秘本玉くしげ / 上 役人が増える
先御身分の重重敷によりて、夫につきたる万事を殊の外重重敷取扱ふから、武備國政の外に御身分の事に付たる樣樣の役人抔多くして、一人にても濟べき事にも上役下役段段に有て人多くかかり、さらでもなき事にも多くの人手間かかり、次第に事も繁く費多く、其一一の取扱ひに一つとして御物入のなき事はあらず。又段段の役人多ければ、橫道へ拔行物入も多かるべし。惣体上の事を下下にて取扱ふ事餘り重重敷故に、下の煩と成事は申に及ばず、無益の費も甚多き事なるを、其細かなる事共迄は上には御心もつきがたき事なるべし。かの飮食衣服抔の如きも、上にめさるる所はいか程美を盡しても、たかのしれたる事なれ共、それを下にて餘り重重敷取扱ふにつきて、役役抔も多く、ひたすら念を入るをよき事とする習ひにて、年年月月に諸事重重敷なりて、無益の事に甚念を入るから、何に付ても費の甚多き也。
新字:先御身分の重重敷によりて、夫につきたる万事を殊の外重重敷取扱ふから、武備国政の外に御身分の事に付たる様様の役人抔多くして、一人にても済べき事にも上役下役段段に有て人多くかかり、さらでもなき事にも多くの人手間かかり、次第に事も繁く費多く、其一一の取扱ひに一つとして御物入のなき事はあらず。又段段の役人多ければ、横道へ抜行物入も多かるべし。惣体上の事を下下にて取扱ふ事余り重重敷故に、下の煩と成事は申に及ばず、無益の費も甚多き事なるを、其細かなる事共迄は上には御心もつきがたき事なるべし。かの飲食衣服抔の如きも、上にめさるる所はいか程美を尽しても、たかのしれたる事なれ共、それを下にて余り重重敷取扱ふにつきて、役役抔も多く、ひたすら念を入るをよき事とする習ひにて、年年月月に諸事重重敷なりて、無益の事に甚念を入るから、何に付ても費の甚多き也。
書き下し
先御身分の重重敷によりて、夫につきたる万事を殊の外重重敷取扱ふから、武備国政の外に御身分の事に付たる様様の役人抔多くして、一人にても済べき事にも上役下役段段に有て人多くかかり、さらでもなき事にも多くの人手間かかり、次第に事も繁く費多く、其一一の取扱ひに一つとして御物入のなき事はあらず。又段段の役人多ければ、横道へ抜行物入も多かるべし。惣体上の事を下下にて取扱ふ事余り重重敷故に、下の煩と成事は申に及ばず、無益の費も甚多き事なるを、其細かなる事共迄は上には御心もつきがたき事なるべし。かの飲食衣服抔の如きも、上にめさるる所はいか程美を尽しても、たかのしれたる事なれ共、それを下にて余り重重敷取扱ふにつきて、役役抔も多く、ひたすら念を入るをよき事とする習ひにて、年年月月に諸事重重敷なりて、無益の事に甚念を入るから、何に付ても費の甚多き也。
現代語訳
まず御身分の重々しさによって、それに付随する万事をことのほか重々しく取り扱うから、武備や国政の外に、御身分のことに付いたさまざまの役人などが多くなり、一人でも済むはずのことにも上役・下役が段々とあって人が多くかかり、さほどでもないことにも多くの人手間がかかり、次第に事も繁く費えも多くなり、その一つ一つの取り扱いに、一つとして御出費のないことはない。また段々の役人が多いので、横道へ抜けていく出費も多いだろう。総じて上の事を下々で取り扱うことがあまりに重々しいので、下の煩いとなることは申すに及ばず、無益の費えもたいへん多いことであるのに、その細かなことまでは上ではお気づきになりにくいのだろう。あの飲食・衣服などのようなものも、上がお召しになるところはどれほど美を尽くしても知れたことであるが、それを下であまりに重々しく取り扱うにつれて、役々なども多くなり、ひたすら念を入れるのをよいこととする習いで、年々月々に諸事が重々しくなって、無益のことにたいへん念を入れるから、何につけても費えがたいへん多いのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『秘本玉くしげ』上 身分の奢り身分を重重敷するは、奢りとは別の事の様なれ共、是即大なる奢り也。其中に平人の奢りは、其身一分ぎりの事のみにては害の他に及ぶ事はなきを、上たる人の奢りは、其害領内に及ぶ事也。惣体治平の代久しく続く時は、いつとなく世上物事華美に成て、漸漸に人の身持も重重敷なる事なるを、時時に是を押へずして捨置時は、年年月月に長し行て際限なく、次第次第に世上困窮に及びて、竟に如何敷事の起る也。
