碧巌録 / 第六十二則
舉。雲門示眾云。乾坤之內宇宙之間中有一寶祕在形山拈燈籠向佛殿裏將三門來燈籠上。
新字:舉。雲門示衆云。乾坤之内宇宙之間中有一宝秘在形山拈灯籠向仏殿裏将三門来灯籠上。
書き下し
挙す。雲門示衆して云く、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、三門を将ち来たりて灯籠上に」。
現代語訳
取り上げる。雲門が示衆して言った。「天地の内、宇宙の間、その中に一つの宝があり、形ある山(この身)に秘められている。灯籠を取って仏殿の中へ向かい、山門を持ってきて灯籠の上に載せる」。
解説
雲門文偃の示衆である。前の四句は僧肇の『宝蔵論』からの引用で、天地の間に一つの宝があり、それはこの身という山に秘められていると説く。誰もが仏性を具えているという、よく知られた教えである。ところが雲門は続けて、灯籠を仏殿に持ち込み、山門を灯籠の上に載せるという、常識では理解できない句を添える。宝を理屈で理解して終わらせず、分別の届かないところへ突き放すためである。立派な理念を掲げるだけでは人は動かない。言葉の理解を壊す一言が、かえって本当の自覚を呼び起こすのである。
この章句が説くこと
一宝仏性公案分別雲門
関連する章句
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『碧巌録』第六十二則見ずや、鏡清、曹山に問ふ、「清虚の理、畢竟無身の時如何」。山云く、「理は即ち是くの如し、事は作麼生」。清云く、「理の如く事の如し」。山云く、「曹山一人を瞞ずることは即ち得たり、諸聖の眼を争奈何せん」。清云く、「若し諸聖の眼無くんば、争でか恁麼ならざることを知らん」。山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず」と。所以に道ふ、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す」と。大意は人人具足し箇箇円成することを明かす。雲門便ち拈じ来たりて衆に示す。已に是れ十分に現成す。更に座主の相似く爾が与に注解し去るべからず。他は慈悲もて更に爾が与に注脚を下して道ふ、「灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、三門を将ち来たりて灯籠上に」と。且く道へ、雲門恁麼に道ふ、意作麼生。見ずや、古人云く、「無明の実性即ち仏性、幻化の空身即ち法身」と。又云く、「凡心に即して仏心を見る」と。形山とは即ち是れ四大五蘊なり。中に一宝有り、形山に秘在す。所以に道ふ、「諸仏は心頭に在り、迷人は外に向かつて求む。内に無価の宝を懐きて識らず、一生休す」と。又道ふ、「仏性堂堂として顕現すれども、住相の有情は見難し。若し衆生の無我を悟らば、我が面何ぞ仏面に殊ならん。心は是れ本来の心、面は是れ娘生の面。劫石は移動すべきも、箇中は改変無し」と。
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『碧巌録』第六十二則雲門道ふ、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す」と。且く道へ、雲門の意は釣竿頭に在りや、意は灯籠上に在りや。此れは乃ち肇法師の宝蔵論の数句なり。雲門拈じ来たりて衆に示す。肇公、時に後秦の逍遥園に於いて論を造る。維摩経を写して、方に荘老の未だ其の妙を尽くさざることを知る。肇乃ち羅什を礼して師と為し、又瓦棺寺の跋陀婆羅菩薩に参ず。西天二十七祖の処より心印を伝へ来たる。肇深く其の堂奥に造る。肇一日難に遭ひ、刑に臨むの時、七日の假を乞ひて宝蔵論を造る。雲門便ち論中の四句を拈じて衆に示す。大意に云く、「如何んぞ無価の宝を以て陰界の中に隠在せしむる」と。論中の語言、皆宗門の説話と相符合す。
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『碧巌録』第六十二則雲門道ふ、「汝若し相当し去らば、且く箇の入路を覓めよ。微塵の諸仏は爾が脚跟下に在り、三蔵の聖教は爾が舌頭上に在り。悟り去るに如かず。和尚子、妄想すること莫かれ。天は是れ天、地は是れ地、山は是れ山、水は是れ水、僧は是れ僧、俗は是れ俗」。良久して云く、「我が与に面前の案山を拈じ来たれ、看ん」。便ち僧有り出でて問うて云く、「学人、山は是れ山、水は是れ水と見る時如何」。門云く、「三門什麼としてか這裏より過ぐる」。爾が死却せんことを恐れて、遂に手を以て劃一劃して云く、「識得する時は是れ醍醐の上味、若し識不得ならば反つて毒薬と為る」と。所以に道ふ、「了了として了する時、了すべき無し。玄玄たる玄の処、直に須らく呵すべし」と。雪竇又拈じて云く、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す。壁上に掛在す。達磨九年、敢へて正眼に覷著せず。而今衲僧見んと要せば、脊を劈いて便ち棒せん」と。看よ他の本分の宗師、終に実法を将て人を繋綴せず。玄沙云く、「羅籠すれども住まることを肯ぜず、呼喚すれども頭を回らさず」と。恁麼なりと雖然も、也た是れ霊亀の尾を曳くなり。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第六十二則有る者は只だ箇の昭昭霊霊を認めて宝と為す。只だ是れ其の用を得ず、亦其の妙を得ず。所以に動転不得、開撥不行なり。古人道ふ、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」と。「灯籠を拈じて仏殿裏に向かふ」、若し是れ常情ならば測度し得べし。「三門を将ち来たりて灯籠上に」、還た測度し得んや。雲門爾が与に一時に情識意想、得失是非を打破し了れり。雪竇道ふ、「我は愛す韶陽の新定の機、一生人の与に釘を抽き楔を抜く」と。又云く、「曲木位に拠ること幾何なるを知らん、利刃剪却して人をして愛せしむ」と。他道ふ、「灯籠を拈じて仏殿裏に向かふ」、這の一句已に截断し了れり。又「三門を将ち来たりて灯籠上に」。若し此の事を論ぜば、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。
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『碧巌録』第六十則挙す。雲門、拄杖を以て衆に示して云く、「拄杖子化して竜と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」。
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『碧巌録』第八十六則挙す。雲門垂語して云く、「人人尽く光明の在る有り、看る時見えずして暗昏昏。作麼生か是れ諸人の光明」。自ら代はりて云く、「厨庫三門」。又た云く、「好事も無きには如かず」。
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