碧巌録 / 第五十九則
趙州道。只這至道無難唯嫌揀擇。如擊石火似閃電光。擒縱殺活。得恁麼自在。諸方皆謂。趙州有逸群之辯。趙州尋常示眾。有此一篇云。至道無難唯嫌揀擇。纔有語言。是揀擇。是明白。老僧不在明白裹。是汝等還護惜也無。時有僧問云。既不在明白裏。護惜箇什麼。州云。我亦不知。僧云。和尚既不知。為什麼道。不在明白裏。州云。問事即得。禮拜了退。後來這僧只拈他釁罅處去問他。問得也不妨奇特。爭奈只是心行。若是別人奈何他不得。爭奈趙州是作家。便道何不引盡這語。這僧也會轉身吐氣。便道某甲只念到這裏。一似安排相似。趙州隨聲拈起便答。不須計較。古人謂之相續也大難。他辨龍蛇別休咎。還他本分作家。趙州換却這僧眼睛。不犯鋒鋩。不著計較。自然恰好。爾喚作有句也不得。喚作無句也不得。喚作不有不無句也不得。離四句絕百非。何故。若論此事。如擊石火。似閃電光。急著眼看方見。若或擬議躊躇。不免喪身失命。雪竇頌云 躊躇。
新字:趙州道。只這至道無難唯嫌揀択。如撃石火似閃電光。擒縦殺活。得恁麼自在。諸方皆謂。趙州有逸群之弁。趙州尋常示衆。有此一篇云。至道無難唯嫌揀択。纔有語言。是揀択。是明白。老僧不在明白裹。是汝等還護惜也無。時有僧問云。既不在明白裏。護惜箇什麼。州云。我亦不知。僧云。和尚既不知。為什麼道。不在明白裏。州云。問事即得。礼拝了退。後来這僧只拈他釁罅処去問他。問得也不妨奇特。争奈只是心行。若是別人奈何他不得。争奈趙州是作家。便道何不引尽這語。這僧也会転身吐気。便道某甲只念到這裏。一似安排相似。趙州随声拈起便答。不須計較。古人謂之相続也大難。他弁竜蛇別休咎。還他本分作家。趙州換却這僧眼睛。不犯鋒鋩。不著計較。自然恰好。爾喚作有句也不得。喚作無句也不得。喚作不有不無句也不得。離四句絶百非。何故。若論此事。如撃石火。似閃電光。急著眼看方見。若或擬議躊躇。不免喪身失命。雪竇頌云 躊躇。
書き下し
趙州道ふ、「只だ這の至道無難唯嫌揀択」と。撃石火の如く、閃電光に似たり。擒縦殺活、恁麼に自在なることを得たり。諸方皆謂ふ、趙州に逸群の弁有りと。趙州尋常衆に示すに、此の一篇有りて云く、「至道無難、唯嫌揀択。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝等還た護惜すや也た無しや」。時に僧有り問うて云く、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼としてか明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。後来這の僧只だ他の釁罅の処を拈じ去つて他に問ふ。問ひ得ることも也た妨げず奇特なることを。争奈せん只だ是れ心行なることを。若し是れ別人ならば他を奈何ともし得ざらん。争奈せん趙州是れ作家なることを。便ち道ふ、「何ぞ這の語を引き尽くさざる」。這の僧も也た身を転じ気を吐くことを会し、便ち道ふ、「某甲只だ念じて這裏に到る」。一に安排せるに相似たり。趙州声に随つて拈起して便ち答へ、計較を須ひず。古人之を相続も也た大いに難しと謂ふ。竜蛇を弁じ休咎を別つは、他の本分の作家に還す。趙州這の僧の眼睛を換却し、鋒鋩を犯さず、計較を著けず、自然に恰好なり。爾喚んで有句と作すも也た得ず、喚んで無句と作すも也た得ず、喚んで不有不無句と作すも也た得ず。四句を離れ百非を絶す。何が故ぞ。若し此の事を論ぜば、撃石火の如く、閃電光に似たり。急に眼を著けて看て方に見ん。若し或いは擬議躊躇せば、喪身失命を免れず。雪竇頌して云く。
現代語訳
