碧巌録 / 第八十三則
南山雲 北山雨 四七二三面相覩新羅國裏曾上堂大唐國裏未打鼓苦中樂 樂中苦誰道黃金如糞土南山雲北山雨。雪竇買帽相頭。看風使帆。向劍刃上與爾下箇注脚。直得四七二三面相覩。也莫錯會。此只頌古佛與露柱相交。是第幾機了也。後面劈開路。打葛藤要見他意。新羅國裏曾上堂。大唐國裏未打鼓。雪竇向電轉星飛處便道。苦中樂樂中苦。雪竇似堆一堆七珍八寶。在這裏了。所以末後有這一句子。云。誰道黃金如糞土。此一句是禪月行路難詩。雪竇引來用。禪月云。山高海深人不測。古往今來轉青碧。淺近輕浮莫與交。地卑只解生荊棘。誰道黃金如糞土。張耳陳餘斷消息。行路難行路難。君自看。且莫土曠人稀。雲居羅漢。
新字:南山雲 北山雨 四七二三面相睹新羅国裏曽上堂大唐国裏未打鼓苦中楽 楽中苦誰道黄金如糞土南山雲北山雨。雪竇買帽相頭。看風使帆。向剣刃上与爾下箇注脚。直得四七二三面相睹。也莫錯会。此只頌古仏与露柱相交。是第幾機了也。後面劈開路。打葛藤要見他意。新羅国裏曽上堂。大唐国裏未打鼓。雪竇向電転星飛処便道。苦中楽楽中苦。雪竇似堆一堆七珍八宝。在這裏了。所以末後有這一句子。云。誰道黄金如糞土。此一句是禅月行路難詩。雪竇引来用。禅月云。山高海深人不測。古往今来転青碧。浅近軽浮莫与交。地卑只解生荊棘。誰道黄金如糞土。張耳陳余断消息。行路難行路難。君自看。且莫土曠人稀。雲居羅漢。
書き下し
南山の雲、北山の雨、四七二三面相覩る。新羅国裏曾て上堂し、大唐国裏未だ鼓を打たず。苦中の楽、楽中の苦、誰か道ふ黄金は糞土の如しと。南山の雲、北山の雨。雪竇、帽を買うて頭を相し、風を看て帆を使ひ、剣刃上に向つて爾が与に箇の注脚を下す。直に四七二三面相覩ることを得たり。也た錯つて会すること莫れ。此れは只だ古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞといふことを頌し了れり。後面は路を劈開し、葛藤を打して他の意を見んことを要す。新羅国裏曾て上堂し、大唐国裏未だ鼓を打たず。雪竇、電転星飛の処に向つて便ち道ふ、苦中の楽、楽中の苦と。雪竇、一堆の七珍八宝を堆みて這裏に在り了るに似たり。所以に末後に這の一句子有りて云く、「誰か道ふ黄金は糞土の如しと」。此の一句は是れ禅月の行路難の詩、雪竇引き来つて用ふ。禅月云く、「山高く海深くして人測らず、古往今来転た青碧なり。浅近軽浮には与に交はること莫れ、地卑くして只だ荊棘を生ずることを解するのみ。誰か道ふ黄金は糞土の如しと、張耳・陳余、消息を断つ。行路難、行路難、君自ら看よ」。且く土曠く人稀なりと莫れ、雲居の羅漢。
現代語訳
南の山の雲、北の山の雨、西天の四七と東土の二三の祖師たちが顔を突き合わせる。新羅の国ではとうに上堂したのに、大唐の国ではまだ太鼓も打っていない。苦の中の楽、楽の中の苦。黄金を糞土のようだと誰が言ったのか。南の山の雲、北の山の雨。雪竇は帽子を買うのに頭の寸法を測り、風を見て帆を操るように、剣の刃の上で君たちのために注釈を下した。まさに四七二三の祖師たちが顔を突き合わせるところである。誤解してはならない。ここまでで「古仏と露柱が交わる、第何番目の機か」を頌し終えている。後半は道を切り開き、言葉のつるを打ち払って雲門の意を見ようとしている。新羅の国ではとうに上堂し、大唐の国ではまだ太鼓も打っていない。雪竇は稲妻が走り星が飛ぶ処で、すぐさま苦の中の楽、楽の中の苦と言った。雪竇は七宝八宝をひと山積み上げてここに置いたかのようだ。だから最後にこの一句を置いて「黄金を糞土のようだと誰が言ったのか」と言う。この一句は禅月の「行路難」の詩で、雪竇が引いて用いた。禅月は言う。