碧巌録 / 第六十四則
公案圓來問趙州 長安城裏任閑遊草鞋頭戴無人會歸到家山即便休[祝/土] 磕公案圓來問趙州。慶藏主道。如人結案相似。八棒是八棒。十三是十三。已斷了也。却拈來問趙州。州是他屋裏人。會南泉意旨。他是透徹底人。[祝/土]著磕著便轉。具本分作家眼腦。纔聞舉著。剔起便行。雪竇道。長安城裏任閑遊。漏逗不少。古人道。長安雖樂。不是久居。又云。長安甚閙。我國晏然也。須是識機宜別休咎始得。草鞋頭戴無人會。戴草鞋處。這些子。雖無許多事。所以道。唯我能知。唯我能證。方見得南泉趙州雪竇同得同用處。且道而今作麼生會。歸到家山即便休。什麼處是家山。他若不會。必不恁麼道。他既會。且道家山在什麼處。便打。
新字:公案円来問趙州 長安城裏任閑遊草鞋頭戴無人会帰到家山即便休[祝/土] 磕公案円来問趙州。慶蔵主道。如人結案相似。八棒是八棒。十三是十三。已断了也。却拈来問趙州。州是他屋裏人。会南泉意旨。他是透徹底人。[祝/土]著磕著便転。具本分作家眼脳。纔聞舉著。剔起便行。雪竇道。長安城裏任閑遊。漏逗不少。古人道。長安雖楽。不是久居。又云。長安甚閙。我国晏然也。須是識機宜別休咎始得。草鞋頭戴無人会。戴草鞋処。這些子。雖無許多事。所以道。唯我能知。唯我能証。方見得南泉趙州雪竇同得同用処。且道而今作麼生会。帰到家山即便休。什麼処是家山。他若不会。必不恁麼道。他既会。且道家山在什麼処。便打。
書き下し
公案円かに来たつて趙州に問ふ、長安城裏閑遊に任す。草鞋頭に戴く人の会する無し、家山に帰到して即便ち休す。[祝/土]磕。「公案円かに来たつて趙州に問ふ」。慶蔵主道ふ、「人の案を結ぶが如く相似たり。八棒は是れ八棒、十三は是れ十三、已に断じ了れり。却つて拈じ来たつて趙州に問ふ」と。州は是れ他の屋裏の人、南泉の意旨を会す。他は是れ透徹底の人、[祝/土]著磕著すれば便ち転ず。本分作家の眼脳を具す。纔かに挙著するを聞けば、剔起して便ち行く。雪竇道ふ、「長安城裏閑遊に任す」と。漏逗少なからず。古人道ふ、「長安楽しと雖も、是れ久しく居るべからず」と。又云く、「長安甚だ閙がし、我が国は晏然たり」と。須らく是れ機宜を識り休咎を別ちて始めて得べし。「草鞋頭に戴く人の会する無し」、草鞋を戴く処、這些子、許多の事無しと雖も、所以に道ふ、「唯だ我のみ能く知り、唯だ我のみ能く証す」と。方に南泉・趙州・雪竇の同得同用の処を見得ん。且く道へ而今作麼生か会せん。「家山に帰到して即便ち休す」、什麼の処か是れ家山。他若し会せずんば必ず恁麼に道はじ。他既に会す、且く道へ家山は什麼の処にか在る。便ち打つ。
現代語訳
公案がすっかり定まってから趙州に問うた。趙州は長安の都の中を気ままにぶらつく。草鞋を頭に載せたのを、誰もわかる者はいない。故郷の山に帰り着いて、それで休む。[祝/土]磕。「公案がすっかり定まってから趙州に問うた」。慶蔵主は言う。「人が裁判の判決を下すようなものだ。八棒は八棒、十三棒は十三棒と、すでに判決は終わっている。それをまた持ち出して趙州に問うたのだ」と。趙州は南泉の家の中の人であり、南泉の意をわかっている。彼は徹底した人であり、ぶつかればすぐに転じる。本分の作家の眼力を具えている。ちょっと持ち出されたと聞くや、さっと身を起こして行ってしまう。雪竇は「長安の都の中を気ままにぶらつく」と言う。これは少なからぬ漏れである。古人は言う、「長安は楽しいとはいえ、長く住むところではない」と。また言う、「長安はひどく騒がしいが、わが国は安らかだ」と。機に応じた手だてを知り、吉凶を見分けてこそよい。「草鞋を頭に載せたのを、誰もわかる者はいない」。草鞋を載せたところは、ほんのわずかなことで、たいした事はないとはいえ、だから「ただ私だけが知り、ただ私だけが証する」と言う。そこではじめて南泉・趙州・雪竇が同じく得て同じく用いるところが見える。さて言ってみよ、今どう会得するか。「故郷の山に帰り着いて、それで休む」。どこが故郷の山か。雪竇がもしわかっていなければ、必ずこうは言わない。彼はわかっている。さて言ってみよ、故郷の山はどこにあるのか。そこで打つ。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第六十四則挙す。南泉、復た前話を挙して趙州に問ふ。州便ち草鞋を脱して頭上に戴きて出づ。南泉云く、「子若し在らば、恰も猫児を救ひ得たらん」。
