日暮硯 / 『日暮硯』噓を言わず、二度変えない
一、扨て其の定日に至れば、御家老を初め、役人中、殘らず、御殿大廣間へ出席、恩田木工殿、中央に坐し、百姓共を呼び出され、申し渡され候趣は、「皆々、先達て聞き及びの通り、手前儀を江戶表へ召され、御親類樣方御列座にて、勘略奉行仰せ付けられ候、只管御辭退申上候へ共、御免これ無きに付、據なく御請は申し上げたれども、自分の働きにて此の役儀、相勤まり候事、思ひも寄らず、今日は、一同の者と、篤と相談いたしたく呼び寄せ候間、先づ手前の申す儀を、一と通り聞き、其の上、皆々存じ寄りを申すべく候、偖て殿樣の御勝手、其だしく御不如意の爲め、唯今まで御領分の者共も、殊の外難儀いたし候上に、此度手前、又勘略奉行に相成り候へば、猶以て御領分中の難儀に相成り申す事これ有るべく、氣の毒なる事に候、就ては第一に、手前儀は向後、噓言を一切言はざる積りにて、申付けたる事、二度變替は致さず候間、此の段豫て皆々、しかと相心得居り申すべく候。猶又向後一同の者も、手前と肌を合せ、萬事相談して吳れざれば、勘略は出來申さず、手前儀も御役目相勤まらず候間、何事も心安く、手前と相談づくにして貰ひたし、是が第一に皆々へ、手前より賴みなり。尙此の上手前申す儀を、皆々得心致しくれ候へば、役儀も相勤り候へ共、若し皆々、不得心なれば、手前役儀は相勤まらず候間、切腹致すより外これ無く候、手前に首尾よく役儀勤めさせ吳れるも、切腹さするも、皆々の了簡次第なり、如何致し吳れ申すべきや、皆々の所存を聞きたく候。然し、唯斯樣にばかり申しては、皆々、返答も出來まじく、今日は先づ手前が申す事を、よく〱聞き覺えて宅へ歸り、惣百姓と篤と相談して、追て返答して吳れよ。
新字:一、扨て其の定日に至れば、御家老を初め、役人中、残らず、御殿大広間へ出席、恩田木工殿、中央に坐し、百姓共を呼び出され、申し渡され候趣は、「皆々、先達て聞き及びの通り、手前儀を江戸表へ召され、御親類様方御列座にて、勘略奉行仰せ付けられ候、只管御辞退申上候へ共、御免これ無きに付、拠なく御請は申し上げたれども、自分の働きにて此の役儀、相勤まり候事、思ひも寄らず、今日は、一同の者と、篤と相談いたしたく呼び寄せ候間、先づ手前の申す儀を、一と通り聞き、其の上、皆々存じ寄りを申すべく候、偖て殿様の御勝手、其だしく御不如意の為め、唯今まで御領分の者共も、殊の外難儀いたし候上に、此度手前、又勘略奉行に相成り候へば、猶以て御領分中の難儀に相成り申す事これ有るべく、気の毒なる事に候、就ては第一に、手前儀は向後、噓言を一切言はざる積りにて、申付けたる事、二度変替は致さず候間、此の段予て皆々、しかと相心得居り申すべく候。猶又向後一同の者も、手前と肌を合せ、万事相談して呉れざれば、勘略は出来申さず、手前儀も御役目相勤まらず候間、何事も心安く、手前と相談づくにして貰ひたし、是が第一に皆々へ、手前より頼みなり。尚此の上手前申す儀を、皆々得心致しくれ候へば、役儀も相勤り候へ共、若し皆々、不得心なれば、手前役儀は相勤まらず候間、切腹致すより外これ無く候、手前に首尾よく役儀勤めさせ呉れるも、切腹さするも、皆々の了簡次第なり、如何致し呉れ申すべきや、皆々の所存を聞きたく候。然し、唯斯様にばかり申しては、皆々、返答も出来まじく、今日は先づ手前が申す事を、よく〱聞き覚えて宅へ帰り、惣百姓と篤と相談して、追て返答して呉れよ。
書き下し
