碧巌録 / 第六十則
垂示云。諸佛眾生本來無異。山河自己寧有等差。為什麼却渾成兩邊去也。若能撥轉話頭。坐斷要津。放過即不可。若不放過。盡大地不消一揑。且作麼生是撥轉話頭處。試舉看。
新字:垂示云。諸仏衆生本来無異。山河自己寧有等差。為什麼却渾成両辺去也。若能撥転話頭。坐断要津。放過即不可。若不放過。尽大地不消一揑。且作麼生是撥転話頭処。試舉看。
書き下し
垂示に云く、諸仏衆生本来異なること無し。山河自己寧ぞ等差有らん。什麼としてか却つて渾て両辺と成り去る。若し能く話頭を撥転し、要津を坐断せば、放過することは即ち不可なり。若し放過せずんば、尽大地も一捏を消ひず。且く作麼生か是れ話頭を撥転する処。試みに挙し看ん。
現代語訳
垂示にいう。諸仏と衆生はもともと異なるところがない。山河と自己とに、どうして差別があろうか。なぜかえって、すっかり二つに分かれてしまうのか。もし話の向きを転じ、要所の渡し場を押さえられるなら、見逃すことは許されない。もし見逃さなければ、全大地もひとつまみにも足りない。さて、話の向きを転じるところとはどこか。試みに取り上げてみよう。
解説
圜悟が第六十則の前に置いた垂示である。諸仏と衆生、山河と自己はもともと一つであるのに、なぜ人はそれを二つに分けてしまうのかと問う。そのうえで、話頭を撥転し要津を押さえることができれば、全大地さえひとつまみにも足りないと言い、本則の雲門の拄杖へと導く。自分と世界、自分と他者を分けて考える習慣が、実は見方の問題にすぎないことを気づかせる一文である。仕事でも、自分の部署と他部署、自社と顧客を対立的にとらえがちだが、視点を一転させれば同じ一つの営みとして見えてくることがある。
この章句が説くこと
垂示不二分別自己転換要津
関連する章句
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『碧巌録』第五十六則垂示に云く、諸仏曽て出世せず、亦た一法の人に与ふる無し。祖師曽て西来せず、未だ嘗て心を以て伝授せず。自ら是れ時人了ぜずして、外に向かつて馳求す。殊に知らず、自己の脚跟下の一段の大事因縁は、千聖も亦た摸索不著なることを。只だ如今見るも見ず、聞くも聞かず、説くも説かず、知るも知らざるは、什麼の処より得来たる。若し未だ洞達すること能はずんば、且く葛藤窟裏に向かつて会取せよ。試みに挙し看ん。
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『碧巌録』第六則且く道へ、作麼生か是れ第一句。這裏に到つて、雪竇些かの意を露はして人をして見せしむ。爾但だ上に諸仏有ることを見ず、下に衆生有ることを見ず、外に山河大地有ることを見ず、内に見聞覚知有ることを見ず、大死底の人の却つて活するが如くに相似たらば、長短好悪、打成一片して、一一拈じ来るに更に異見無し。然る後に応用其の宜しきを失はず、方に他の「一を去却し、七を拈得す、上下四維等匹無し」と道ふを見ん。若し此の句に於て透得せば、直に上下四維に等匹有ること無きことを得ん。森羅万象、草芥人畜、著著全く自己の家風を彰す。所以に道ふ、「万象の中独り露はるる身、惟だ人自ら肯ひて乃ち方に親し。昔年謬つて途中に向つて覓む、今日看来れば火裏の氷」。天上天下唯我独尊。人多く末を逐うて其の本を求めず。先づ本正しきことを得ば、自然に風行き草偃し、水到り渠成る。
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『碧巌録』第六十則只だ雲門の道ふが如き、「拄杖子化して竜と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」。若し有りと道へば則ち瞎し、若し無しと道へば則ち死す。還た雲門の人の為にする処を見るや。我に拄杖子を還し来たれ。如今の人は他の雲門の独露の処を会せず、却つて道ふ、「色に即して心を明らめ、物に附して理を顕す」と。且く釈迦老子四十九年の説法の如き、此の議論を知らざるべからず。何が故ぞ、更に拈花を用ひ、迦葉微笑す。這の老漢便ち搽胡して道ふ、「吾に正法眼蔵涅槃妙心有り、摩訶大迦葉に分付す」と。更に何ぞ必ずしも心印を単伝せん。諸人既に是れ祖師門下の客、還た単伝底の心を明らめ得たりや。胸中若し一物有らば、山河大地、摐然として現前す。胸中若し一物無くんば、外は則ち了に糸毫も無し。什麼の理と智と冥し、境と神と会すとか説かん。何が故ぞ。一会一切会、一明一切明。長沙道ふ、「学道の人真を識らざるは、只だ従前より識神を認むるが為なり。無量劫来生死の本、癡人喚んで本来人と作す」と。忽若し陰界を打破せば、身心一如、身外に余り無きも、猶ほ未だ一半を得ざること在り。什麼の色に即して心を明らめ、物に附して理を顕すとか説かん。
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『碧巌録』第十則垂示に云く、恁麼恁麼、不恁麼不恁麼。若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す。所以に道ふ、若し向上に転じ去れば、直に釈迦・弥勒・文殊・普賢、千聖万聖、天下の宗師をして、普く皆気を飲み声を呑ましむることを得。若し向下に転じ去れば、醯鶏・蠛蠓、蠢動含霊、一一大光明を放ち、一一壁立万仞。儻或し不上不下ならば、又作麼生か商量せん。条有れば条に攀ぢ、条無ければ例に攀づ。試みに挙し看ん。
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『碧巌録』第二則垂示に云く、乾坤窄く、日月星辰一時に黒し。直饒ひ棒雨点の如く、喝雷奔に似たるも、也た未だ向上宗乗中の事に当得せず。設使ひ三世の諸仏も只だ自ら知るべく、歴代の祖師も全提不起、一大蔵教も詮注不及、明眼の衲僧も自救不了。這裏に到つて、作麼生か請益せん。箇の仏の字を道ふも、泥を拖き水を帯ぶ。箇の禅の字を道ふも、満面慚惶す。久参の上士は之を言ふことを待たず、後学初機は直に須らく究取すべし。
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『碧巌録』第六十則挙す。雲門、拄杖を以て衆に示して云く、「拄杖子化して竜と為り、乾坤を呑却し了れり。山河大地甚れの処よりか得来たる」。
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