日暮硯 / 『日暮硯』家来も親類も約束で固める
「イヤ其の分にても相濟まず、家來共に暇を出し候上は、無人ゆゑ飯もたかねばならぬなり、水も汲まねばならぬなり」「成る程、飯を焚きし事はなけれども、焚き習ひ候て、飯もたき、水も汲み申すべく候」「彌々それに目違なきや」「誓言にて御座候」「然らば去るに及ばず、女房にして置くべし、扨て子供は何方へなりとも立ち退くべく候、路銀は相應に吳れて出すべし」と申され候へば、「私も噓は申すまじく候、飯と汁とより外は給べ申すまじく候、綿服を着申すべく候間、御勘當は御免下されたく」と申されければ、「彌々左樣に候や」「成ほど誓言にて御座候」「彌々左樣に候はゞ、我が子にして置べし」「家來共立ち出でよ」「私共もうそを申まじく、御飯と汁より外、給べ申すまじく候間、何とぞ御差置下され候樣願ひ奉り候、旦那樣より御暇を受け候はゞ何方へ參り候とも、奉公は相成り申す間じく候、其の譯は、彼等は木工殿にて、うそを言ふ事相成らず、飯と汁より外は菜を喰べる事相成らず候故、暇を取つて出たる者共なれば、何の用にも立つまじきものと申す事にて、召し抱へらるる御方有るまじく候、此の上の御慈悲には、何卒、御差置き被下度、有り難き仕合に存じ奉るべく候」と願ひ候へば、木工、「うそを言はず、飯と汁より外喰はぬ事合點ならば、召遣ふなり、お身達に暇を遣はしても、又抱へねばならぬは人なり、仍つて給金は、只今の通り遣はすべく候間、奉公大切に相勤むべく候」「イヤ御給金は御貰ひ申すに及ばず候、食物は旦那樣より下され候なり、着物は當分着候程は所持仕り候、なくなり候はゞ、旦那樣の御古なりとも拜領仕り候て着申すべく候、左候へば、御給金も頂戴に及び申さず候」「イヤとよ、我は知行千石なるに、飯と汁より外喰はぬ積りにて、何も入り用なければ、家來どもへは給金を出し、家內の入用を引いて、殘りは御上へ差上候より外に考へなし、おみ達は、妻子を養育する身なれば、給金は遣すべく候間、左樣に相心得候へ」と申され候へば、有り難き仕合に存じ奉り候と、皆々お請け致し候ひける。 扨て又木工、「親類中には彌々義絕成し下さるべくや」「イヤ拙者共もうそは一向に申間敷候」「イヤ各々方、御家內の儀は御勝手次第に成さるべく候、各々方さへうそを相止められ候へば、手前の邪魔になる筋はこれ無く候間、義絕に及ばず候」「それは忝き仕合に候」と、互に挨拶して、親類中も各々歸宅致され候。右の通り、江戶より歸國早々、家內竝びに自分の親類を最初に固められ候は、前代未聞の賢人なり。
新字:「イヤ其の分にても相済まず、家来共に暇を出し候上は、無人ゆゑ飯もたかねばならぬなり、水も汲まねばならぬなり」「成る程、飯を焚きし事はなけれども、焚き習ひ候て、飯もたき、水も汲み申すべく候」「弥々それに目違なきや」「誓言にて御座候」「然らば去るに及ばず、女房にして置くべし、扨て子供は何方へなりとも立ち退くべく候、路銀は相応に呉れて出すべし」と申され候へば、「私も噓は申すまじく候、飯と汁とより外は給べ申すまじく候、綿服を着申すべく候間、御勘当は御免下されたく」と申されければ、「弥々左様に候や」「成ほど誓言にて御座候」「弥々左様に候はゞ、我が子にして置べし」「家来共立ち出でよ」「私共もうそを申まじく、御飯と汁より外、給べ申すまじく候間、何とぞ御差置下され候様願ひ奉り候、旦那様より御暇を受け候はゞ何方へ参り候とも、奉公は相成り申す間じく候、其の訳は、彼等は木工殿にて、うそを言ふ事相成らず、飯と汁より外は菜を喰べる事相成らず候故、暇を取つて出たる者共なれば、何の用にも立つまじきものと申す事にて、召し抱へらるる御方有るまじく候、此の上の御慈悲には、何卒、御差置き被下度、有り難き仕合に存じ奉るべく候」と願ひ候へば、木工、「うそを言はず、飯と汁より外喰はぬ事合点ならば、召遣ふなり、お身達に暇を遣はしても、又抱へねばならぬは人なり、仍つて給金は、只今の通り遣はすべく候間、奉公大切に相勤むべく候」「イヤ御給金は御貰ひ申すに及ばず候、食物は旦那様より下され候なり、着物は当分着候程は所持仕り候、なくなり候はゞ、旦那様の御古なりとも拝領仕り候て着申すべく候、左候へば、御給金も頂戴に及び申さず候」「イヤとよ、我は知行千石なるに、飯と汁より外喰はぬ積りにて、何も入り用なければ、家来どもへは給金を出し、家内の入用を引いて、残りは御上へ差上候より外に考へなし、おみ達は、妻子を養育する身なれば、給金は遣すべく候間、左様に相心得候へ」と申され候へば、有り難き仕合に存じ奉り候と、皆々お請け致し候ひける。 