一、扨て其の定日に至れば、御家老を初め、役人中、殘らず、御殿大廣間へ出席、恩田木工殿、中央に坐し、百姓共を呼び出され、申し渡され候趣は、「皆々、先達て聞き及びの通り、手前儀を江戶表へ召され、御親類樣方御列座にて、勘略奉行仰せ付けられ候、只管御辭退申上候へ共、御免これ無きに付、據なく御請は申し上げたれども、自分の働きにて此の役儀、相勤まり候事、思ひも寄らず、今日は、一同の者と、篤と相談いたしたく呼び寄せ候間、先づ手前の申す儀を、一と通り聞き、其の上、皆々存じ寄りを申すべく候、偖て殿樣の御勝手、其だしく御不如意の爲め、唯今まで御領分の者共も、殊の外難儀いたし候上に、此度手前、又勘略奉行に相成り候へば、猶以て御領分中の難儀に相成り申す事これ有るべく、氣の毒なる事に候、就ては第一に、手前儀は向後、噓言を一切言はざる積りにて、申付けたる事、二度變替は致さず候間、此の段豫て皆々、しかと相心得居り申すべく候。猶又向後一同の者も、手前と肌を合せ、萬事相談して吳れざれば、勘略は出來申さず、手前儀も御役目相勤まらず候間、何事も心安く、手前と相談づくにして貰ひたし、是が第一に皆々へ、手前より賴みなり。尙此の上手前申す儀を、皆々得心致しくれ候へば、役儀も相勤り候へ共、若し皆々、不得心なれば、手前役儀は相勤まらず候間、切腹致すより外これ無く候、手前に首尾よく役儀勤めさせ吳れるも、切腹さするも、皆々の了簡次第なり、如何致し吳れ申すべきや、皆々の所存を聞きたく候。然し、唯斯樣にばかり申しては、皆々、返答も出來まじく、今日は先づ手前が申す事を、よく〱聞き覺えて宅へ歸り、惣百姓と篤と相談して、追て返答して吳れよ。
現代語訳
さて、その定めの日になると、ご家老をはじめ、役人たちは残らず御殿の大広間に出席し、恩田木工殿が中央に座り、百姓たちを呼び出して申し渡された趣旨は、「皆、先日聞き及んだ通り、私は江戸表に召され、ご親類衆のご列席で、勘略奉行を仰せ付けられた。ひたすらご辞退申し上げたがお許しがなく、やむを得ずお受けしたが、自分の働きでこの役目が勤まるなどとは思いもよらない。今日は、一同の者と十分に相談したく呼び寄せたので、まず私の申すことを一通り聞き、そのうえで皆の考えを申すがよい。さて、殿様のお勝手が甚だしく不如意のため、今まで領分の者たちも格別に難儀してきた上に、このたび私がまた勘略奉行になれば、なおいっそう領分中の難儀になることがあるだろう。気の毒なことである。そこで第一に、私は今後、噓を一切言わない積もりで、申し付けたことは二度と変更しないので、このことを前もって皆よく心得ておくように。さらに、今後は一同の者も、私と肌を合わせ、万事相談してくれなければ、勘略はできず、私も役目が勤まらないので、何事も気安く、私と相談づくにしてもらいたい。これが第一に皆へ私から頼みである。なおこの上、私が申すことを皆が得心してくれれば役目も勤まるが、もし皆が不得心なら、私の役目は勤まらないので、切腹するよりほかはない。私に首尾よく役目を勤めさせるのも、切腹させるのも、皆の考え次第である。どうしてくれるだろうか、皆の所存を聞きたい。ただ、このようにばかり言っても、皆は返答もできないだろうから、今日はまず私の言うことをよくよく聞き覚えて家に帰り、惣百姓とよく相談して、追って返答してくれ。
解説

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