碧巌録 / 第七十五則
看他作家相見。始終賓主分明。斷而能續。其實也只是互換之機。他到這裏。亦不道有箇互換處。自是他古人。絕情塵意想。彼此作家。亦不道有得有失。雖是一期間語言。兩個活鱍鱍地。都有血脈針線。若能於此見得。亦乃向十二時中。歷歷分明。其僧便出是雙放。已下是雙收。謂之互換也。雪竇正恁麼地。頌出。
新字:看他作家相見。始終賓主分明。断而能続。其実也只是互換之機。他到這裏。亦不道有箇互換処。自是他古人。絶情塵意想。彼此作家。亦不道有得有失。雖是一期間語言。両個活鱍鱍地。都有血脈針線。若能於此見得。亦乃向十二時中。歴歴分明。其僧便出是双放。已下是双収。謂之互換也。雪竇正恁麼地。頌出。
書き下し
看よ他の作家の相見ゆること、始終賓主分明にして、断じて能く続く。其の実は也た只だ是れ互換の機なり。他は這裏に到つて、亦た箇の互換の処有りとも道はず。自ら是れ他の古人、情塵意想を絶して、彼此作家なり。亦た得有り失有りとも道はず。是れ一期間の語言なりと雖も、両個活鱍鱍地にして、都て血脈針線有り。若し能く此に於て見得せば、亦乃ち十二時中に向かつて歴歴分明ならん。其の僧便ち出づるは是れ双放、已下は是れ双収、之を互換と謂ふ。雪竇正に恁麼地に頌出す。
現代語訳
見よ、練達の者どうしの出会いは、始めから終わりまで主客がはっきりしていて、断ち切れながらもよくつながっている。その実はただ主客が入れ替わる働きにほかならない。彼らはここに至っても、入れ替わるところがあるとは言わない。もとよりこの古人たちは、情の塵や思いはかりを断ち切っていて、どちらも練達の者である。得たとも失ったとも言わない。その場かぎりの言葉ではあっても、二人とも生き生きとしていて、どれにも血脈や針と糸のような筋道がある。もしここで見て取ることができれば、一日中いつでも、ありありとはっきりするだろう。その僧がすぐに出て行ったところは双方ともに放ったところであり、それ以下は双方ともに収めたところで、これを互換という。雪竇はまさにこのように頌に出している。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第七十五則看よ他の両箇の機鋒互換、糸来たり線去つて、打して一片と成る。始終賓主分明なり。有る時は主却つて賓と作り、有る時は賓却つて主と作る。雪竇も也た讃歎し及ばず。所以に「互換の機」と道ひて、人をして且く子細に看せしむ。劫石固め来たるも猶ほ壊るべし。謂ふこころは、此の劫石、長さ四十里、広さ八万四千由旬、厚さ八万四千由旬。凡そ五百年にして乃ち天人有つて下り来たり、六銖衣の袖を以て払ふこと一下し、又た去つて五百年に至り、又た来たつて此の如く払ふ。此の石を払ひ尽くして乃ち一劫と為す。之を軽衣払石劫と謂ふ。雪竇道ふ、劫石固め来たるも猶ほ壊るべしと。石は堅固なりと雖も、尚爾ほ消磨し尽くすべし。此の二人の機鋒は、千古万古、更に窮尽有ること無し。滄溟深き処、立たば須らく乾くべし。任是ひ滄溟、洪波浩渺として白浪天に滔るとも、若し此の二人をして内に向かつて立地せしめば、此の滄溟も也た須らく乾竭すべし。
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『碧巌録』第七十五則「呼ぶことは即ち易く、遣ることは即ち難し。互換の機鋒、子細に看よ。劫石固め来たるも猶ほ壊るべし、滄溟深き処、立たば須らく乾くべし。烏臼老、烏臼老、幾何般ぞ。他に杓柄を与ふること太だ端無し」。呼ぶことは即ち易く、遣ることは即ち難し。一等に是れ落草なり。雪竇忒殺だ慈悲なり。尋常道ふ、「蛇を呼ぶことは易く、蛇を遣ることは難し」と。如今箇の瓢子を将て吹き来たれば、蛇を喚ぶことは即ち易く、遣らんと要する時は即ち難し。一に棒を将て他に与ふることは却つて易く、復た他の棒を奪つて遣り去ることは却つて難きに似たり。須らく是れ本分の手脚有つて、方に能く他を遣り得て去らしむべし。烏臼は是れ作家なり、蛇を呼ぶ底の手脚有り、亦た蛇を遣る底の手段有り。這の僧も也た是れ瞌睡底ならず。烏臼問ふ、「定州の法道、這裏に何似」、便ち是れ他を呼ぶ。烏臼便ち打つ、是れ他を遣る。僧云く、「棒頭に眼有り、草草に人を打つことを得ざれ」、却つて転じて這の僧の処に在り、便ち是れ呼び来たる。烏臼云く、「汝若し要せば、山僧、汝に回与せん」。僧便ち近前して棒を奪ひ、也た打つこと三下、却つて是れ這の僧遣り去る。乃至這の僧大笑して出づ。烏臼云く、「恁麼なることを消得す、恁麼なることを消得す」。此れ分明に是れ他を遣り得て恰も好し。
