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碧巌録 / 第八十則

南泉云。我十八上。解作活計。趙州道。我十八上解破家散宅。又道。我在南方二十年。除粥飯二時。是雜用心處。曹山問僧。菩薩定中。聞香象渡河。歷歷地。出什麼經。僧云。涅槃經。山云。定前聞定後聞。僧云。和尚流也。山云。灘下接取。又楞嚴經云。湛入合湛入識邊際。又楞伽經云。相生執礙。想生妄想。流注生則逐妄流轉。若到無功用地。猶在流注相中。須是出得第三流注生相。方始快活自在。

新字:南泉云。我十八上。解作活計。趙州道。我十八上解破家散宅。又道。我在南方二十年。除粥飯二時。是雑用心処。曹山問僧。菩薩定中。聞香象渡河。歴歴地。出什麼経。僧云。涅槃経。山云。定前聞定後聞。僧云。和尚流也。山云。灘下接取。又楞厳経云。湛入合湛入識辺際。又楞伽経云。相生執礙。想生妄想。流注生則逐妄流転。若到無功用地。猶在流注相中。須是出得第三流注生相。方始快活自在。

書き下し

南泉云く、「我れ十八上に活計を作すことを解す」と。趙州道ふ、「我れ十八上に家を破り宅を散ずることを解す」と。又た道ふ、「我れ南方に在ること二十年、粥飯の二時を除いて、是れ雑用心の処なり」と。曹山、僧に問ふ、「菩薩定中に香象の河を渡るを聞くこと歴歴地なり、什麼の経にか出づる」。僧云く、「涅槃経」。山云く、「定前に聞くか、定後に聞くか」。僧云く、「和尚流れたり」。山云く、「灘下に接取せん」。又た楞厳経に云く、「湛入合湛、識の辺際に入る」と。又た楞伽経に云く、「相生は執礙、想生は妄想、流注生は則ち妄を逐うて流転す」と。若し無功用の地に到るも、猶ほ流注相の中に在り。須らく是れ第三の流注生相を出で得て、方に始めて快活自在なるべし。

現代語訳

南泉は「わたしは十八歳のとき、暮らしの立て方を心得た」と言った。趙州は「わたしは十八歳のとき、家を破り屋敷を散らすことを心得た」と言い、また「わたしは南方に二十年いたが、粥と飯の二度の食事のとき以外は、心を雑多に用いたところだった」とも言った。曹山が僧に問うた。「菩薩が禅定の中で、香象が河を渡る音をありありと聞く、これはどの経に出ているか」。僧は「涅槃経です」と言った。曹山は「定に入る前に聞くのか、定から出た後に聞くのか」と言った。僧は「和尚は流されています」と言った。曹山は「浅瀬の下で受け止めてやろう」と言った。また楞厳経には「湛然たる境に入りそれに合して、識の果てに入る」とあり、楞伽経には「相生は執着の障り、想生は妄想、流注生は妄念を追って流転する」とある。たとえ功を用いない境地に至っても、なお流れ注ぐ相の中にいる。第三の流注生の相を抜け出してこそ、はじめて快活自在となるのである。

解説

圜悟の評唱で、趙州の「急水上に毬子を打す」の背景にある心の流れを、祖師の言葉と経典で掘り下げている。南泉と趙州の十八歳の述懐、曹山と僧の「流れたり」「灘下に接取せん」の応酬は、心が流れていることをどう扱うかの問題につながる。楞伽経の三つの生相を引き、無功用の境地に達してもなお微細な念の流れ、流注生の中にあると指摘する。それを抜け出してはじめて快活自在だという。何もしていないつもりでも心は細かく流れている。自分の思考の癖や流れを冷静に観察することが、仕事の判断の質を上げる第一歩となる。

この章句が説くこと

流注生曹山南泉趙州自在妄想

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