碧巌録 / 第八十則
雪竇頌云 駛。六識無功伸一問作家曾共辨來端 茫茫急水打毬子落處不停誰解看
新字:雪竇頌云 駛。六識無功伸一問作家曽共弁来端 茫茫急水打毬子落処不停誰解看
書き下し
雪竇頌して云く、駛。六識無功、一問を伸ぶ、作家曾て共に来端を辨ず。茫茫たる急水に毬子を打す、落処停まらず誰か看ることを解せん。
現代語訳
雪竇は頌をつくって言う(「駛」)。六識がはたらきを用いないところについて一つの問いが投げかけられた。達人たちはかつてともにその問いの出どころを見分けた。果てしなく広がる急流の上で毬を打つ。落ちていく先は止まることがない、それを誰が見て取れようか。
解説
雪竇の頌で、本則の趙州と投子の問答を四句で歌い上げている。底本では頌の第一句が評唱の末尾に、第四句が頌評唱の頭に入っているので、三つの段を束ねて頌の全体とした。冒頭の「駛」は評唱の語に付いた音注が残ったものとみられる。第一句は赤子の六識をめぐる僧の問い、第二句は趙州と投子という作家がその問いの出どころを見抜いたことを言う。第三・四句は急流の毬の姿を描き、行き着く先は止まらず誰にも見て取れないと結ぶ。結論を固定せず流れのまま見届けよという呼びかけは、変化の速い時代の働き手にも通じる。
この章句が説くこと
雪竇頌急水打毬落処六識無心
関連する章句
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『碧巌録』第八十則挙す。僧、趙州に問ふ、「初生の孩子、還た六識を具するや也た無しや」。趙州云く、「急水上に毬子を打す」。僧、復た投子に問ふ、「急水上に毬子を打す、意旨如何」。子云く、「念念流れを停めず」。
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『碧巌録』第八十則「六識無功、一問を伸ぶ」。古人の学道、養うて這裏に到る、之を無功の功と謂ふ。嬰児と一般なり。眼耳鼻舌身意有りと雖も、而も六塵を分別すること能はず、蓋し無功用なり。既に這般の田地に到れば、便乃ち竜を降し虎を伏し、坐脱立亡す。如今の人但だ目前の万境を将て一時に歇却せよ、何ぞ必ずしも八地以上にして方に乃ち是の如くならん。無功用の処なりと雖も、依旧として山は是れ山、水は是れ水。雪竇前面に頌して云く、「活中に眼有るも還た死に同じ、薬忌何ぞ須ひん作家を鑒みることを」と。蓋し趙州・投子是れ作家なるが為に、故に云ふ、「作家曾て共に来端を辨ず。茫茫たる急水に毬子を打す」と。投子道ふ、「念念流れを停めず」と。諸人還た落処を知るや。雪竇末後に人をして自ら眼を著けて看しむ。是の故に云ふ、「落処停まらず誰か看ることを解せん」と。此れは是れ雪竇の活句なり。且く道へ、落ちて什麼の処にか在る。
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『碧巌録』第八十則所以に溈山、仰山に問うて云く、「寂子如何」。仰山云く、「和尚は他の見解を問ふか、他の行解を問ふか。若し他の行解を問はば、某甲知らず。若し是れ見解ならば、一瓶の水を一鉼の水に注ぐが如し」。若し此の如くなるを得ば、皆以て一方の師と為るべし。趙州云く、「急水上に毬子を打す」と。早く是れ転轆轆地なるに、更に急水上に向かつて打する時、眨眼にも便ち過ぐ。譬へば楞厳経に云ふが如し、「急流の水の、望んで恬静と為すが如し」と。古人云く、「譬へば駛流の水の如し、水流れて定止無し、各各相知らず、諸法も亦た是の如し」と。趙州の答処、意渾て此に類す。其の僧又た投子に問ふ、「急水上に毬子を打す、意旨如何」。子云く、「念念流れを停めず」。自然に他の問処と恰好なり。古人の行履は綿密にして、答へ得て只だ一箇に似たり、更に計較することを消ひず。爾纔かに他に問へば、早に爾が落処を知り了れり。孩子の六識は、無功用なりと雖も、争奈せん念念停まらず、密水の流るるが如くなることを。投子恁麼に答ふ、深く来風を辨ずと謂ふべし。
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『碧巌録』第八則雪竇若し恁麼に慈悲もて頌出して人をして見せしめずんば、争でか善知識と名づくることを得ん。古人此の如くなる、一一皆是れ事已むことを獲ず。蓋し後学の他の言句に著いて、転た情解を生ずるが為に、所以に古人の意旨を見ず。如今忽ち箇の出で来つて、禅床を掀倒し、大衆を喝散する有るも、他を怪しむことを得ず。然も此の如くなりと雖も、也た須らく実に這の田地に到つて始めて得べし。雪竇道ふ、「千古対無し」。他只だ道ふ、「看よ翠巌が眉毛在りや」。什麼の奇特の処か有つて、便乃ち千古対無き。須らく知るべし、古人一言半句を吐き出す、是れ造次にあらざることを。須らく是れ乾坤を定むる底の眼有つて始めて得べし。雪竇一言半句を著くるも、金剛王宝剣の如く、踞地の獅子の如く、石火を撃つが如く、閃電光に似たり。若し是れ頂門に眼を具せずんば、争でか能く他の古人の落処を見ん。這箇の示衆、直に千古対無きことを得て、徳山の棒、臨済の喝に過ぎたり。
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