日暮硯 / 『日暮硯』博奕の慰みを巡る追加の話
追 加 初め木工、慰めに致す分は、博奕にても苦しからずと御領分の者へ仰せ渡され候ひし故、博奕を商賣にするものども、之を聞き、旗のあげ時は今なりと、處々にて盛んに博奕を繁昌させ、夥しく身代を潰す者これ有る由相聞え候、其の時木工、又慰めの博奕にまけ、難儀に及び候者は、難儀御救ひ下さるべく候、遠慮なく正直に訴へ出で申すべしと御領分へ御觸を出さる。是れ幸と、處々より難儀する者共願ひ出で候、則ち御吟味にて、誰々を相手にして慰み仕り候やとの御調べにて、則ち其の者共を呼び出され、其の方どもは彼の者と慰み致し負かし候やと御尋有り、元より御免の上と思へば、陳ずる事もなく、成る程左樣にて御座候と申上候へば、彼の者負け金高、何十何兩、勝ち候者共より、殘らず彼の負け候者へ何月何日までに屹度相渡し申すべしと仰せ渡され候。其の儀は迷惑至極に存じ奉り候間、御免下され候樣と相願ひ候へば、「然れば、其の方共は博奕を商賣に致すなり、先達てより申し渡し置き候通り、商賣にいたす博奕は天下の御法度なれば、相背く者これ有るに於ては、屹度曲事に申付くべく候、仍て其の方共は定めて慰みに致せし事なるべし」「成程慰みに仕り候」「商賣にせし事なれば格別、慰みをして人の身代を潰さするといふ事は有まじき事なり、依て右負け候方へ勝ち候者より、急度返濟致すべく候若し及遲滯候はゞ、急度曲事に申し付くべし」と仰せ渡され候、「畏り奉り候」と御請け申候て、右の金子、殘らず負け候人の方へ相渡候故、負け候ものは一錢も紛失なしに受取り候へ共、勝ち候者は其の爲に遣ひ捨て候分だけ不足仕り候故、其の分を足して負け候方へ相渡さねばならず、兎角勝ち候者の方損となり候故、其の後は慰みにも博奕致すものは勿論、紙一枚にても賭けに致候儀は、制せずしておのづから止しとかや、寔に有り難き御政道なり、何卒世間ともに、制せずして法を犯すもの無き樣にありたきものなり。 右之件は、正しく木工殿之歸依僧何某上人之直說に問ひ、爰かしこ覺えし所ばかり反古裏に書付け侍る事しかり。 寶歷十一年冬之初
新字:追 加 初め木工、慰めに致す分は、博奕にても苦しからずと御領分の者へ仰せ渡され候ひし故、博奕を商売にするものども、之を聞き、旗のあげ時は今なりと、処々にて盛んに博奕を繁昌させ、夥しく身代を潰す者これ有る由相聞え候、其の時木工、又慰めの博奕にまけ、難儀に及び候者は、難儀御救ひ下さるべく候、遠慮なく正直に訴へ出で申すべしと御領分へ御触を出さる。是れ幸と、処々より難儀する者共願ひ出で候、則ち御吟味にて、誰々を相手にして慰み仕り候やとの御調べにて、則ち其の者共を呼び出され、其の方どもは彼の者と慰み致し負かし候やと御尋有り、元より御免の上と思へば、陳ずる事もなく、成る程左様にて御座候と申上候へば、彼の者負け金高、何十何両、勝ち候者共より、残らず彼の負け候者へ何月何日までに屹度相渡し申すべしと仰せ渡され候。其の儀は迷惑至極に存じ奉り候間、御免下され候様と相願ひ候へば、「然れば、其の方共は博奕を商売に致すなり、先達てより申し渡し置き候通り、商売にいたす博奕は天下の御法度なれば、相背く者これ有るに於ては、屹度曲事に申付くべく候、仍て其の方共は定めて慰みに致せし事なるべし」「成程慰みに仕り候」「商売にせし事なれば格別、慰みをして人の身代を潰さするといふ事は有まじき事なり、依て右負け候方へ勝ち候者より、急度返済致すべく候若し及遅滞候はゞ、急度曲事に申し付くべし」と仰せ渡され候、「畏り奉り候」と御請け申候て、右の金子、残らず負け候人の方へ相渡候故、負け候ものは一銭も紛失なしに受取り候へ共、勝ち候者は其の為に遣ひ捨て候分だけ不足仕り候故、其の分を足して負け候方へ相渡さねばならず、兎角勝ち候者の方損となり候故、其の後は慰みにも博奕致すものは勿論、紙一枚にても賭けに致候儀は、制せずしておのづから止しとかや、寔に有り難き御政道なり、何卒世間ともに、制せずして法を犯すもの無き様にありたきものなり。 右之件は、正しく木工殿之帰依僧何某上人之直説に問ひ、爰かしこ覚えし所ばかり反古裏に書付け侍る事しかり。 宝歴十一年冬之初
