碧巌録 / 第八十三則
舉。雲門示眾云。古佛與露柱相交。是第幾機自代云南山起雲北山下雨。
新字:舉。雲門示衆云。古仏与露柱相交。是第幾機自代云南山起雲北山下雨。
書き下し
挙す。雲門、衆に示して云く、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」。自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」。
現代語訳
取り上げる。雲門が修行僧たちに示して言った。「古仏と露柱(むき出しの柱)とが交わる。これは第何番目の機か」。誰も答えないので自ら代わって言った。「南の山に雲が起こり、北の山に雨が降る」。
解説
本則は雲門文偃が修行僧たちに投げかけた問いと、その自答である。古仏という最も尊いものと、寺の柱という無情の物とが交わるとは、聖と俗、心あるものと心なきものの区別が溶け合う境地を指す。雲門はそれが第何番目の機かと問い、誰も答えないので「南山に雲が起こり、北山に雨が降る」と自ら代わった。南の雲と北の雨は別々に見えて一つの天候である。物事を区分けして考えることに慣れた頭には、つながりそのものが見えにくい。部署や役割の違いの奥で起きている一つの動きを見る眼が問われているのである。
この章句が説くこと
公案分別一如雲門露柱自代
関連する章句
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『碧巌録』第八十三則雲門大師、八十余員の善知識を出す。遷化の後七十余年、塔を開いて之を観るに、儼然として故の如し。他の見地明白にして、機境迅速なり。大凡そ垂語・別語・代語、直下に孤峻なり。只だ這の公案、石火を撃つが如く、閃電光に似たり、直に是れ神出鬼没なり。慶蔵主云く、「一大蔵教に還た這般の説話有りや」と。如今の人、多く情解上に向つて活計を作して道ふ、「仏は是れ三界の導師、四生の慈父なり。既に是れ古仏ならば、什麼と為てか却つて露柱と相交はる」と。若し恁麼に会せば、卒に摸索不著ならん。有る者は喚んで無中に唱出すと作す。殊に知らず、宗師家の説話は、意識を絶し情量を絶し、生死を絶し法塵を絶し、正位に入つて更に一法をも存せざることを。爾纔かに道理計較を作さば、便ち脚を纏ひ手を纏はん。且く道へ、他の古人の意作麼生。但だ只だ心境一如ならしむれば、好悪是非、他を撼動し得ず。便ち有と説くも也た得、無と説くも也た得、有機も也た得、無機も也た得。這裏に到つては拍拍是れ令なり。五祖先師道ふ、「大小の雲門、元来胆小なり。若し是れ山僧ならば、只だ他に向つて第八機と道はん」と。他道ふ、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」と。一時間且く目前に向つて包裹す。僧問ふ、「未審、意旨如何」。門云く、「一条の絛、三十文にて買ふ」。他に乾坤を定むる底の眼有り。既に人の会する無し、後来自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」と。且く後学の与に箇の入路を通ず。所以に雪竇只だ他の乾坤を定むる処を拈じて人をして見せしむ。若し纔かに計較を犯して箇の鋒鋩を露はさば、則ち当面に蹉過せん。只だ他の雲門の宗旨を原ね、他の峻機を明らめんことを要す。所以に頌出して云く、
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