碧巌録 / 第八十則
古人道。衲被蒙頭萬事休。此時山僧都不會。若能如此。方有少分相應。雖然如此。爭奈一點也瞞他不得。山依舊是山。水依舊是水。無造作。無緣慮。如日月運於太虛未嘗暫止。亦不道我有許多名相。如天普蓋。似地普擎。為無心故。所以長養萬物。亦不道我有許多功行。天地為無心故。所以長久。若有心則有限齊。得道之人亦復如是。於無功用中施功用。一切違情順境。皆以慈心攝受。到這裏。古人尚自呵責道。了了了時無可了。玄玄玄處直須呵。又道。事事通兮物物明。達者聞之暗裏驚。又云。入聖超凡不作聲。臥龍長怖碧潭清。人生若得長如此。大地那能留一名。
新字:古人道。衲被蒙頭万事休。此時山僧都不会。若能如此。方有少分相応。雖然如此。争奈一点也瞞他不得。山依旧是山。水依旧是水。無造作。無縁慮。如日月運於太虚未嘗暫止。亦不道我有許多名相。如天普蓋。似地普擎。為無心故。所以長養万物。亦不道我有許多功行。天地為無心故。所以長久。若有心則有限斉。得道之人亦復如是。於無功用中施功用。一切違情順境。皆以慈心摂受。到這裏。古人尚自呵責道。了了了時無可了。玄玄玄処直須呵。又道。事事通兮物物明。達者聞之暗裏驚。又云。入聖超凡不作声。臥竜長怖碧潭清。人生若得長如此。大地那能留一名。
書き下し
古人道ふ、「衲被頭を蒙うて万事休す、此の時山僧都て会せず」と。若し能く此の如くならば、方に少分の相応有らん。然も此の如くなりと雖も、争奈せん一点も也た他を瞞じ得ざることを。山は依旧として是れ山、水は依旧として是れ水。造作無く、縁慮無し。日月の太虚に運りて未だ嘗て暫くも止まざるが如く、亦た我に許多の名相有りと道はず。天の普く蓋ふが如く、地の普く擎ぐるに似たり。無心なるが為の故に、所以に万物を長養す。亦た我に許多の功行有りと道はず。天地は無心なるが為の故に、所以に長久なり。若し心有らば則ち限斉有り。得道の人も亦復た是の如し。無功用の中に於て功用を施し、一切の違情順境、皆慈心を以て摂受す。這裏に到つて、古人尚自ほ呵責して道ふ、「了了了たる時了ずべき無し、玄玄玄なる処直に須らく呵すべし」と。又た道ふ、「事事通じ物物明らかなり、達者之を聞いて暗裏に驚く」と。又た云ふ、「聖に入り凡を超えて声を作さず、臥竜長に碧潭の清きを怖る。人生若し長く此の如くなるを得ば、大地那ぞ能く一名を留めん」と。
現代語訳
古人は「衲衣を頭からかぶって万事休す、このときわたしは何もわからない」と言った。もしこのようにできれば、ようやくわずかに相応するところがある。しかしそうであっても、ほんの一点も彼をごまかすことはできない。山はやはり山であり、水はやはり水である。作為もなく、あれこれの思慮もない。日月が大空をめぐって片時も止まらないように、しかも自分にはたくさんの名目や姿があるなどとは言わない。天があまねく覆い、地があまねく支えるように、無心であるからこそ万物を育てるのであり、しかも自分には多くの功績があるなどとは言わない。天地は無心であるからこそ長く久しい。もし心があれば限りがある。道を得た人もまたこのとおりである。功を用いないところで功を施し、意に逆らう境遇も順う境遇も、すべて慈しみの心で受け入れる。ここに至っても、古人はなお叱って「すっかり了ったときには了るべきものもない、玄の玄なるところはまさに叱りつけるべきだ」と言った。また「あらゆる事に通じ、あらゆる物が明らかである、達人はこれを聞くとひそかに驚く」と言い、さらに「聖に入り凡を超えても声を立てない、臥した竜はいつも碧の淵の清らかさを恐れる。人生がもし長くこのようであれば、大地にどうして一つの名を留めようか」と言った。
解説
この章句が説くこと
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