導師導古典を学びたいすべての人に

碧巌録 / 第六十五則

垂示云。無相而形。充十虛而方廣。無心而應。遍剎海而不煩。舉一明三目機銖兩。直得棒如雨點喝似雷奔。也未當得向上人行履在。且道作麼生。是向上人事。試舉。

新字:垂示云。無相而形。充十虚而方広。無心而応。遍刹海而不煩。舉一明三目機銖両。直得棒如雨点喝似雷奔。也未当得向上人行履在。且道作麼生。是向上人事。試舉。

書き下し

垂示に云く、無相にして形はれ、十虚に充ちて方広なり。無心にして応じ、刹海に遍くして煩はしからず。一を挙げて三を明らめ、目機銖両す。直に棒は雨点の如く、喝は雷の奔るに似たるを得るも、也た未だ向上人の行履に当たり得ず。且く道へ作麼生か是れ向上人の事。試みに挙す。

現代語訳

垂示にいう。姿なくして現れ、十方の虚空に満ちて広大である。無心にして応じ、無数の国土にあまねく行き渡ってもわずらわしくない。一つを挙げれば三つを明らかにし、一目で微細な重さまで見分ける。たとえ棒は雨粒のように降り、喝は雷が走るようであっても、まだ向上の人の行いには当たらない。さて言ってみよ、何が向上の人の事か。試みに取り上げる。

解説

圜悟の垂示である。前半は、姿なくして現れ、無心にして応じる真理の働きを描く。一を聞いて三を知り、一目で物の軽重を見抜く鋭さも挙げる。ところが圜悟は、棒を雨のように振るい喝を雷のように放つ激しい指導でさえ、まだ「向上人」の行いには届かないという。向上人とは、そうした手段をも超えた人のことである。この垂示は、言葉も沈黙も用いずに外道を悟らせた世尊の話への導入となっている。強い言葉や厳しい叱責で人を動かせても、それが最高の導き方ではない。より静かで深い働きがあるのである。

この章句が説くこと

無心垂示向上導き棒喝

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る