日暮硯 / 『日暮硯』政道への取りかかりと触れ
一、其の後、殿、御歸城に相成候へば、木工御前へ出で「御歸城を待ち、未だ政道には取かゝり申さず候、何れ近日より、政道に取り掛り申すべく候」と言上致され候へば、其方勝手次第、一日も早く政道仕候樣にと仰せられ候、「畏り奉り候」と御請け申上げ、木工夫より國の政道にかゝられ候、其の仕方左の如し。 一まづ、何月何日何時、庄屋共、長百姓、小百姓の內、能く物言ふ者を召し連れ罷り出づべき旨、御領分中へ、遍く相觸られ候、又御用金差上候者、及び御年貢未進仕り候者も、殘らず召し出さるゝ旨、相觸られ候。 一町人、庄屋、組頭、平町人へも、右同樣に相觸られ候。 一老職、竝びに諸役人中へも、御領分中へ政道の儀御談し申すべく候間、何れも大儀ながら、御列座成し下さるべき旨、申達せられ候。
新字:一、其の後、殿、御帰城に相成候へば、木工御前へ出で「御帰城を待ち、未だ政道には取かゝり申さず候、何れ近日より、政道に取り掛り申すべく候」と言上致され候へば、其方勝手次第、一日も早く政道仕候様にと仰せられ候、「畏り奉り候」と御請け申上げ、木工夫より国の政道にかゝられ候、其の仕方左の如し。 一まづ、何月何日何時、庄屋共、長百姓、小百姓の内、能く物言ふ者を召し連れ罷り出づべき旨、御領分中へ、遍く相触られ候、又御用金差上候者、及び御年貢未進仕り候者も、残らず召し出さるゝ旨、相触られ候。 一町人、庄屋、組頭、平町人へも、右同様に相触られ候。 一老職、並びに諸役人中へも、御領分中へ政道の儀御談し申すべく候間、何れも大儀ながら、御列座成し下さるべき旨、申達せられ候。
書き下し
一、其の後、殿、御歸城に相成候へば、木工御前へ出で「御歸城を待ち、未だ政道には取かゝり申さず候、何れ近日より、政道に取り掛り申すべく候」と言上致され候へば、其方勝手次第、一日も早く政道仕候樣にと仰せられ候、「畏り奉り候」と御請け申上げ、木工夫より國の政道にかゝられ候、其の仕方左の如し。 一まづ、何月何日何時、庄屋共、長百姓、小百姓の內、能く物言ふ者を召し連れ罷り出づべき旨、御領分中へ、遍く相觸られ候、又御用金差上候者、及び御年貢未進仕り候者も、殘らず召し出さるゝ旨、相觸られ候。 一町人、庄屋、組頭、平町人へも、右同樣に相觸られ候。 一老職、竝びに諸役人中へも、御領分中へ政道の儀御談し申すべく候間、何れも大儀ながら、御列座成し下さるべき旨、申達せられ候。
現代語訳
一、その後、殿がご帰城になると、木工は御前に出て、「ご帰城を待ち、まだ政道には取りかかっておりません。近日中から政道に取りかかります」と言上されたところ、そなたの勝手次第、一日も早く政道を行うようにと仰せられたので、「かしこまりました」とお受け申し上げ、木工はそれから国の政道にかかられた。その仕方は次の通りである。 一、まず、何月何日何時、庄屋たち、長百姓、小百姓のうち、よく物を言う者を連れて出頭するようにと、ご領分中へ広くお触れになった。また、御用金を差し上げた者、および年貢の未進(未納)をしている者も、残らず召し出すとお触れになった。 一、町人、庄屋、組頭、平町人へも、同様にお触れになった。 一、老職、および諸役人中へも、ご領分中へ政道のことをお話し申し上げるので、皆様、ご面倒ながらご列座くださるようにと、申し達せられた。
解説

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日暮硯・『日暮硯』先納を損にしてもらう無心一、木工詞を改め「先納、先々納まで差し上げ候者へ申す、是は何卒御返濟成されたきものなれども、皆々知りたる通り、何も無き故、其儀もならず、今聞く通り、未進の分を皆吳て仕舞ふたれば、彌よ以て先納方へは返濟出來ぬなり、依つて只今迄先納したる分は、御上の取り德とし、お身達の方は差上げ損にして吳れよ、此段は手前が皆への無心なり、得心して吳れやうや如何」「畏り奉り候、