扨て又木工、「親類中には弥々義絶成し下さるべくや」「イヤ拙者共もうそは一向に申間敷候」「イヤ各々方、御家内の儀は御勝手次第に成さるべく候、各々方さへうそを相止められ候へば、手前の邪魔になる筋はこれ無く候間、義絶に及ばず候」「それは忝き仕合に候」と、互に挨拶して、親類中も各々帰宅致され候。右の通り、江戸より帰国早々、家内並びに自分の親類を最初に固められ候は、前代未聞の賢人なり。
書き下し
「イヤ其の分にても相濟まず、家來共に暇を出し候上は、無人ゆゑ飯もたかねばならぬなり、水も汲まねばならぬなり」「成る程、飯を焚きし事はなけれども、焚き習ひ候て、飯もたき、水も汲み申すべく候」「彌々それに目違なきや」「誓言にて御座候」「然らば去るに及ばず、女房にして置くべし、扨て子供は何方へなりとも立ち退くべく候、路銀は相應に吳れて出すべし」と申され候へば、「私も噓は申すまじく候、飯と汁とより外は給べ申すまじく候、綿服を着申すべく候間、御勘當は御免下されたく」と申されければ、「彌々左樣に候や」「成ほど誓言にて御座候」「彌々左樣に候はゞ、我が子にして置べし」「家來共立ち出でよ」「私共もうそを申まじく、御飯と汁より外、給べ申すまじく候間、何とぞ御差置下され候樣願ひ奉り候、旦那樣より御暇を受け候はゞ何方へ參り候とも、奉公は相成り申す間じく候、其の譯は、彼等は木工殿にて、うそを言ふ事相成らず、飯と汁より外は菜を喰べる事相成らず候故、暇を取つて出たる者共なれば、何の用にも立つまじきものと申す事にて、召し抱へらるる御方有るまじく候、此の上の御慈悲には、何卒、御差置き被下度、有り難き仕合に存じ奉るべく候」と願ひ候へば、木工、「うそを言はず、飯と汁より外喰はぬ事合點ならば、召遣ふなり、お身達に暇を遣はしても、又抱へねばならぬは人なり、仍つて給金は、只今の通り遣はすべく候間、奉公大切に相勤むべく候」「イヤ御給金は御貰ひ申すに及ばず候、食物は旦那樣より下され候なり、着物は當分着候程は所持仕り候、なくなり候はゞ、旦那樣の御古なりとも拜領仕り候て着申すべく候、左候へば、御給金も頂戴に及び申さず候」「イヤとよ、我は知行千石なるに、飯と汁より外喰はぬ積りにて、何も入り用なければ、家來どもへは給金を出し、家內の入用を引いて、殘りは御上へ差上候より外に考へなし、おみ達は、妻子を養育する身なれば、給金は遣すべく候間、左樣に相心得候へ」と申され候へば、有り難き仕合に存じ奉り候と、皆々お請け致し候ひける。 扨て又木工、「親類中には彌々義絕成し下さるべくや」「イヤ拙者共もうそは一向に申間敷候」「イヤ各々方、御家內の儀は御勝手次第に成さるべく候、各々方さへうそを相止められ候へば、手前の邪魔になる筋はこれ無く候間、義絕に及ばず候」「それは忝き仕合に候」と、互に挨拶して、親類中も各々歸宅致され候。右の通り、江戶より歸國早々、家內竝びに自分の親類を最初に固められ候は、前代未聞の賢人なり。
現代語訳
