碧巌録 / 第五十九則
水灑不著。風吹不入。虎步龍行。鬼號神泣。無爾啗啄處。此四句頌趙州答話大似龍馳虎驟。這僧只得一場懡[怡-台+羅]。非但這僧。直得鬼也號神也泣。風行草偃相似。末後兩句。可謂一子親得。頭長三尺知是誰。相對無言獨足立。不見僧問古德。如何是佛。古德云。頭長三尺頸長二寸。雪竇引用。未審諸人還識麼。山僧也不識。雪竇一時脫體畫却趙州。真箇在裏了也。諸人須子細著眼看。
新字:水灑不著。風吹不入。虎歩竜行。鬼号神泣。無爾啗啄処。此四句頌趙州答話大似竜馳虎驟。這僧只得一場懡[怡-台+羅]。非但這僧。直得鬼也号神也泣。風行草偃相似。末後両句。可謂一子親得。頭長三尺知是誰。相対無言独足立。不見僧問古徳。如何是仏。古徳云。頭長三尺頸長二寸。雪竇引用。未審諸人還識麼。山僧也不識。雪竇一時脱体画却趙州。真箇在裏了也。諸人須子細著眼看。
書き下し
「水灑げども著かず、風吹けども入らず。虎歩竜行、鬼号び神泣く」。爾が啗啄する処無し。此の四句は趙州の答話を頌す。大いに竜の馳せ虎の驟るに似たり。這の僧只だ一場の懡㦬を得たり。但だ這の僧のみにあらず、直に得たり鬼も也た号び神も也た泣くことを。風行けば草偃すに相似たり。末後の両句は、一子親しく得たりと謂ひつべし。「頭の長さ三尺知んぬ是れ誰ぞ、相対して無言にして独足もて立つ」。見ずや、僧、古徳に問ふ、「如何なるか是れ仏」。古徳云く、「頭の長さ三尺、頸の長さ二寸」。雪竇引用す。未審、諸人還た識るや。山僧も也た識らず。雪竇一時に脱体に趙州を画却す。真箇に裏に在り了れり。諸人須らく子細に眼を著けて看るべし。
現代語訳
「水をかけても付かず、風が吹いても入りこまない。虎のように歩み竜のように行き、鬼は叫び神は泣く」。君がついばむところはない。この四句は趙州の答えを頌している。竜が駆け虎が走るのによく似ている。この僧はただ一場の恥をかいただけである。この僧ばかりではない。鬼も叫び神も泣くことになった。風が吹けば草がなびくのに似ている。最後の二句は、一人の子が親しく得たものと言えよう。「頭の長さが三尺もある、これはいったい誰か。向かい合って言葉もなく、片足で立っている」。知らないか、ある僧が古徳に「仏とは何ですか」と問うと、古徳は「頭の長さは三尺、首の長さは二寸」と言った。雪竇はこれを引用したのである。さて、諸君はわかるか。このわたしもわからない。雪竇は一度にまるごと趙州を描き出してしまった。本当にその中に入っている。諸君は詳しく目をつけて見なければならない。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第五十九則水灑げども著かず、風吹けども入らず。虎歩竜行、鬼号び神泣く。頭の長さ三尺知んぬ是れ誰ぞ、相対して無言にして独足もて立つ。
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『碧巌録』第五十九則趙州道ふ、「只だ這の至道無難唯嫌揀択」と。撃石火の如く、閃電光に似たり。擒縦殺活、恁麼に自在なることを得たり。諸方皆謂ふ、趙州に逸群の弁有りと。趙州尋常衆に示すに、此の一篇有りて云く、「至道無難、唯嫌揀択。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝等還た護惜すや也た無しや」。時に僧有り問うて云く、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼としてか明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。後来這の僧只だ他の釁罅の処を拈じ去つて他に問ふ。問ひ得ることも也た妨げず奇特なることを。争奈せん只だ是れ心行なることを。若し是れ別人ならば他を奈何ともし得ざらん。争奈せん趙州是れ作家なることを。便ち道ふ、「何ぞ這の語を引き尽くさざる」。這の僧も也た身を転じ気を吐くことを会し、便ち道ふ、「某甲只だ念じて這裏に到る」。一に安排せるに相似たり。趙州声に随つて拈起して便ち答へ、計較を須ひず。古人之を相続も也た大いに難しと謂ふ。竜蛇を弁じ休咎を別つは、他の本分の作家に還す。趙州這の僧の眼睛を換却し、鋒鋩を犯さず、計較を著けず、自然に恰好なり。爾喚んで有句と作すも也た得ず、喚んで無句と作すも也た得ず、喚んで不有不無句と作すも也た得ず。四句を離れ百非を絶す。何が故ぞ。若し此の事を論ぜば、撃石火の如く、閃電光に似たり。急に眼を著けて看て方に見ん。若し或いは擬議躊躇せば、喪身失命を免れず。雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第五十八則趙州道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」と。象王の嚬呻、獅子の哮吼に似たり。「無味の談、人の口を塞断す。南北東西、烏飛び兎走る」。雪竇若し末後の句無くんば、何れの処にか更に雪竇有り来たらん。既に是れ烏飛び兎走る、且く道へ、趙州・雪竇・山僧、畢竟什麼の処にか落在す。
