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碧巌録 / 第六十二則

不見鏡清問曹山。清虛之理。畢竟無身時如何。山云。理即如是。事作麼生。清云。如理如事。山云瞞曹山一人即得。爭柰諸聖眼。何清。云若無諸聖眼。爭知不恁麼。山云。官不容針。私通車馬。所以道。乾坤之內。宇宙之間。中有一寶。祕在形山。大意明人人具足箇箇圓成。雲門便拈來示眾。已是十分現成。不可更似座主相似。與爾注解去。他慈悲更與爾下注脚道。拈燈籠向佛殿裏。將三門來燈籠上。且道雲門恁麼道。意作麼生。不見古人云。無明實性即佛性。幻化空身即法身。又云。即凡心而見佛心。形山即是四大五蘊也。中有一寶。祕在形山。所以道。諸佛在心頭。迷人向外求。內懷無價寶不識。一生休。又道。佛性堂堂顯現。住相有情難見。若悟眾生無我。我面何殊佛面。心是本來心。面是娘生面。劫石可移動。箇中無改變。

新字:不見鏡清問曹山。清虚之理。畢竟無身時如何。山云。理即如是。事作麼生。清云。如理如事。山云瞞曹山一人即得。争柰諸聖眼。何清。云若無諸聖眼。争知不恁麼。山云。官不容針。私通車馬。所以道。乾坤之内。宇宙之間。中有一宝。秘在形山。大意明人人具足箇箇円成。雲門便拈来示衆。已是十分現成。不可更似座主相似。与爾注解去。他慈悲更与爾下注脚道。拈灯籠向仏殿裏。将三門来灯籠上。且道雲門恁麼道。意作麼生。不見古人云。無明実性即仏性。幻化空身即法身。又云。即凡心而見仏心。形山即是四大五蘊也。中有一宝。秘在形山。所以道。諸仏在心頭。迷人向外求。内懐無価宝不識。一生休。又道。仏性堂堂顕現。住相有情難見。若悟衆生無我。我面何殊仏面。心是本来心。面是娘生面。劫石可移動。箇中無改変。

書き下し

見ずや、鏡清、曹山に問ふ、「清虚の理、畢竟無身の時如何」。山云く、「理は即ち是くの如し、事は作麼生」。清云く、「理の如く事の如し」。山云く、「曹山一人を瞞ずることは即ち得たり、諸聖の眼を争奈何せん」。清云く、「若し諸聖の眼無くんば、争でか恁麼ならざることを知らん」。山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず」と。所以に道ふ、「乾坤の内、宇宙の間、中に一宝有り、形山に秘在す」と。大意は人人具足し箇箇円成することを明かす。雲門便ち拈じ来たりて衆に示す。已に是れ十分に現成す。更に座主の相似く爾が与に注解し去るべからず。他は慈悲もて更に爾が与に注脚を下して道ふ、「灯籠を拈じて仏殿裏に向かひ、三門を将ち来たりて灯籠上に」と。且く道へ、雲門恁麼に道ふ、意作麼生。見ずや、古人云く、「無明の実性即ち仏性、幻化の空身即ち法身」と。又云く、「凡心に即して仏心を見る」と。形山とは即ち是れ四大五蘊なり。中に一宝有り、形山に秘在す。所以に道ふ、「諸仏は心頭に在り、迷人は外に向かつて求む。内に無価の宝を懐きて識らず、一生休す」と。又道ふ、「仏性堂堂として顕現すれども、住相の有情は見難し。若し衆生の無我を悟らば、我が面何ぞ仏面に殊ならん。心は是れ本来の心、面は是れ娘生の面。劫石は移動すべきも、箇中は改変無し」と。

現代語訳

見なかったか。鏡清が曹山に問うた。「清く虚しい理、結局のところ身の無いときはどうか」。曹山は言った。「理はそのとおりだが、事はどうか」。鏡清「理のとおり、事のとおりです」。曹山「この曹山一人をだますことはできても、諸聖の眼をどうするのか」。鏡清「もし諸聖の眼が無ければ、どうしてそうでないとわかりましょうか」。曹山「公には針一本も通さず、私には車馬も通す」と。だから「天地の内、宇宙の間、その中に一つの宝があり、形ある山に秘められている」というのである。その大意は、人々が皆それを具え、一人一人が円かに成就していることを明らかにする。雲門はそれを取り上げて衆に示した。すでに十分に現れている。講釈師のように、さらにあなたのために注解してやるべきではない。雲門は慈悲によって、さらにあなたのために注を付けて「灯籠を取って仏殿の中へ向かい、山門を持ってきて灯籠の上に載せる」と言った。さて、雲門がこう言った意はどうか。見なかったか、古人は言う。「無明の真の性はそのまま仏性であり、幻のような空なる身はそのまま法身である」と。また言う、「凡夫の心に即して仏の心を見る」と。形山とはすなわち四大と五蘊、つまりこの身心である。その中に一つの宝があり、形ある山に秘められている。だから言う。「諸仏は心にあるのに、迷う人は外に求める。内に値の付けられない宝を抱きながら知らず、一生を終える」と。また言う。「仏性は堂々と現れているのに、相に執着する衆生には見がたい。もし衆生が無我であると悟れば、私の顔がどうして仏の顔と異なろうか。心は本来の心、顔は母から生まれたままの顔。劫を経た石は動かせても、この中のものは改まることがない」と。

解説

圜悟の評唱の続きである。鏡清と曹山の問答では、理と事を一つと言い切る鏡清に対し、曹山は「官には針も容れず、私には車馬を通ず」と、原則の厳しさと現実の融通を同時に示す。圜悟はこれを踏まえ、宝の四句の大意は人々が皆仏性を具えていることだと説き、形山とはこの身心にほかならないとする。古人の偈を重ねて、宝を外に求める迷いを戒める。ただし雲門は解説で終わらず、灯籠の句で講釈を断ち切った。自分の内にある力は、説明を重ねるほど見えにくくなる。他所に答えを探す前に、足元を見直すことが要るのである。

この章句が説くこと

仏性無我理事曹山自覚

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