「いや、それでも済まない。家来に暇を出したからには、人がいなくなるので、飯も炊かねばならず、水も汲まねばならぬ」「なるほど、飯を炊いたことはありませんが、習い覚えて、飯も炊き、水も汲みます」「本当に間違いないか」「誓って申します」「それなら去るには及ばない。女房にしておこう。さて子供はどこへなりとも立ち退くように。路銀は相応に与えて出そう」と言われると、「私も噓は申しません。飯と汁よりほかは食べません。綿服を着ますので、勘当はお許しください」と言うので、「本当にそうか」「なるほど誓って申します」「本当にそうなら、我が子にしておこう」「家来どもは立ち出でよ」「私どもも噓は申しません。ご飯と汁よりほか食べませんので、どうかお置きくださるよう願い上げます。旦那様からお暇を受ければ、どこへ参っても奉公はできません。その訳は、彼らは木工殿のところで、噓を言うことはならず、飯と汁よりほか菜を食べることもならないので、暇を取って出た者どもだから、何の役にも立たないだろうということで、召し抱える方はいないはずです。この上のご慈悲として、何とぞお置きくだされば、ありがたい幸せに存じます」と願うので、木工は、「噓を言わず、飯と汁よりほか食べないことを承知なら、召し使おう。そなたたちに暇を遣わしても、また他の者を抱えねばならないのが人というものだ。だから給金は今まで通り遣わすので、奉公を大切に勤めるように」「いや、お給金はいただくには及びません。食べ物は旦那様から下されるのですし、着物は当分着られるだけ持っております。なくなったら、旦那様のお古なりと頂戴して着ます。そうすれば、お給金も頂戴するには及びません」「いや、そうではない。私は知行千石だが、飯と汁よりほか食べない積もりで、何も入り用はないので、家来どもには給金を出し、家内の入用を引いて、残りはお上へ差し上げるよりほかに考えはない。そなたたちは妻子を養育する身だから、給金は遣わすので、そのように心得よ」と言われたので、ありがたい幸せに存じますと、皆がお受けした。 さてまた木工が、「親類衆はいよいよ義絶してくださいますか」と言うと、「いや、我々も噓は一切申しません」「いや、皆様のご家内のことはご勝手次第にしてください。皆様さえ噓を止められれば、私の邪魔になる筋はございませんから、義絶には及びません」「それはかたじけないことです」と互いに挨拶して、親類衆もそれぞれ帰宅された。このように、江戸から帰国早々、家内と自分の親類を最初に固められたことは、前代未聞の賢人である。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
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日暮硯・『日暮硯』親類・妻子・家来に暇を出す一、木工はそれより、江戶役人と書付を取替し候て、歸國の上、自分の親類を殘らず呼び集め、「先づ以て手前儀、此の度江戶表に於て、御當家御親類樣方御列席にて、勘略の役儀仰せ付けられ候故、達て御辭退申上候へども、御免もこれ無き故、お請け申上げ、歸國致し候、手前が一生の浮沈、此の時節に到來と申すものにて候間、何れにも是非なき事と思召し、向後、義絕成し下さるべく候、此段何れも御意得たく、申し入れ候事に御座候。扨て女房共、子供家來共も、殘らず是へ出でよ、此の度の役儀に付、女房には暇を遣すべく候間、親元へ立ち戾らるべく候、子供は勘當致し候間、何方なりとも立ち退き申すべく候、家來共は、殘らず暇吳れ候間、何方へなりとも奉公相きめ申すべく候、入用にて、欲しき品は吳れ候間、持ち去り申すべしと申し渡され候」其時內室より、「私共子供家來まで、如何樣なる不屆御座候て御暇被下候事に候や」と被相尋候へば、「イヤ、何も不屆なる儀は無之候へ共、此の度の役儀に付、邪魔の筋これ有り候故、暇遣すべく候、外に何にても仔細の有る事にては曾てこれ無く候」と申され候。其の時に親類中申さるゝには、「ナント木工殿には狂氣にても成され候や、いかに勘略奉行仰せ付けられ候とても、親類を義絕し內室を離別し、子供衆を勘當し、家來中へ暇を遣はされ、以後は御一人にても相濟み申まじく候が、如何樣なる御了簡に候哉、甚だ心元なく存候」「イヤ狂氣も仕らず候へ共、先に申す通り、此の度の役目に付、邪魔になり候故、暇遣し候。成る程手前一人にては、不相濟候間、又外の者召抱なりとも致すべく候」其の時內室申されるは、「御役儀に付、邪魔になれば、其の譯を承りたく、得心させて下され候はゞ隨分お暇も貰ひ申すべく候へ共、譯を仰せられず候ては、親元へ戾り、何と申し譯仕るべきや、子供へも譯を仰せられ、得心させて御勘當成し下さるべく」と、涙を流し申され候へば、親類中も、御內室の申さるゝ通り、親類中も御役儀に障り候譯を仰せ聞かされ候はゞ、義絕も可致候、先づ其の譯を仰せ聞けられよと申され候。