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『碧巌録』第六十四則趙州は乃ち南泉の的子なり。頭を道へば尾を会し、挙著すれば便ち落処を知る。南泉、晩間に復た前話を挙して趙州に問ふ。州は是れ老作家、便ち草鞋を脱して頭上に戴きて出づ。泉云く、「子若し在らば却つて猫児を救ひ得たらん」。且く道へ、真箇に恁麼なりや恁麼ならざるや。南泉云く、「道ひ得ば即ち斬らじ」と。石火を撃つが如く閃電光に似たり。趙州便ち草鞋を脱して頭上に戴きて出づ。他は活句に参じて死句に参ぜず。日日新たに時時新たなり。千聖も一絲毫を移易し得ず。須らく是れ自己の家珍を運出して、方に他の全機大用を見るべし。他道ふ、「我は法王為り、法に於いて自在なり」と。人多く錯つて会して道ふ、「趙州権に草鞋を将て猫児と作す」と。有る者は道ふ、「他の『道ひ得ば即ち斬らじ』と云ふを待ちて、便ち草鞋を戴きて出で去る。自ら是れ爾猫児を斬る、我に干らず」と。且く没交渉なることを得たり。只だ是れ精魂を弄するのみ。殊に知らず、古人の意は天の普く蓋ふが如く、地の普く擎ぐるに似たることを。他の父子相投じ、機鋒相合す。那箇頭を挙ぐれば、他便ち尾を会す。如今の学者、古人の転処を識らず、空しく意路上に去いて卜度す。若し見んと要せば、但だ他の南泉趙州の転処に去いて見て便ち好し。頌に云く、
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『碧巌録』第二十五則這般の事、若し是れ通方の作者ならば、古人の実処に到って、自然に力を費やさず。他人の他底を搆へ得る無きを見て、復た自ら徴して云く、「畢竟如何」。又奈何ともし得ず。自ら云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。這箇の意又作麼生。且く道へ、什麼の処を指して地頭と為す。妨げず句中に眼有り、言外に意有ることを。自ら起き自ら倒れ、自ら放ち自ら収む。豈に見ずや、厳陽尊者、路に一僧に逢ひ、拄杖を拈起して云く、「是れ什麼ぞ」。僧云く、「識らず」。厳云く、「一条の拄杖も也た識らず」。厳復た拄杖を以て地上に劄すること一下して云く、「還た識るや」。僧云く、「識らず」。厳云く、「土窟子も也た識らず」。厳復た拄杖を以て担って云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。厳云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる。雪竇頌有り、云く、「誰か機に当たって挙して賺かざる、亦還た希なり。峭峻を摧残し、玄微を銷鑠す。重関曾て巨いに闢く、作者未だ同じく帰せず。玉兎乍ち円かに乍ち欠け、金烏飛ぶに似て飛ばず。盧老知らず何れの処にか去る、白雲流水共に依依たり」。什麼に因ってか山僧道ふ、「脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ」と。纔かに計較を作さば、便ち是れ黒山鬼窟裏に活計を作す。若し見得して徹し、信得して及ばば、千人万人も自然に羅籠すれども住まらず、奈何ともし得ず。動著し拶著すれば、自然に殺有り活有り。雪竇他の意を会して「直に千峰万峰に入り去る」と道ふ、方に始めて頌を成す。落処を知らんと要せば、看取せよ雪竇の頌に云く。