向後先納、先々納仰付けられまじくと先刻仰せ渡され候上は、唯今迄差上候分は、一粒も御貰ひ申す所存御座なく候間、左樣思召下され度」「先づ以て皆々、得心して吳れて千萬辱けなし、其の代りに、一つの無心あり、此の事は今日直ちに返答も成る間敷候故、宿へ戾り、惣百姓へ申し聞かせ、熟談の上にて返答してくれよ、其の無心といふは右先納、先々納を損にして、其の上に當年の分を上納して吳れよ、然なくては殿樣一向御取り續き成され難く候、お身達が得心して吳れねば、手前切腹といふはこゝの事なり、お身達も算用知るかしらね共、手前は算者に積らせ、自分にも當つて見たるに、願ひ事等に付、御領分中の者共より、諸役人へ賄賂を遣す事、一年中錢につもりて百石につき何程なり、扨て又年中の諸役に、人足手間費の費ゆる事、錢につもりて百石に付何程なり、又九百人の足輕を、年貢催促に出すも月々の事故、其の物入りも年中には百石に付何程になる。此三品分を算盤に上げて見れば、年貢の內、凡そ七分程に相成る、今迄は是だけ皆無駄に成り、御上の御爲にはならず、百姓方の費へと言ふ物、お身達の損毛なり。此の損毛七分の上に三分足せば、當年貢は相濟むわけなり、此處を惣百姓へ申し聞せ吳れよ、僅か三分足せば、當年貢は濟み候間、當月より都合にて、月割上納なり、御年貢上納にして納めて吳れよ、此の段が手前より、惣百姓へ據なき無心なり、皆々の所存次第にして、手前に首尾能く役儀勤めさせ吳れるか、又は切腹させ候か、皆々の了簡次第なり、何卒此の譯を能々皆々へ言ひ聞かせ、篤と熟談の上、追て返答して吳れよ」と申され候へば、皆々、「畏り奉り候、今日直に御請け申上たく存じ候へ共、返す返すも惣百姓へ申し聞かせ候樣にと仰せられ候故、罷り歸り、有り難き御政道の趣を、惣百姓へ申し聞け、悅ばせ候上、重ねて御請け申上ぐべく候」と皆々同音に答へける。
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日暮硯・『日暮硯』勝手は直ると殿へ言上扨て百姓相談の上、名主、長百姓等、御役所へ罷り出で、「先達て仰せ渡され候趣、惣百姓へ申し聞け候處、皆々有難がり候て、當年貢の儀は勿論、二年分なりとも差し上げ申すべく候間、何時なりとも御用次第に仰せ付け下され候樣仕りたくと一同相願ひ申候間、左樣思召下さるべく候」と申上候へば、木工殿申され候は、「先づ以て手前が申す趣き、惣百姓迄、皆々得心し吳れ、甚だ滿足致し候、皆のかげにて、手前も首尾よく御役相勤め、痛い目にも逢はず、皆是れ百姓中のかげなり、過分千萬に存じ候、それのみならず二年分なりとも上納致すべしとの事、惣百姓の志、上聞に達しなば、御前もさぞ御滿足遊ばさるべし、去り乍ら、當御年貢さへ納めて吳れば十分に候、二年分上納には及ばず候、惣百姓中の志、過分千萬、殘らず上聞に達すべく候間、其の段、能々申し聞けべく候、さて又皆々、隨分家業に油斷なく出精すべし、家業に疎なるものは天下の罪人なり、家業を出精して餘分あらば、分限相應の樂みは如何なる儀にても苦しからず候、家業に出精の上たのしむ事ならば、慰みには、淨瑠璃、三味線、博奕なりとも、好きたる事をして樂むべし、然し博奕は、天下一統御法度なり、若し商賣に致すものこれ有るに於ては、屹度曲事に申し付くべし、吳々も博奕を商賣に致す儀は、公儀御法度なれば、屹度相愼み申すべく候、慰みに致す分は苦しからず候間、豫て左樣可相心得候、すべて人は、分限相應の樂みがなくては、精も出で難きものなり、精も出すべし、樂みもすべし、其の上第一に信心もすべし、神佛を信仰する心なくば、さいなん多きものなり、依つて神佛を能く信仰して、現當二世を祈るべし、偖て又先達て申し付け候書付、相認め、持參致候や」と申され候へば、「成る程、持參仕候」と差出す、「手前が見るにあらず、御前の御覽に入れるなり、皆々歸つて出精せよ」とて、一同を歸されける。其の後木工、御前へ出で申し上げ候は、先づ以て御悅び遊ばさるべく候、御勝手は十分に相直り申すべく候。