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日暮硯・『日暮硯』噓を言わぬための条件木工申され候は、「譯を申したりとも、皆々得心これ有る間敷、申すも無益と差し控へ候へども、各々達て譯を聞くとの事なれば、成る程申すべく候。先づ第一手前、向後噓を一切申さゞる合點に候、然るに女房を初め、子供竝びに家來共、親類中、噓を申され候へば、木工はうそを言はぬと申さるれども、親しき親類を初め、家內のものがあの通りなれば、木工からして合點ゆかずと人は疑ひ申すべく候、さすれば此役儀も相勤り申さず候、依つて女房を去り、子供を勘當し、家來に暇を遣し、親類中と義絕致す事に候。其の上、平生飯と汁より外は、香の物も菜なれば給べ申さぬつもりにて候、又着物も、直ぐに木棉と思へども、有る物をおいて新しくこしらへ候も費へ故、ある物は着て新らしく拵へ候節は、木棉ものゝ外は着用致さゞるつもりに候、女房共は、定めて唯今の通り、噓も言ひたかるべく、菜も喰べたかるべく、木棉物は着にくかるべし、然れば女房にしては置き難く候間、早く親元へ立歸るべし」と申され候、其時內室申され候には、「噓を言はず、飯と汁より外は給べず、木棉さへ着候へば、離別せずとも御邪魔には相成らず候や」、「如何にも其の通り」、「左候はゞ、噓も申すまじく、飯と汁より外は菜も給べ申間じく、木棉物も着申すべく候間、矢張り御差置下され候樣願ひ奉る」と申され候へば、
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日暮硯・『日暮硯』御用金を元金で子孫へ扨て又木工、御用金差し上げ候者へ、「金子御返濟成されたきものなれども、皆々知りたる通り、元來無き物なれば、只今返濟はならぬなり、斯くいふは、如何はしけれども、人の身代は、唯今良くても、若し不仕合なれば、子孫は貧乏に成るもしれず、左樣の節は利足を加へて返濟致したきものなれども、其の儀相協はぬ故、元金にて子孫へ下され候樣致すべく候、只今其の金子其方になければ、身代が潰れるといふ程にも有るまじければ、子孫の爲に、元金にて、御前樣へ御預け申し上げたと思うて吳れよ、是は皆への無心なり」と申され候へば、皆々「有り難き仕合に存じ奉り候、御上の御用にて差し上げ候金子の事なれば、一向御貰ひ申す所存は御座なく候處に、子孫難儀の節は、御返し下さるべしとの御事、此上もなき御慈悲、生々世々有り難き御厚恩に御座候」と、皆々、感涙を流して御禮を申上げければ、木工「いづれも手前が申す事、得心して滿足なり、扨て又重ねて出候節は、手前を初めとして、一家中唯今まで惡かりし事、遠慮なく、殘らず書付に相認め、篤と封じ差出すべし」と申され候へば、畏り奉り候と申して、皆々うれしがり歸宅いたし候。 評に曰、老職を初めとして、木工が器量を見て感心して居られしが、此の時に至り皆々さつと色を變じて、退出せしとなり。
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日暮硯・『日暮硯』勝手は直ると殿へ言上扨て百姓相談の上、名主、長百姓等、御役所へ罷り出で、「先達て仰せ渡され候趣、惣百姓へ申し聞け候處、皆々有難がり候て、當年貢の儀は勿論、二年分なりとも差し上げ申すべく候間、何時なりとも御用次第に仰せ付け下され候樣仕りたくと一同相願ひ申候間、左樣思召下さるべく候」と申上候へば、木工殿申され候は、「先づ以て手前が申す趣き、惣百姓迄、皆々得心し吳れ、甚だ滿足致し候、皆のかげにて、手前も首尾よく御役相勤め、痛い目にも逢はず、皆是れ百姓中のかげなり、過分千萬に存じ候、それのみならず二年分なりとも上納致すべしとの事、惣百姓の