趙州は「ただこの『至道は難しくない、ただ選り好みを嫌うだけだ』だ」と言った。それは火打ち石の火花のよう、稲妻の光のようである。捕らえるも放つも殺すも活かすも、これほど自在である。諸方の人はみな、趙州には群を抜いた弁舌があると言う。趙州はふだん大衆にこう示していた、「至道は難しくない、ただ選り好みを嫌うだけだ。わずかでも言葉があれば、それは選り好みか、明白かのどちらかだ。わしは明白の中にはいない。お前たちはそれでもなお大事に守るものがあるか」。そのとき、ある僧が「明白の中にいないのなら、何を大事に守るのですか」と問うた。趙州「わしも知らぬ」。僧「和尚が知らないのなら、なぜ明白の中にいないと言うのですか」。趙州「問うことは問うた。礼拝して下がれ」。後になって、この僧はただ趙州の言葉のすき間をつまみ上げて問うたのである。問い方はなかなか見事だが、どうしようもないことに、ただ心で計らったものにすぎない。もし他の人だったら、彼をどうにもできなかっただろう。どうしようもないことに、趙州は名人である。すぐに「なぜその語を最後まで引かないのか」と言った。この僧もまた身を転じて息を吐くことを心得ていて、すぐに「わたくしはここまでしか覚えておりません」と言った。まるで前もって準備していたかのようである。趙州は声に応じて取り上げてすぐに答え、計算など必要としない。古人はこれを「相続すること(受け継いで応じること)もまた大いに難しい」と言った。竜と蛇を見分け、吉凶を区別することは、本分の名人にこそ任される。趙州はこの僧の眼玉をすり替え、刃先に触れず、計らいもつけず、おのずからぴたりとかなっている。君はこれを有の句と呼んでもいけないし、無の句と呼んでもいけないし、有でも無でもない句と呼んでもいけない。四句を離れ、百非を絶している。なぜか。もしこの事を論じるなら、火打ち石の火花のよう、稲妻の光のようである。急いで目をつけて見てはじめて見える。もしためらい迷えば、身を失い命を失うことを免れない。雪竇は頌していう。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第五十九則挙す。僧、趙州に問ふ、「至道無難、唯嫌揀択。纔かに語言有れば是れ揀択。和尚如何か人の為にする」。州云く、「何ぞ這の語を引き尽くさざる」。僧云く、「某甲只だ念じて這裏に到る」。州云く、「只だ這の至道無難唯嫌揀択」。
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『碧巌録』第五十八則趙州平生棒喝を行ぜず、用得して棒喝に過ぐ。這の僧問ひ得来たること、也た甚だ奇怪なり。若し是れ趙州にあらずんば、也た伊に答へ難からん。蓋し趙州は是れ作家、只だ伊に向かつて道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」。問処は壁立千仞、答処も亦た他を軽んぜず。只だ恁麼に会せば直に是れ当頭なり。若し会せずんば、且く道理計較を作すこと莫かれ。見ずや、投子の宗道者、雪竇の会下に在つて書記と作る。雪竇令して至道無難唯嫌揀択に参ぜしむ。此に於て省有り。一日雪竇他に問ふ、「至道無難唯嫌揀択、意作麼生」。宗云く、「畜生、畜生」。後に投子に隠居す。凡そ去つて住持するに、袈裟を将つて草鞋と経文とを裹む。僧問ふ、「如何なるか是れ道者の家風」。宗云く、「袈裟、草鞋を裹む」。僧云く、「未審、意旨如何」。宗云く、「赤脚にして桐城に下る」。所以に道ふ、「仏に献ずるは香の多きに在らず」と。若し透得し脱し去らば、縦奪我に在り。既に是れ一問一答、歴歴として現成す。什麼としてか趙州却つて「分疎し下らず」と道ふ。且く道へ、是れ時人の窠窟なりや否や。趙州は窠窟裏に在つて他に答ふるか、窠窟外に在つて他に答ふるか。須らく知るべし、此の事は言句の上に在らざることを。或いは箇の漢有りて、徹骨徹髄、信得及し去らば、竜の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。頌に云く。
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『碧巌録』第二則挙す。趙州衆に示して云く、「至道無難、唯だ揀択を嫌ふ。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝還た護惜すや也た無や」。時に僧有りて問ふ、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。