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『碧巌録』第五十八則趙州平生棒喝を行ぜず、用得して棒喝に過ぐ。這の僧問ひ得来たること、也た甚だ奇怪なり。若し是れ趙州にあらずんば、也た伊に答へ難からん。蓋し趙州は是れ作家、只だ伊に向かつて道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」。問処は壁立千仞、答処も亦た他を軽んぜず。只だ恁麼に会せば直に是れ当頭なり。若し会せずんば、且く道理計較を作すこと莫かれ。見ずや、投子の宗道者、雪竇の会下に在つて書記と作る。雪竇令して至道無難唯嫌揀択に参ぜしむ。此に於て省有り。一日雪竇他に問ふ、「至道無難唯嫌揀択、意作麼生」。宗云く、「畜生、畜生」。後に投子に隠居す。凡そ去つて住持するに、袈裟を将つて草鞋と経文とを裹む。僧問ふ、「如何なるか是れ道者の家風」。宗云く、「袈裟、草鞋を裹む」。僧云く、「未審、意旨如何」。宗云く、「赤脚にして桐城に下る」。所以に道ふ、「仏に献ずるは香の多きに在らず」と。若し透得し脱し去らば、縦奪我に在り。既に是れ一問一答、歴歴として現成す。什麼としてか趙州却つて「分疎し下らず」と道ふ。且く道へ、是れ時人の窠窟なりや否や。趙州は窠窟裏に在つて他に答ふるか、窠窟外に在つて他に答ふるか。須らく知るべし、此の事は言句の上に在らざることを。或いは箇の漢有りて、徹骨徹髄、信得及し去らば、竜の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。頌に云く。
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『碧巌録』第五十二則「孤危立せずして道方に高し」。雪竇、趙州の尋常人の為にする処を頌す。玄妙を立せず、孤危を立せず。諸方の、虚空を打破し、須弥を撃砕し、海底に塵を生じ、須弥に浪を鼓して、方に他の祖師の道に称ふと道ふに似ず。所以に雪竇道ふ、「孤危立せずして道方に高し」と。壁立万仞は、仏法の奇特霊験を顕す。孤危峭峻なりと雖も、孤危を立せざるには如かず。但だ平常自然に転轆轆地にして、立せずして自ら立し、高からずして自ら高し。機、孤危を出でて方に玄妙を見る。所以に雪竇云く、「海に入つては還た須らく巨鼇を釣るべし」と。看よ他の具眼の宗師、等閑に一語を垂れ一機を用ふるに、鰕蜆螺蚌を釣らず、直に巨鼇を釣る。也た妨げず是れ作家なることを。
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『碧巌録』第五十四則雪竇、此の話を頌し得て極めて会し易し。大意は只だ雲門の機鋒を頌す。所以に道ふ、「虎頭虎尾一時に収む」と。古人云く、「虎頭に拠り虎尾を収む、第一句下に宗旨を明らむ」と。雪竇只だ欵に拠つて案を結す。雲門の会く虎頭に拠り、又た能く虎尾を収むることを愛す。僧両手を展べ、門便ち打つは、是れ虎頭に拠るなり。雲門両手を展べ、僧無語、門又た打つは、是れ虎尾を収むるなり。頭尾斉しく収め、眼は流星に似て、自然に石火を撃つが如く、閃電光に似たり。直に得たり凜凜たる威風四百州。直に尽大地の世界をして風颯颯地たらしむ。「却つて問ふ、知らず何ぞ太だ嶮なる」。妨げず嶮しき処有ることを。雪竇云く、「一著を放過す」。且く道へ、如今放過せざる時又た作麼生。尽大地の人、総に須らく棒を喫すべし。如今の禅和子、総に道ふ、「他の手を展ぶる時を等つて、也た他に本分の草料を還す」と。似たることは則ち也た似たるも、是なることは則ち未だ是ならず。雲門は只だ恁麼に爾をして休せしむべからず。也た須らく別に事在るべし。
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