志、上聞に達しなば、御前もさぞ御滿足遊ばさるべし、去り乍ら、當御年貢さへ納めて吳れば十分に候、二年分上納には及ばず候、惣百姓中の志、過分千萬、殘らず上聞に達すべく候間、其の段、能々申し聞けべく候、さて又皆々、隨分家業に油斷なく出精すべし、家業に疎なるものは天下の罪人なり、家業を出精して餘分あらば、分限相應の樂みは如何なる儀にても苦しからず候、家業に出精の上たのしむ事ならば、慰みには、淨瑠璃、三味線、博奕なりとも、好きたる事をして樂むべし、然し博奕は、天下一統御法度なり、若し商賣に致すものこれ有るに於ては、屹度曲事に申し付くべし、吳々も博奕を商賣に致す儀は、公儀御法度なれば、屹度相愼み申すべく候、慰みに致す分は苦しからず候間、豫て左樣可相心得候、すべて人は、分限相應の樂みがなくては、精も出で難きものなり、精も出すべし、樂みもすべし、其の上第一に信心もすべし、神佛を信仰する心なくば、さいなん多きものなり、依つて神佛を能く信仰して、現當二世を祈るべし、偖て又先達て申し付け候書付、相認め、持參致候や」と申され候へば、「成る程、持參仕候」と差出す、「手前が見るにあらず、御前の御覽に入れるなり、皆々歸つて出精せよ」とて、一同を歸されける。其の後木工、御前へ出で申し上げ候は、先づ以て御悅び遊ばさるべく候、御勝手は十分に相直り申すべく候。其の譯は、御借用金は殘らず橫に寢て仕舞ひ、無借金となり候上に、當年より十萬石、丸々納り(月割故也)一粒が損失御座なく候筈故、御勝手は、十分に相調ひ申し候上に、一人も御上を御恨み申す者御座なく、却つて有り難がり候て、御年貢は二年分なりとも差し上げ申すべしと申し、當月より滯りなく御年貢上納仕る筈に御座候、是れ皆御前の御仁心深き故の御尊德に御座候」と申上げれば、御前にも殊の外御滿足にて、「是れ我が德にあらず、皆其の方の働き、莫大の勳功、金石にも銘ずべき忠勤なり」と御稱美遊ばされ候へば、木工は有り難き御意を謝し、「扨て又是は百姓共相認候ものに御座候間、ひそかに御覽遊ばさるべく候」と申上げ、封書を呈し退出す。
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日暮硯・『日暮硯』全員の書付を求める木工皆々內心には其の意を得ざる事とは存じながら、畏り奉り候とお請け申し上げ候。時に木工、進み出で、頭を席に付け申上げ候には、「御親類樣方、御相談の上にて、私儀へ大役仰せ付けられ候儀、千萬難有仕合に存じ奉り候、それにつき、御直に御訴訟申上候事、近頃恐れ多き儀には御座候へ共、又々の御寄合ひ、何時とも計り難く存候に付、憚りを顧みず、御直に御訴訟申し上げ候、私躰の者、右の役儀相勤め申すべき儀にては決して御座なく候間、幾重にも御免成し下され候樣願上奉り候」と申し上ぐれば、御一同、又々仰せられしは、豆州殿御勝手御不如意は、公儀迄も知れたる程の事故、假令此の上なほらぬ迚も、不動め不調法には相成らず候、相働き見候上にて、役儀相勤まらざる譯これ有り候はば格別、只今辭退致し候は、却て不忠と云ふものなり、依つて先づ相勤め申すべくと重ねて嚴しく被仰付候、木工、「此の上御訴訟申し上げ候は、却つて不忠との御意、奉畏入候、何分にも奉畏候」と御請申上げ候へば、皆々御滿足にて、右に付、何ぞ願の筋有らば、此の序でに遠慮なく相願ひ申すべき旨、重て仰せられ候「重々難有仕合奉存候、然らば御意に任せ奉願上候、右の役儀相勤め候に付て、若し拙者申す儀を左樣にはならぬ抔と申す者御座候ては、此の役儀相勤り申さず候間老分の者を初め、諸役人中へ、拙者申す儀は、何事に依らず、相背き申すまじくと申す書付を致し、渡しくれ候樣、御配慮願ひ上げ候、其の代りには、私方よりも、若し拙者致し方に、不忠の儀御座候はゞ、如何樣にも御仕置成さるべく候、其の節お恨み申間じくと申す誓詞をば相渡し申すべく候」と申上候へば、尤もの願ひとの仰せにて、右木工申す通り、皆々、殘らず書付いたし、木工へ相渡し申ずべき旨仰せ渡され候故、皆々、畏まり奉り候と御請申上候。