書き下し
追 加 初め木工、慰めに致す分は、博奕にても苦しからずと御領分の者へ仰せ渡され候ひし故、博奕を商賣にするものども、之を聞き、旗のあげ時は今なりと、處々にて盛んに博奕を繁昌させ、夥しく身代を潰す者これ有る由相聞え候、其の時木工、又慰めの博奕にまけ、難儀に及び候者は、難儀御救ひ下さるべく候、遠慮なく正直に訴へ出で申すべしと御領分へ御觸を出さる。是れ幸と、處々より難儀する者共願ひ出で候、則ち御吟味にて、誰々を相手にして慰み仕り候やとの御調べにて、則ち其の者共を呼び出され、其の方どもは彼の者と慰み致し負かし候やと御尋有り、元より御免の上と思へば、陳ずる事もなく、成る程左樣にて御座候と申上候へば、彼の者負け金高、何十何兩、勝ち候者共より、殘らず彼の負け候者へ何月何日までに屹度相渡し申すべしと仰せ渡され候。其の儀は迷惑至極に存じ奉り候間、御免下され候樣と相願ひ候へば、「然れば、其の方共は博奕を商賣に致すなり、先達てより申し渡し置き候通り、商賣にいたす博奕は天下の御法度なれば、相背く者これ有るに於ては、屹度曲事に申付くべく候、仍て其の方共は定めて慰みに致せし事なるべし」「成程慰みに仕り候」「商賣にせし事なれば格別、慰みをして人の身代を潰さするといふ事は有まじき事なり、依て右負け候方へ勝ち候者より、急度返濟致すべく候若し及遲滯候はゞ、急度曲事に申し付くべし」と仰せ渡され候、「畏り奉り候」と御請け申候て、右の金子、殘らず負け候人の方へ相渡候故、負け候ものは一錢も紛失なしに受取り候へ共、勝ち候者は其の爲に遣ひ捨て候分だけ不足仕り候故、其の分を足して負け候方へ相渡さねばならず、兎角勝ち候者の方損となり候故、其の後は慰みにも博奕致すものは勿論、紙一枚にても賭けに致候儀は、制せずしておのづから止しとかや、寔に有り難き御政道なり、何卒世間ともに、制せずして法を犯すもの無き樣にありたきものなり。 右之件は、正しく木工殿之歸依僧何某上人之直說に問ひ、爰かしこ覺えし所ばかり反古裏に書付け侍る事しかり。 寶歷十一年冬之初
現代語訳
追加 初め木工が、慰みにする分は博奕であっても構わないと御領分の者へ仰せ渡されたので、博奕を商売にしている者たちはこれを聞いて、旗を揚げる時は今だと、あちこちで盛んに博奕を繁盛させ、多くの身代を潰す者が出たと聞こえてきた。そのとき木工は、また、慰みの博奕に負けて難儀に及んだ者は、難儀をお救いくださるので、遠慮なく正直に訴え出るようにと、御領分へお触れを出した。これ幸いと、あちこちから難儀する者たちが願い出た。そこで吟味となり、誰々を相手にして慰みをしたのかとお調べがあり、その者たちを呼び出して、そなたたちはあの者と慰みをして負かしたのかとお尋ねがあった。もとより御免のうえと思っているので、弁解もせず、いかにもそのとおりでございますと申し上げると、あの者の負け金の額は何十何両、勝った者たちから、残らずその負けた者へ、何月何日までにきっと渡すようにと仰せ渡された。その件は迷惑至極に存じますので、お許しくださいと願ったところ、「それならそなたたちは博奕を商売にしているのだ。先日来申し渡してあるとおり、商売にする博奕は天下の御法度であるから、背く者があればきっと処罰する。よってそなたたちは、慰みにしたことであろう」。「いかにも慰みにいたしました」。「商売にしたのなら別だが、慰みをして人の身代を潰させるということはあるはずがない。よって、負けた方へ勝った者からきっと返済せよ。もし遅れれば、きっと処罰する」と仰せ渡された。「かしこまりました」と請けて、その金子を、残らず負けた人へ渡したので、負けた者は一銭も紛失なしに受け取ったが、勝った者は、そのために使い捨てた分だけ不足するので、その分を足して負けた方へ渡さなければならず、とかく勝った者の方が損になるので、その後は、慰みにも博奕をする者はもちろん、紙一枚でも賭けにすることは、禁じなくても自然とやんだということである。まことにありがたい御政道である。どうか世間でも、禁じなくても法を犯す者のないようにありたいものである。 右の件は、まさしく木工殿の帰依僧、何某上人の直接の話を聞き、あちこち覚えているところだけを反故の裏に書き付けたものである。 宝暦十一年冬の初め