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『碧巌録』第四則徳山法堂を背却し、草鞋を著けて便ち出で去る。且く道へ、他の意作麼生。爾道へ、徳山は是れ勝か是れ負か。溈山の恁麼なるは是れ勝か是れ負か。雪竇著語して云く、「勘破し了れり」。是れ他工夫を下して、古人の聱訛極則の処を見透して、方に能く恁麼なり。妨げず奇特なることを。訥堂云く、「雪竇両箇の勘破を著けて、三段の判を作す。方に此の公案を顕す。傍人の二人を断ずるに似て相似たり」。後来這の老漢、緩緩地に晩に至つて方に首座に問ふ、「適来の新到什麼の処にか在る」。首座云く、「当時法堂を背却し、草鞋を著けて出で去れり」。溈山云く、「此の子已後、孤峰頂上に向つて、草庵を盤結して、仏を呵し祖を罵り去ること在らん」。且く道へ、他の意旨如何。溈山老漢是れ好心ならず。徳山後来仏を呵し祖を罵り、風を打ち雨を打つも、依旧として他の窠窟を出でず。這の老漢に平生の伎倆を見透せらる。這裏に到つて喚んで溈山他に受記を与ふと作して得んや。喚んで「沢広ければ山を蔵し、貍能く豹を伏す」と作して得んや。若し恁麼ならば且喜すらくは没交渉。雪竇此の公案の落処を知つて、敢へて他と断じて更に道ふ、「雪上に霜を加ふ」。又重ねて拈起し来つて人をして見せしむ。若し見得し去らば、爾に溈山・徳山・雪竇と同参することを許さん。若し也た見ずんば、切に忌む妄りに情解を生ずることを。
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『碧巌録』第三十六則因みに一日遊山して帰る。首座も亦た是れ他の会下の人なり。便ち問ふ、和尚什麼の処にか去来す。沙云く、遊山し来る。座云く、什麼の処にか到り去来す。沙云く、始めは芳草に随ひて去り、又落花を逐うて回る。須らく是れ十方を坐断する底の人にして始めて得べし。古人の出入、未だ嘗て此の事を以て念と為さずんばあらず。看よ他の賓主互換し、当機直截にして、各相饒さざることを。既に是れ遊山す、什麼としてか却つて問うて道ふ、什麼の処にか到り去来すと。若し是れ如今の禅和子ならば、便ち道はん、夾山亭に到り来ると。看よ他の古人は、糸毫の道理計較無く、亦た住著の処無し。所以に道ふ、始めは芳草に随ひて去り、又落花を逐うて回ると。首座便ち他の意に随ひて、他に向かつて道ふ、大いに春意に似たりと。沙云く、也た秋露の芙蕖に滴るに勝れりと。雪竇云く、答語を謝すと。末後の語に代ふるなり。也た両辺に落つ。畢竟這の両辺に在らず。昔張拙秀才有り、千仏名経を看て、乃ち問ふ、百千の諸仏、但だ其の名を聞くのみ、未審し何れの国土にか居る、還た物を化するや也た無しや。沙云く、黄鶴楼に崔顥詩を題して後、秀才曾て題するや也た未だしや。拙云く、未だ曾て題せず。沙云く、閑を得ば一篇を題取するも也た好しと。岑大虫は平生人の為にするに、直に珠回り玉転ずることを得て、人の当面に便ち会せんことを要す。頌に云く、
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『碧巌録』第三十六則且く道へ、這の公案、仰山僧に問ふ、近離甚れの処ぞ、僧云く、廬山、仰云く、曾て五老峰に到るや、僧云く、曾て到らず、仰云く、闍黎曾て山に遊ばずと、緇素を辨じ看よ、是れ同か是れ別か。這裏に到りては、須らく是れ機関尽き意識忘じて、山河大地、草芥人畜、些子の滲漏も無かるべし。若し此の如くならずんば、古人之を猶ほ勝妙の境界に在りと謂ふ。見ずや、雲門道ふ、直に山河大地に繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転物と為す。一切の色を見ざるも、始めて是れ半提なり。更に須らく全提の時節、向上の一竅有ることを知りて、始めて穏坐を解すべしと。若し透得せば、依旧として山は是れ山、水は是れ水、各自位に住し、各本体に当たる。大拍盲の人の如くに相似たり。趙州道ふ、鶏鳴丑、愁へて見る起き来りて還た漏逗することを。裙子褊衫箇も也た無く、袈裟の形相些些有り。裩に襠無く袴に口無し、頭上の青灰三五斗。本修行して人を利済せんが為なるに、誰か知らん翻つて不唧𠺕と成らんとは。
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