其の譯は、御借用金は殘らず橫に寢て仕舞ひ、無借金となり候上に、當年より十萬石、丸々納り(月割故也)一粒が損失御座なく候筈故、御勝手は、十分に相調ひ申し候上に、一人も御上を御恨み申す者御座なく、却つて有り難がり候て、御年貢は二年分なりとも差し上げ申すべしと申し、當月より滯りなく御年貢上納仕る筈に御座候、是れ皆御前の御仁心深き故の御尊德に御座候」と申上げれば、御前にも殊の外御滿足にて、「是れ我が德にあらず、皆其の方の働き、莫大の勳功、金石にも銘ずべき忠勤なり」と御稱美遊ばされ候へば、木工は有り難き御意を謝し、「扨て又是は百姓共相認候ものに御座候間、ひそかに御覽遊ばさるべく候」と申上げ、封書を呈し退出す。
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日暮硯・『日暮硯』噓を言わず、二度変えない一、扨て其の定日に至れば、御家老を初め、役人中、殘らず、御殿大廣間へ出席、恩田木工殿、中央に坐し、百姓共を呼び出され、申し渡され候趣は、「皆々、先達て聞き及びの通り、手前儀を江戶表へ召され、御親類樣方御列座にて、勘略奉行仰せ付けられ候、只管御辭退申上候へ共、御免これ無きに付、據なく御請は申し上げたれども、自分の働きにて此の役儀、相勤まり候事、思ひも寄らず、今日は、一同の者と、篤と相談いたしたく呼び寄せ候間、先づ手前の申す儀を、一と通り聞き、其の上、皆々存じ寄りを申すべく候、偖て殿樣の御勝手、其だしく御不如意の爲め、唯今まで御領分の者共も、殊の外難儀いたし候上に、此度手前、又勘略奉行に相成り候へば、猶以て御領分中の難儀に相成り申す事これ有るべく、氣の毒なる事に候、就ては第一に、手前儀は向後、噓言を一切言はざる積りにて、申付けたる事、二度變替は致さず候間、此の段豫て皆々、しかと相心得居り申すべく候。猶又向後一同の者も、手前と肌を合せ、萬事相談して吳れざれば、勘略は出來申さず、手前儀も御役目相勤まらず候間、何事も心安く、手前と相談づくにして貰ひたし、是が第一に皆々へ、手前より賴みなり。尙此の上手前申す儀を、皆々得心致しくれ候へば、役儀も相勤り候へ共、若し皆々、不得心なれば、手前役儀は相勤まらず候間、切腹致すより外これ無く候、手前に首尾よく役儀勤めさせ吳れるも、切腹さするも、皆々の了簡次第なり、如何致し吳れ申すべきや、皆々の所存を聞きたく候。然し、唯斯樣にばかり申しては、皆々、返答も出來まじく、今日は先づ手前が申す事を、よく〱聞き覺えて宅へ歸り、惣百姓と篤と相談して、追て返答して吳れよ。
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日暮硯・『日暮硯』役人に告げる方針と遊びの許し一、夫より木工、又老職を初めとし、諸役人を極められ、誓紙の取り替し相濟みし上申され候は、各々御存じの通り江戶表に於て、拙者へ勘略奉行被仰付候へ共、元來不調法者ゆへ、私一人にて中々相勤り候筈御座なく候間、萬事お心添へ下さるべく候、扨て又、いかに勘略を致せばとて、只今の通り、殿樣召し上られ候ものは勿論其の外御前向き御用の節は、一向勘略相成り申すまじく候、十萬石相應に致さず候ては、相濟ざる事に候、外々の儀に付、萬事費へなる事は隨分勘略致すべき事に候へ共、御前向きの儀は、古來の通り致すべく候間、各々左樣にお心得成さるべく候扨て又、各々方を初め、下々まで、只今までは、御知行に步一の引けこれ有り候へ共、手前役儀の內は、一向步一も引き申さず、本高の通り、月々屹度御渡し申すべく候間、左樣に御心得成さるべく候、其の代りに、御奉公屹と相勤めらるべく候、既に下され候知行、一向引なしに被下候上は、御奉公に少々の麁略これあり候ても拙者が免し申さず、屹度曲事に申し付くべく候間、各々方下役、下支配まで、此の段、屹と仰せ觸れらるべく候、右の通り、御奉公大切に御勤めの上は、非番の節は何なりとも御銘々、好きたる事をしてお樂しみ成さるべく候、詩歌、俳諧、謠、鼓等は勿論、淨瑠璃、三味線、慰めには、博奕なりとも、御奉公屹度お勤めの上、餘分有りて致さるゝ事なれば、如何之儀にても苦しからず候、人は各々相應の樂しみこれ無く候ては、平生屹と勤り不申候間、隨分、分に應じ、たのしみも致さるべく候、勘略の儀も、急々には致し方も御座無く候間、先づ諸事只今迄の通り致さるべく候と申し渡され候て、公の御歸城を相待ち居られ、其の間に、萬事工夫致され候由なり。
