碧巌録 / 第五十八則
趙州道。曾有人問我。直得五年分疎不下。似象王嚬呻獅子哮吼。無味之談。塞斷人口。南北東西。烏飛兔走。雪竇若無末後句。何處更有雪竇來。既是烏飛兔走。且道趙州雪竇山僧畢竟落在什麼處。
新字:趙州道。曽有人問我。直得五年分疎不下。似象王嚬呻獅子哮吼。無味之談。塞断人口。南北東西。烏飛兔走。雪竇若無末後句。何処更有雪竇来。既是烏飛兔走。且道趙州雪竇山僧畢竟落在什麼処。
書き下し
趙州道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」と。象王の嚬呻、獅子の哮吼に似たり。「無味の談、人の口を塞断す。南北東西、烏飛び兎走る」。雪竇若し末後の句無くんば、何れの処にか更に雪竇有り来たらん。既に是れ烏飛び兎走る、且く道へ、趙州・雪竇・山僧、畢竟什麼の処にか落在す。
現代語訳
趙州は「かつてある人がわしにそれを問うたが、五年たってもいまだに弁明しきれない」と言った。それは象の王がうめき、獅子が吼えるようなものである。「味わいのない話が人の口をふさぐ。南に北に東に西に、日は飛び月は走る」。もし雪竇にこの最後の句がなかったら、どこにさらに雪竇がいようか。日は飛び月は走るというのなら、さて言ってみよ、趙州も雪竇もこのわたしも、結局どこに落ち着くのか。
解説
雪竇の頌に対する圜悟の短い評唱である。圜悟は趙州の答えを象王の嚬呻、獅子の哮吼にそのまま重ね、頌の前半が本則の答えを讃えたものであることを確かめる。そのうえで、最後の「南北東西、烏飛び兎走る」こそ雪竇の真骨頂であり、この句がなければ雪竇はいないとまで言う。日月が絶えず巡るなら、趙州も雪竇も圜悟自身も、結局どこに落ち着くのかと問い、読者に答えを預けて終わる。どれほどの名人もとどまる場所を持たないという見方は、肩書きや実績に安住しがちな自分を見直すきっかけになる。
この章句が説くこと
圜悟無常雪竇趙州落処時間
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『碧巌録』第五十八則象王嚬呻し、獅子哮吼す。無味の談、人の口を塞断す。南北東西、烏飛び兎走る。
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『碧巌録』第五十九則「水灑げども著かず、風吹けども入らず。虎歩竜行、鬼号び神泣く」。爾が啗啄する処無し。此の四句は趙州の答話を頌す。大いに竜の馳せ虎の驟るに似たり。這の僧只だ一場の懡㦬を得たり。但だ這の僧のみにあらず、直に得たり鬼も也た号び神も也た泣くことを。風行けば草偃すに相似たり。末後の両句は、一子親しく得たりと謂ひつべし。「頭の長さ三尺知んぬ是れ誰ぞ、相対して無言にして独足もて立つ」。見ずや、僧、古徳に問ふ、「如何なるか是れ仏」。古徳云く、「頭の長さ三尺、頸の長さ二寸」。雪竇引用す。未審、諸人還た識るや。山僧も也た識らず。雪竇一時に脱体に趙州を画却す。真箇に裏に在り了れり。諸人須らく子細に眼を著けて看るべし。
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『碧巌録』第五十則雪竇、前面に雲門の対一説の話を頌して道ふ、「対一説、太だ孤絶。無孔の鉄鎚重ねて楔を下す」。後面に又馬祖の離四句絶百非の話を頌して道ふ、「蔵頭白く海頭黒し、明眼の衲僧も会し得ず」。若し此の公案に於いて透得せば、便ち這箇の頌を見ん。雪竇当頭に便ち道ふ、「鉢裏の飯、桶裏の水」。言中に響き有り、句裏に機を呈す。「多口の阿師も嘴を下し難し」。随後に便ち汝が与に注脚を下すなり。汝若し這裏に向かつて玄妙の道理を要求せば、計較転た嘴を下し難し。雪竇只だ這裏に到つて也た得し。他は恁麼に頭上に先づ把定することを愛す、恐らくは衆中に具眼の者有つて覷破せんことを。後面に到つて須らく一著を放過し、俯して初機の為に、打開して頌出し、人をして見せしむ。北斗は依旧として北に在り、南星は依旧として只だ南に在り。所以に道ふ、「北斗南星位殊ならず」。「白浪滔天平地に起こる」。忽然として平地上に波瀾を起こす、又作麼生。若し事上に向かつて覷れば則ち易く、若し意根下に向かつて尋ぬれば、卒に摸索不著。這箇は鉄橛子の如くに相似て、擺撥し得ず、嘴を挿し得ず。汝若し擬議して会せんと欲して会せず、止めて止まらずんば、乱りに懞袋を呈す。正に是れ箇箇無裩の長者子なり。寒山の詩に道ふ、「六極常に苦に嬰り、九維徒らに自ら論ず。才有るも草沢に遺れ、勢無くして蓬門を閉づ。日上れども巌猶ほ暗く、煙消えて谷尚ほ昏し。其の中の長者子、箇箇総て裩無し」。
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