「山は高く海は深く、人は測れない。昔から今に至るまでますます青々としている。浅はかで軽薄な者とは交わるな。低い土地はただ茨を生やすばかり。黄金を糞土のようだと誰が言ったのか、張耳と陳余は便りを絶った。道を行くのは難しい、道を行くのは難しい、君自ら看よ」。土地は広く人は稀だなどと言うなかれ、雲居の羅漢よ。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第八十三則雲門大師、八十余員の善知識を出す。遷化の後七十余年、塔を開いて之を観るに、儼然として故の如し。他の見地明白にして、機境迅速なり。大凡そ垂語・別語・代語、直下に孤峻なり。只だ這の公案、石火を撃つが如く、閃電光に似たり、直に是れ神出鬼没なり。慶蔵主云く、「一大蔵教に還た這般の説話有りや」と。如今の人、多く情解上に向つて活計を作して道ふ、「仏は是れ三界の導師、四生の慈父なり。既に是れ古仏ならば、什麼と為てか却つて露柱と相交はる」と。若し恁麼に会せば、卒に摸索不著ならん。有る者は喚んで無中に唱出すと作す。殊に知らず、宗師家の説話は、意識を絶し情量を絶し、生死を絶し法塵を絶し、正位に入つて更に一法をも存せざることを。爾纔かに道理計較を作さば、便ち脚を纏ひ手を纏はん。且く道へ、他の古人の意作麼生。但だ只だ心境一如ならしむれば、好悪是非、他を撼動し得ず。便ち有と説くも也た得、無と説くも也た得、有機も也た得、無機も也た得。這裏に到つては拍拍是れ令なり。五祖先師道ふ、「大小の雲門、元来胆小なり。若し是れ山僧ならば、只だ他に向つて第八機と道はん」と。他道ふ、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」と。一時間且く目前に向つて包裹す。僧問ふ、「未審、意旨如何」。門云く、「一条の絛、三十文にて買ふ」。他に乾坤を定むる底の眼有り。既に人の会する無し、後来自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」と。且く後学の与に箇の入路を通ず。所以に雪竇只だ他の乾坤を定むる処を拈じて人をして見せしむ。若し纔かに計較を犯して箇の鋒鋩を露はさば、則ち当面に蹉過せん。只だ他の雲門の宗旨を原ね、他の峻機を明らめんことを要す。所以に頌出して云く、
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『碧巌録』第八十三則挙す。雲門、衆に示して云く、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」。自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」。
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『碧巌録』第五十則雪竇、前面に雲門の対一説の話を頌して道ふ、「対一説、太だ孤絶。無孔の鉄鎚重ねて楔を下す」。後面に又馬祖の離四句絶百非の話を頌して道ふ、「蔵頭白く海頭黒し、明眼の衲僧も会し得ず」。若し此の公案に於いて透得せば、便ち這箇の頌を見ん。雪竇当頭に便ち道ふ、「鉢裏の飯、桶裏の水」。言中に響き有り、句裏に機を呈す。「多口の阿師も嘴を下し難し」。随後に便ち汝が与に注脚を下すなり。汝若し這裏に向かつて玄妙の道理を要求せば、計較転た嘴を下し難し。雪竇只だ這裏に到つて也た得し。他は恁麼に頭上に先づ把定することを愛す、恐らくは衆中に具眼の者有つて覷破せんことを。後面に到つて須らく一著を放過し、俯して初機の為に、打開して頌出し、人をして見せしむ。