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日暮硯・『日暮硯』賄賂・足軽・諸役の免除其の相談する趣は、第一先にも申す通り、手前儀うそを言はざる積り故、申したる事、再び變改致さず候間、左樣心得て吳れよ、若しうそを言はざれば、皆々の爲にあしかるべきや、いかゞ思ふや」と尋ねられしに、皆々「只今迄御役人樣、うそを仰せられ、御だまし成され候爲め、難儀仕り候、向後、一度仰せられ候事再び御變改遊ばされずとの仰せは、千萬有り難き仕合せに御座候」と申し上げ候へば、「然らば先づ其の儀は皆々得心してくれ、手前も滿足なり、扨て手前儀、祝儀愁歎に依らず、惣じて音物は一向受けず候間、何程輕き品たりとも、向後持參無用に致すべく候、それ共賄賂を取らざれば、皆々難儀すべきや」「有り難き思召に御座候」「巳後皆々、願ひの筋は、手前承り屆け候に付、外へ賄賂を遣すに及ばず、惣じて諸役人中へも向後進物致し候こと、堅く無用に致すべく候」「畏り候」「然らば此の儀も、皆々得心にて、滿足致し候。扨て次に、只今まで、千人の足輕の內、百人は所々の番人等に殘し置き、九百人を月々在方へ年貢催促に差出し候由、左樣に候や」「成る程左樣にて御座候」「其の足輕、向後は一人も出さぬ積りなれば、左樣に相心得べし、それ共、出し付けたものを出さずに置き候ては、皆々難儀致すべきや如何」「其の儀は猶以て有り難き御事に御座候、御足輕衆、在方に御出候ては、御年貢ばかりにてこれ無く、五日も七日も逗留の上、荒びられ候に付、諸人難儀仕り候處、一人も御出し成され間敷との事、千萬有り難き仕合せに存じ奉り候」「然らば此の儀も、皆々得心にて滿足なり。扨て次に、手前儀も、永き事は計り難く、先づ五ヶ年程は此の役儀相勤め候積り故其の間、地方普請等の儀は格別、百姓共上へ相勤め候諸役は、一切免じ候積りに付左樣に相心得べく候、それ共皆々、役儀に出でず候ては、難儀なるべきや如何」「諸役共に御免とは、重々有り難き仕合に御座候」「然らば此儀も皆々得心致し候て、滿足なり、是れまで手前が申せし事、皆々得心にて、滿足致し候。然らば其の方等申す通りに相心得異存なきや」「畏り奉り候」「偖是より次の段は、一層皆々と能く相談せねば成らぬ事なり、皆能く聞いて吳れよ」と言へば「畏り奉り候」と平伏す。
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日暮硯・『日暮硯』百姓が村で伝える喜び一、扨て百姓共、歸宅の上、村々にて惣百姓を集めて、今日木工殿仰せ渡され候趣は個樣々々と逐一に申し聞かせたれば、皆々承り、「アノ足輕共の在方へ出て荒びるには困り果たるに、向後一人も出す間敷とあれば、是ばかりにても有り難き事なるに其の上諸役迄御免との御事なれば、當年貢は勿論、たとひ二年分の御年貢にても差し上げ候て苦しからず、早く御請け申し上げ、木工殿の御安心成され候樣成し下され候へ」と、一同悅びてぞ答へける。名主組頭等挨拶には、「皆々得心とありて、御役所へ罷り出で、御請申上ぐる手前どもまで、面眉を開くと申すものにて、甚だ大慶なり、就ては木工殿の仰せられたる書付を認め、封じて差出すべし」とあれば今迄の意趣はらしは此時なりと、闇夜に月の出たる如く、面々の胸の曇は是より晴れて、行く末安樂成るべしと悅び勇まぬものもなく、皆々、書付を認めける。