、一人にても済べき事にも上役下役段段に有て人多くかかり、さらでもなき事にも多くの人手間かかり、次第に事も繁く費多く、其一一の取扱ひに一つとして御物入のなき事はあらず。又段段の役人多ければ、横道へ抜行物入も多かるべし。惣体上の事を下下にて取扱ふ事余り重重敷故に、下の煩と成事は申に及ばず、無益の費も甚多き事なるを、其細かなる事共迄は上には御心もつきがたき事なるべし。かの飲食衣服抔の如きも、上にめさるる所はいか程美を尽しても、たかのしれたる事なれ共、それを下にて余り重重敷取扱ふにつきて、役役抔も多く、ひたすら念を入るをよき事とする習ひにて、年年月月に諸事重重敷なりて、無益の事に甚念を入るから、何に付ても費の甚多き也。
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『秘本玉くしげ』上 甲乙丙丁の役人さて軍記などをよみて、むかしの大名の身分働きと今の様子とをくらべ見て、今の世の甚おもおもしき事を考へ知べし。主君の然るのみならず、家中までも皆ほどほどに、分際よりも殊の外重重しくなれること、上にも既に申せるがごとし。これらは戦国の時代と治世とは同じ口にはいふべきにあらざれ共、今の世のありさまはあまりに重重しきに過たり。たとへば甲乙丙丁と上下段段の役人有て事をとり行ふに、昔は甲がみづからとりあつかひし事をも今は乙に云付て取扱はせ、先年は乙が勤めたりしわざをも近年は丙につとめさするやうになり、去年までは丙が手づからつとめたる事も、いつしか今年は丁につとめさせ、丙が手をおろさぬやうになりて、惣体下下まで武士の身持次第に重重しく成行に付ては、国中の政事のためにも宜しからぬこと多き也。右のごとく身を重く持につきては、おのづから家内の暮しもよくなりて、身の労はすくなけれ共、物入は多ければ、畢竟は面面のためにも損也。
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『秘本玉くしげ』上 定まれる禄惣体大名の御身分のあまりおもおもしきにつきて、御物入のおびただしきは勿論の事にて、又これによりて国政の妨となる事何につけてもおほし。そのわけは其所所に申すべし。抑下民は定まれる禄なければ、困窮に及ぶ者多きも道理なるが、武士は定まれる禄あれば、其分限相応にさへくらさば逼迫することは有まじき道理也。大名方もをりをり凶事水損などありて御収納の減ずる事もあれ共、これらは古へよりある事にて今始まりたることにあらざれば、常常その御手当はなくてかなはぬ事。又公儀の御手伝などに過分の御物入ある、是も定まりたる事なれば、常にその手当も有べき事なり。又凶年などに御領内の民をば随分丈夫に救ひ玉ひて、一人も飢寒に至らぬやうに取計ひ玉ふべきはづ、是も定まれる事也。さて御軍用のたくはへは申すにも及ばぬ事。
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『秘本玉くしげ』上 勝手逼迫の因既に近来、諸大名の家家用脚足らず、多くは御勝手大に逼迫するは、全く此故也。昔は諸大名何れも年年に大さうなる軍役抔を勤められし時すら、今の如く逼迫する事は無して豊かなりしに、今の世は竟に軍役抔は勤め玉ふ事もなく、知行の物成は新田抔も出来て多くこそなりつれ、昔より減じたる事はなきに、却て御勝手の甚逼迫するはいかなる事ぞや。全く是世上次第に華美になり、いつとなく自然に御身分の余り重重敷成て、何に付ても御物入の昔よりは格別に多きが故也。然りとて、目に見えては先例と格別に變りたる事も有まじけれ共、只目に見えざる事共に大に變り来ぬる事多かるべし。扨、御身分の重重敷によりて次第に御物入の多くなれる訳は、先眼前には飲食衣服、扨は調度抔なれ共、是らは大名の御身上にては何程の事にもあらず。
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