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『秘本玉くしげ』上 大切にしすぎる害すべての事を余りに大切に重重敷する時は、只無益の費、無益の扱ひのみ多くして、却て其本意の実をば失ひ、表向計りになり、麁末に取扱ふよりは結句遥に劣る事も多く、又却て手行の甚悪き事多し。譬へば、直に御前へ達してもよき事をも、爰の役人の手を経、かしこの役所へ伺ひ抔、彼此とする故に、無益の人手間かかり、紙筆の費抔のみ有て、却て急ぎの御用の弁じ抔は滞りて、何の益はなし。万の事是に准じて知べし。
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『秘本玉くしげ』上 甲乙丙丁の役人さて軍記などをよみて、むかしの大名の身分働きと今の様子とをくらべ見て、今の世の甚おもおもしき事を考へ知べし。主君の然るのみならず、家中までも皆ほどほどに、分際よりも殊の外重重しくなれること、上にも既に申せるがごとし。これらは戦国の時代と治世とは同じ口にはいふべきにあらざれ共、今の世のありさまはあまりに重重しきに過たり。たとへば甲乙丙丁と上下段段の役人有て事をとり行ふに、昔は甲がみづからとりあつかひし事をも今は乙に云付て取扱はせ、先年は乙が勤めたりしわざをも近年は丙につとめさするやうになり、去年までは丙が手づからつとめたる事も、いつしか今年は丁につとめさせ、丙が手をおろさぬやうになりて、惣体下下まで武士の身持次第に重重しく成行に付ては、国中の政事のためにも宜しからぬこと多き也。右のごとく身を重く持につきては、おのづから家内の暮しもよくなりて、身の労はすくなけれ共、物入は多ければ、畢竟は面面のためにも損也。
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『秘本玉くしげ』上 勝手逼迫の因既に近来、諸大名の家家用脚足らず、多くは御勝手大に逼迫するは、全く此故也。昔は諸大名何れも年年に大さうなる軍役抔を勤められし時すら、今の如く逼迫する事は無して豊かなりしに、今の世は竟に軍役抔は勤め玉ふ事もなく、知行の物成は新田抔も出来て多くこそなりつれ、昔より減じたる事はなきに、却て御勝手の甚逼迫するはいかなる事ぞや。全く是世上次第に華美になり、いつとなく自然に御身分の余り重重敷成て、何に付ても御物入の昔よりは格別に多きが故也。然りとて、目に見えては先例と格別に變りたる事も有まじけれ共、只目に見えざる事共に大に變り来ぬる事多かるべし。扨、御身分の重重敷によりて次第に御物入の多くなれる訳は、先眼前には飲食衣服、扨は調度抔なれ共、是らは大名の御身上にては何程の事にもあらず。
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『秘本玉くしげ』上 重々しすぎる身分惣体上中下の人人の身分の持やう、各その分際に相応のよきほどあるべきは勿論なれども、其分際分際につきて、いかほどなるが相応のあたりまへといふ事は、たしかなる手本なければ実は定めがたきことなれども、古今の間をあまねく考へ渡してこれを案ずるに、今の世の人人の身分の持様は、上中下共におしなべて、分際よりは殊の外重重しきに過たり。まづ上をいはば、今の大名方の御身分の重重しさは、上古の天子、中古の大将軍などの御様子よりもまさりて、万事重重しき也。それに准じて中下の人人もみな同じ事にて、たとへば今の世に千石もとる武士は、昔一万石乃至四五万石を取し人ほどの重重しさ也。百石とる人は、むかし千石四五千石もとりしほどの人に同じ。かくのごとく上中下おしなべて身持殊の外に重重しき故に、それに准じて分際不相応に心持も重重敷身分の様にて、昔は大名の自身にせし程の働きをも、今は百石五十石位取程の人も、皆下なる者に云付働かせて、自身はせぬ事の様になれり。
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『秘本玉くしげ』上 定まれる禄惣体大名の御身分のあまりおもおもしきにつきて、御物入のおびただしきは勿論の事にて、又これによりて国政の妨となる事何につけてもおほし。そのわけは其所所に申すべし。抑下民は定まれる禄なければ、困窮に及ぶ者多きも道理なるが、武士は定まれる禄あれば、其分限相応にさへくらさば逼迫することは有まじき道理也。大名方もをりをり凶事水損などありて御収納の減ずる事もあれ共、これらは古へよりある事にて今始まりたることにあらざれば、常常その御手当はなくてかなはぬ事。又公儀の御手伝などに過分の御物入ある、是も定まりたる事なれば、常にその手当も有べき事なり。又凶年などに御領内の民をば随分丈夫に救ひ玉ひて、一人も飢寒に至らぬやうに取計ひ玉ふべきはづ、是も定まれる事也。さて御軍用のたくはへは申すにも及ばぬ事。
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