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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日暮硯・『日暮硯』勝手は直ると殿へ言上扨て百姓相談の上、名主、長百姓等、御役所へ罷り出で、「先達て仰せ渡され候趣、惣百姓へ申し聞け候處、皆々有難がり候て、當年貢の儀は勿論、二年分なりとも差し上げ申すべく候間、何時なりとも御用次第に仰せ付け下され候樣仕りたくと一同相願ひ申候間、左樣思召下さるべく候」と申上候へば、木工殿申され候は、「先づ以て手前が申す趣き、惣百姓迄、皆々得心し吳れ、甚だ滿足致し候、皆のかげにて、手前も首尾よく御役相勤め、痛い目にも逢はず、皆是れ百姓中のかげなり、過分千萬に存じ候、それのみならず二年分なりとも上納致すべしとの事、惣百姓の志、上聞に達しなば、御前もさぞ御滿足遊ばさるべし、去り乍ら、當御年貢さへ納めて吳れば十分に候、二年分上納には及ばず候、惣百姓中の志、過分千萬、殘らず上聞に達すべく候間、其の段、能々申し聞けべく候、さて又皆々、隨分家業に油斷なく出精すべし、家業に疎なるものは天下の罪人なり、家業を出精して餘分あらば、分限相應の樂みは如何なる儀にても苦しからず候、家業に出精の上たのしむ事ならば、慰みには、淨瑠璃、三味線、博奕なりとも、好きたる事をして樂むべし、然し博奕は、天下一統御法度なり、若し商賣に致すものこれ有るに於ては、屹度曲事に申し付くべし、吳々も博奕を商賣に致す儀は、公儀御法度なれば、屹度相愼み申すべく候、慰みに致す分は苦しからず候間、豫て左樣可相心得候、すべて人は、分限相應の樂みがなくては、精も出で難きものなり、精も出すべし、樂みもすべし、其の上第一に信心もすべし、神佛を信仰する心なくば、さいなん多きものなり、依つて神佛を能く信仰して、現當二世を祈るべし、偖て又先達て申し付け候書付、相認め、持參致候や」と申され候へば、「成る程、持參仕候」と差出す、「手前が見るにあらず、御前の御覽に入れるなり、皆々歸つて出精せよ」とて、一同を歸されける。其の後木工、御前へ出で申し上げ候は、先づ以て御悅び遊ばさるべく候、御勝手は十分に相直り申すべく候。其の譯は、御借用金は殘らず橫に寢て仕舞ひ、無借金となり候上に、當年より十萬石、丸々納り(月割故也)一粒が損失御座なく候筈故、御勝手は、十分に相調ひ申し候上に、一人も御上を御恨み申す者御座なく、却つて有り難がり候て、御年貢は二年分なりとも差し上げ申すべしと申し、當月より滯りなく御年貢上納仕る筈に御座候、是れ皆御前の御仁心深き故の御尊德に御座候」と申上げれば、御前にも殊の外御滿足にて、「是れ我が德にあらず、皆其の方の働き、莫大の勳功、金石にも銘ずべき忠勤なり」と御稱美遊ばされ候へば、木工は有り難き御意を謝し、「扨て又是は百姓共相認候ものに御座候間、ひそかに御覽遊ばさるべく候」と申上げ、封書を呈し退出す。
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日暮硯・『日暮硯』楽しめと言い自分は質素一、木工殿は、家中を初め、御領分中へ、相應には樂みをせよとて、慰めには博奕なりとも、何にても好きたる事をして樂しめと、一向言ひきかせて、自分には、隨分質素に暮し、子供に迄飯と汁より外は菜を喰はせず、文學、武藝を第一に稽古させ自分は文武の稽古の外に、專ら佛神を信仰して、現當二世を祈り、又御前へも、「治世亂世ともに文武兩道は武士の常にて御座候へば、片時もわすれては相成らざる儀に御座候間、隨分御學文を遊ばされ、武藝は倘ほ以て晝夜とも御はげみ遊ばされ候へ、其の上佛神の御加護に御座なく候ては、諸願果て申さず候、不信心なれば苦難多く御座候間、御信心も遊ばされ、佛神の御加護を御祈り遊ばされ候事、是又武士たる者平生心掛けの一大事にて御座候」と申上候へば、公にも甚だ御悅氣にて、夫れより益々御信心御增進遊ばされ、文武兩道共、一入御出精遊ばさるゝゆへ、誰教ゆるとなしに、幼少の子供まで、文武兩道に精力を盡し、禁ぜずして博奕するもの一人も無く、自ら御家中も裕福に成り、盜みするものなければ、公の御勝手も忽ちに直り、五ヶ年立たぬうちに、御金も夥しく出來、御領へも利安にて御貸金が出で候故、自然と御領分も豐かに相成り、諸人歡び樂しみ暮すとかや、實に有り難き御政道なり。