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『碧巌録』第七十五則僧、定州和尚の会裏より烏臼に来到す。臼も亦た是れ作家なり。諸人、若し這裏に向かつて此の二人の一出一入を識得せば、千箇万箇も只だ是れ一箇なり。主と作るも也た恁麼、賓と作るも也た恁麼。二人畢竟合して一家と成る。一期の勘辨、賓主の問答、始終作家なり。看よ烏臼、這の僧に問うて云く、「定州の法道、這裏に何似」。僧便ち云く、「別ならず」。当時若し是れ烏臼ならずんば、這の僧を奈何ともし難からん。臼云く、「若し別ならずんば、更に彼中に転じ去れ」。便ち打つ。争奈せん、這の僧は是れ作家の漢なることを。便ち云く、「棒頭に眼有り、草草に人を打つことを得ざれ」。臼一向に令を行じて云く、「今日一箇を打著せり」。又た打つこと三下。其の僧便ち出で去る。看よ他の両箇、転轆轆地、倶に是れ作家なり。
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『碧巌録』第六十八則双収双放若為か宗とせん、虎に騎ることは由来絶功を要す。笑ひ罷んで何処にか去るを知らず、只だ応に千古悲風を動かすべし。「双収双放若為か宗とせん」。放行して互ひに賓主と為る。仰山云く、「汝の名は什麼ぞ」。聖云く、「我が名は恵寂」、是れ双放なり。仰山云く、「恵寂は是れ我」。聖云く、「我が名は恵然」、是れ双収なり。其の実は是れ互換の機なり。収むれば則ち大家収め、放てば則ち大家放つ。雪竇一時に頌し尽くせり。他の意に道ふ、若し放収せず、若し互換せずんば、爾は是れ爾、我は是れ我。都来只だ四箇の字なるに、甚に因りてか却つて裏頭に於いて出没巻舒する。古人道ふ、「爾若し立てば我便ち坐し、爾若し坐せば我便ち立つ。若也し同じく坐し同じく立たば、二り倶に瞎漢なり」と。此れは是れ双収双放、以て宗要と為すべし。「虎に騎ることは由来絶功を要す」、此の如きの高風、最上の機要有り。騎らんと要すれば便ち騎り、下りんと要すれば便ち下る。虎頭に拠るも亦得、虎尾を収むるも亦得。三聖・仰山、二り倶に此の風有り。「笑ひ罷んで何処にか去るを知らず」、且く道へ他は箇の什麼をか笑ふ。直に清風凜凜たることを得るは什麼の為ぞ。末後に却つて道ふ、「只だ応に千古悲風を動かすべし」と。也た是れ死して弔はず。一時に爾が与に注解し了れり。争奈せん天下の人啗啄不入にして、落処を知らざることを。縦ひ是れ山僧も也た落処を知らず。諸人還た知るや。
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『碧巌録』第四十二則他は是れ作家なるが為に、後に列剎相望みて、至る所競ひて誉む。薬山に到つて盤桓すること既に久しく、遂に薬山を辞す。山至つて他を重んじ、十人の禅客に命じて相送らしむ。是の時雪の下るに値ふ。居士雪を指して云く、「好雪片片、別処に落ちず」。全禅客云く、「什麼の処にか落在す」。士便ち掌す。全禅客既に令を行ずること能はず、居士令を行ずること一半。令行ずと雖も、全禅客恁麼に酬対す。也た是れ他の落処を知らざるにあらず。各機鋒有り、巻舒同じからず。然れども居士の処に到らざること有り、所以に他の架下に落ちて、他の彀中を出で難し。居士打ち了つて、更に与に道理を説いて云く、「眼見ること盲の如く、口説くこと啞の如し」。雪竇前語に別して云く、「初め問ふ処、但だ雪団を握つて便ち打たん」。雪竇恁麼なるは、他の問端に辜かざらんことを要す。只だ是れ機遅し。慶蔵主道ふ、「居士の機は掣電の如し。汝が雪団を握るを等たば、幾時にか到らん。声に和して便ち応じ、声に和して打ちて、方始めて勦絶せん」。雪竇自ら他の打処を頌して云く。彀(字音の注)。
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『碧巌録』第八十二則此の事、若し言語上に向つて覓めば、一に棒を掉つて月を打つが如し、且く没交渉なることを得ん。古人分明に道ふ、「親切なることを得んと欲せば、問を将ち来つて問ふこと莫れ」と。何が故ぞ。問は答処に在り、答は問処に在り。這の僧、一檐の莽鹵を担ひて、一檐の鶻突に換へ、箇の問端を致す、敗缺少なからず。若し是れ大龍にあらずんば、争でか天を蓋ひ地を蓋ふことを得ん。他恁麼に問ひ、大龍恁麼に答ふ、一合相にして、更に一糸毫頭をも移易せず。一に兔を見て鷹を放ち、孔を看て楔を著くるに似たり。三乗十二分教に、還た這箇の時節有りや。也た妨げず奇特なることを。只だ是れ言語味無くして、人の口を杜塞す。是の故に道ふ、「一片の白雲谷口に横たはり、幾多の帰鳥か夜巣に迷ふ」と。有る者は道ふ、只だ是れ口に信せて答へ将ち去ると。若し恁麼に会せば、尽く是れ胡の種族を滅する漢なり。殊に知らず、古人の一機一境は枷を敲き鎖を打し、一句一言は渾金璞玉なることを。若し是れ衲僧の眼脳ならば、有る時は把住し、有る時は放行し、照用同時、人境俱に奪ひ、双放双収、時に臨んで通変す。
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