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『碧巌録』第二則這の僧出で来る、也た妨げず奇特なることを。趙州の空処を捉へて、便ち去いて他を拶す、「既に明白裏に在らずんば、箇の什麼をか護惜せん」。趙州更に棒を行ぜず喝を行ぜず、只だ道ふ、「我も亦た知らず」。若し是れ這の老漢にあらずんば、他に拶著せられて、往往に前を忘れ後を失せん。頼に是れ這の老漢、転身自在の処有り、所以に此の如く他に答ふ。如今の禅和子、問著すれば也た道ふ、「我も亦た知らず、不会」と。争奈せん途を同じうして轍を同じうせざることを。這の僧奇特の処有り、方に始めて問ふことを会す、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。更に好き一拶なり。若し是れ別人ならば、往往に分疏不下ならん。趙州は是れ作家、只だ他に向つて道ふ、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。這の僧依旧として這の老漢を奈何ともすること無く、只だ気を飲み声を呑むことを得たり。此れは是れ大手の宗師、爾と玄を論じ妙を論じ、機を論じ境を論ぜず、一向に本分の事を以て人を接す。所以に道ふ、「相罵らば爾が嘴を接ぐに饒し、相唾せば爾が水を潑ぐに饒す」。殊に知らず、這の老漢、平生棒喝を以て人を接せず、只だ平常の言語を以てすることを。只だ是れ天下の人奈何ともせず。蓋し他の平生許多の計較無きが為に、所以に横拈倒用、逆行順行、大自在を得たり。如今の人理会し得ず、只管に道ふ、「趙州答話せず、人の為に説かず」と。殊に知らず、当面に蹉過することを。
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『碧巌録』第五十七則僧、趙州に問ふ、「至道無難、唯嫌揀択」。三祖の信心銘、劈頭に便ち這の両句を道ふ。多少の人有りて錯会す。何が故ぞ。至道は本と難無く、亦た難からざるも無し。只だ是れ唯だ揀択を嫌ふのみ。若し恁麼に会せば、一万年も也た未だ夢にも見ざること在り。趙州常に此の語を以て人に問ふ。這の僧此の語を将つて、倒に去いて他に問ふ。若し語上に向かつて覓めば、此の僧却つて天を驚かし地を動かす。若し語句の上に在らずんば、又た且く如何。更に参ぜよ三十年。這箇些子の関捩子、須らく是れ転得して始めて解すべし。虎鬚を捋づるも也た須らく是れ本分の手段にして始めて得べし。這の僧も也た危亡を顧みず、敢へて虎鬚を捋でて便ち道ふ、「此れ猶ほ是れ揀択」。趙州劈口に便ち塞いで道ふ、「田厙奴、什麼の処か是れ揀択」。若し別底に問著せば、便ち脚忙手乱を見ん。争奈せん這の老漢是れ作家なることを。動き得ざる処に向かつて動き、転じ得ざる処に向かつて転ず。爾若し一切の悪毒の言句を透得せば、乃至千差万状、世間の戯論も、皆是れ醍醐の上味なり。若し著実の処に到らば、方に趙州の赤心片片なることを見ん。田厙奴は、乃ち福唐の人の郷語にて人を罵る、意智無きに相似たり。這の僧「此れ猶ほ是れ揀択」と道ひ、趙州「田厙奴、什麼の処か是れ揀択」と道ふ。宗師の眼目、須らく恁麼に至るべし。金翅鳥の海を擘いて直に竜を取つて呑むが如し。雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第二則「髑髏識尽きて喜何ぞ立たん、枯木龍吟して銷えて未だ乾かず」。只だ這れ便ち是れ交加の処なり。這の僧恁麼に問ひ、趙州恁麼に答ふ。州云く、「至道無難、唯だ揀択を嫌ふ。纔かに語言有れば、是れ揀択、是れ明白。老僧は明白裏に在らず。是れ汝還た護惜すや也た無や」。時に僧有りて便ち問ふ、「既に明白裏に在らずんば、又箇の什麼をか護惜せん」。州云く、「我も亦た知らず」。僧云く、「和尚既に知らずんば、什麼と為てか却つて明白裏に在らずと道ふ」。州云く、「事を問ふことは即ち得たり。礼拝し了つて退け」。此れは是れ古人道を問ふ底の公案なり。雪竇拽き来つて一串に穿却し、用て至道無難、唯だ揀択を嫌ふを頌す。如今の人古人の意を会せず、只管に言を咬み句を嚼む、甚の了期か有らん。若し是れ通方の作者ならば、始めて能く這般の説話を弁得せん。
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