北斗は依旧として北に在り、南星は依旧として只だ南に在り。所以に道ふ、「北斗南星位殊ならず」。「白浪滔天平地に起こる」。忽然として平地上に波瀾を起こす、又作麼生。若し事上に向かつて覷れば則ち易く、若し意根下に向かつて尋ぬれば、卒に摸索不著。這箇は鉄橛子の如くに相似て、擺撥し得ず、嘴を挿し得ず。汝若し擬議して会せんと欲して会せず、止めて止まらずんば、乱りに懞袋を呈す。正に是れ箇箇無裩の長者子なり。寒山の詩に道ふ、「六極常に苦に嬰り、九維徒らに自ら論ず。才有るも草沢に遺れ、勢無くして蓬門を閉づ。日上れども巌猶ほ暗く、煙消えて谷尚ほ昏し。其の中の長者子、箇箇総て裩無し」。
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『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
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『碧巌録』第四十六則「虚堂の雨滴声、作者も酬対し難し」。若し喚んで雨声と作さば、則ち是れ己に迷うて物を逐ふ。雨声と作さずんば、又如何が物を転ぜん。這裏に到つて、任是作者も也た酬対し難し。所以に古人道ふ、「見師と斉しきは師の半徳を減ず、見師に過ぎて方に伝授するに堪へたり」。又南院道ふ、「棒下の無生忍、機に臨んで師に譲らず」。「若し曾て入流すと謂はば、依前として還つて会せず」。教中に道ふ、「初め聞中に於いて流に入つて所を亡ず。入る所既に寂にして、動静の二相了然として生ぜず」。若し是れ雨滴声と道ふも也た是ならず、若し雨滴声にあらずと道ふも也た是ならず。前頭の頌に、「両喝と三喝と、作者機変を知る」と。正に此の頌に類す。若し声色の流に入ると道ふも也た是ならず、若し喚んで声色と作さば、依前として他の意を会せず。譬へば指を以て月を指すが如し、月は是れ指にあらず。「会と不会と、南山北山転た雱霈たり」。
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『碧巌録』第六十一則他の三家村裏の人、争でか恁麼の事有ることを知らん。一塵を立てざれば家国喪亡す。風颯颯地。野老什麼の為にか出で来たりて謳歌する。只だ家国喪亡するが為なり。洞下には之を転変の処と謂ふ。更に仏無く衆生無く、是無く非無く、好無く悪無く、音響蹤跡を絶す。所以に道ふ、「金屑貴しと雖も、眼に落つれば瞖と成る」と。又云く、「金屑は眼中の瞖、衣珠は法上の塵。己霊すら猶ほ重んぜず、仏祖是れ何人ぞ」と。七穿八穴、神通妙用も奇特と為さず。箇裏に到りては、衲被蒙頭して万事休す。此の時、山僧都て会せず。若し更に心を説き性を説き、玄を説き妙を説かば、都て用不著。何が故ぞ。他家自ら神仙の境有り。南泉示衆して云く、「黄梅の七百の高僧、尽く是れ仏法を会する底の人なるも、他の衣鉢を得ず。唯だ盧行者のみ仏法を会せず、所以に他の衣鉢を得たり」と。又云く、「三世の諸仏は有ることを知らず、狸奴白牯却つて有ることを知る」と。野老或いは顰蹙し、或いは謳歌す、且く道へ作麼生か会せん。且く道へ、他は什麼の眼を具してか却つて恁麼なる。須らく知るべし、野老の門前、別に条章有ることを。雪竇双べ拈じ了りて、却つて拄杖を拈じて云く、「還た同生同死底の衲僧有りや」と。当時若し箇の漢有りて出で来たり、一句を道得して互ひに賓主と為らば、雪竇這の老漢の後面に自ら胸を点ずるを免れ得ん。
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