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日暮硯・『日暮硯』役人に告げる方針と遊びの許し一、夫より木工、又老職を初めとし、諸役人を極められ、誓紙の取り替し相濟みし上申され候は、各々御存じの通り江戶表に於て、拙者へ勘略奉行被仰付候へ共、元來不調法者ゆへ、私一人にて中々相勤り候筈御座なく候間、萬事お心添へ下さるべく候、扨て又、いかに勘略を致せばとて、只今の通り、殿樣召し上られ候ものは勿論其の外御前向き御用の節は、一向勘略相成り申すまじく候、十萬石相應に致さず候ては、相濟ざる事に候、外々の儀に付、萬事費へなる事は隨分勘略致すべき事に候へ共、御前向きの儀は、古來の通り致すべく候間、各々左樣にお心得成さるべく候扨て又、各々方を初め、下々まで、只今までは、御知行に步一の引けこれ有り候へ共、手前役儀の內は、一向步一も引き申さず、本高の通り、月々屹度御渡し申すべく候間、左樣に御心得成さるべく候、其の代りに、御奉公屹と相勤めらるべく候、既に下され候知行、一向引なしに被下候上は、御奉公に少々の麁略これあり候ても拙者が免し申さず、屹度曲事に申し付くべく候間、各々方下役、下支配まで、此の段、屹と仰せ觸れらるべく候、右の通り、御奉公大切に御勤めの上は、非番の節は何なりとも御銘々、好きたる事をしてお樂しみ成さるべく候、詩歌、俳諧、謠、鼓等は勿論、淨瑠璃、三味線、慰めには、博奕なりとも、御奉公屹度お勤めの上、餘分有りて致さるゝ事なれば、如何之儀にても苦しからず候、人は各々相應の樂しみこれ無く候ては、平生屹と勤り不申候間、隨分、分に應じ、たのしみも致さるべく候、勘略の儀も、急々には致し方も御座無く候間、先づ諸事只今迄の通り致さるべく候と申し渡され候て、公の御歸城を相待ち居られ、其の間に、萬事工夫致され候由なり。
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『明訓一班抄抄録』・刑は少きに期すべき事・賭博を厳しく取り締まった家康の命令東照宮濱松駿府に御坐の節も、博奕は諸惡の根元と有し御意にて、御城下之儀は申に不及、四箇國の御領內を御法度に被仰出、關東御入國の砌、御當地の儀は不及申、總て關八州共に北條家柔弱なる仕置故、僧侶男女の差別なく押晴て博奕を打も是ある由御聞に達し、(中略)嚴敷御法度も被仰出、(中略)博奕を仕候者共をば暫くも御ゆるめなく、捕次第片はしより御成敗被仰付候也、其節淺草專一にて博奕仕候者を捕へ、五人共に其處に獄門にかけらるゝを御鷹御成之節是を御覽被遊て、還御以後博奕吟味にかゝり候者共を御城へ召して御直に被仰渡けるは、總て科人を仕置にして其首を獄門に掛さらし置は諸人見こりの爲にてあるなれば、五人一坐の博奕ならば何月何日何方にても人立多き場所へ出しさらし置樣にと仰付らるゝを以、其以後の儀拾人一坐にて捕へ候へば十ヶ所へ遣し御仕置に仰付られ、首を其所に掛置に付、二三ヶ年の間に博奕の沙汰止ける也、云々、
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日暮硯・『日暮硯』悪かった役人が扶翼に変わる即刻右の者共を御前へ召し出され、平日よりも御面を和らげられ、右の通り仰せ付られ候へば、皆々畏り奉り、有り難き仕合に存じ奉り候とお請け申上げ退出し、皆々打寄りての相談に、「今日御前にて仰せ出され候趣、さりとは合點行かぬ事なり、唯今まで手前共が爲せし惡事は、百姓共の書付にて御前へ顯れたるに違ひなければ、今日召し出され候は、木工のおかげで必ず嚴しきお叱りと思ひしに、思ひの外なる御意を蒙り候、何れも如何思召候や」「今度、木工が萬事の取計らひを見るに、格外の仁政、中々以て尋常の心の及ぶ事にあらず、若し又我々、木工に成り替り、手前共の上を裁斷せば、死罪には漏れまじき程の事なり、夫れを却つて本工の相役とは、思ひの外なる事なり、是れ决して御前計りの思召にては有まじく定めて木工が計らひなるべし、是れより手前共も、心底を改め、御前の御意の通り木工と肌を合せて忠義を盡さずんば、遂に身の破滅を來し、先祖への不幸なるべし是より直ちに木工が宅へ罷り越し、謝禮を申すがよろしからん、何れもいかゞ思召候や」と申せば、皆々、「是れは尤も千萬、成る程貴公の仰せの通り、唯今までの我意を改め、實に木工と肌を合せ、忠勤を盡すべし」とて、皆々木工が宅へ罷り越し「先づ以て今般御大役御苦勞千萬、莫大の御仁政、感じ入り奉り候、就ては今日、御前に於て、手前共、貴公の御相役仰せ付けられ、有り難き仕合に存じ奉り候。是れ皆貴公の御取成し故と、千萬忝なく存じ奉り候、御存知の通り、不調法者共に御座候間、萬端御遠慮なくお指圖下され候樣、偏に賴み奉り候、御禮旁々、參上致し候」と申入れば、木工挨拶に、「此方より罷り越し申すべき筈の處、早々のお出で、御念を入れられ候事、千萬忝く存じ候、此の上各々のお助けにあづからずしては、個樣の大役、拙者一人にて、中々相勤り候事にては御座なく候、萬事氣の付き申さざる處は、御遠慮なくお心をお添へ下さるべく候、此の段、切に相願ふ」と申され候へば、皆々、「恐入候、拙者共の存じ付き候程の儀は、何分にも御氣を付け申すべく候間、御指圖賴み入り候」と、いんぎんに挨拶して立歸り、是より眞實に木工の扶翼と成りしかば、木工の世話なしに、盜人はなくなれり、其の譯は、下役の者、「此儀は個樣に成し下さるべく」といへば、「イヤ左樣にはならぬ、唯今までとは違ふ、萬一木工が知ると、身の破滅じや、向後萬事左樣に相心得よ」と、其の道筋を 知りたる大將共が、手下の者にいましめをなす故、下役等、自然盗みする事ならず、末々まで、皆々忠義を第一とし、正直を元として、御奉公を大切と心懸ける樣になりしとかや。是れ皆、御前の御聖智により、又木工の仁政よりぞおこりける、有り難き事ぞかし。
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日暮硯・『日暮硯』御用金を出した者への詫び一、木工又改めて「御用金差し上げたる者共參り居り候や」「罷在候」「お身達は、何故に御用金を差し上げ候や、上より利息にても被下候や、又何ぞ勝手に宜しき事これ有り候て、差し上げ候や如何」「唯今迄御用金差上候へ共、利息下され候儀は勿論、元金も御返濟下され候事御座なく、迷惑至極に存じ奉り候へ共、御役人樣、嚴しく仰せ付けられ候故、是非なく差し上げ候次第に御座候」「役人より何程に申し付け候共、御座らぬというて出さぬ筈に候、假令公儀より殿樣へ御用金被仰付候共手前江戶へまかり出で、金は御座無くと言ふて出す所存はなし、出さぬというて殺しはせぬ故、出すまじき金を出す筈は無き事なり。それを出すといふは、お身達もお身達なり、役人も役人なり、よしやお身達が所持して居ればとて、御返濟もなき金を出せといふは、餘り非道なる致し方なり、然し是も理窟なり、實は御上に金なき故、江戶表の御用御勤り成されず候間、お身達が持ち合せしを幸に、無心言ふて據なく御借り上げに成つたものなり、返濟したくも元來金はなきゆへ、詮方なく、其の分にて打ち過ぎたるものなり。されば役人も、强ち非道といふものにあらず、お身達も、江戶表の譯を知りたるゆへ、迷惑ながら金を差出し、御用の間に合せたる事なれば、奇特千萬、お身達の働きにより、江戶表の御首尾も好く、殿樣にも御滿足遊ばされ候事なり、神妙々々、然し今後、御用金は一切申し付けず候間、左樣に相心得申すべく候」と申され候へば「有り難き仕合奉存候」と悅服致候。