碧巌録 / 第五十二則
孤危不立道方高。雪竇頌趙州尋常為人處。不立玄妙。不立孤危。不似諸方道打破虛空。擊碎須彌。海底生塵。須彌鼓浪。方稱他祖師之道。所以雪竇道。孤危不立道方高。壁立萬仞。顯佛法奇特靈驗。雖然孤危峭峻。不如不立孤危。但平常自然轉轆轆地。不立而自立。不高而自高。機出孤危方見玄妙。所以雪竇云。入海還須釣巨鼇。看他具眼宗師等閑垂一語。用一機不釣鰕蜆螺蚌。直釣巨鼇。也不妨是作家。
新字:孤危不立道方高。雪竇頌趙州尋常為人処。不立玄妙。不立孤危。不似諸方道打破虚空。撃砕須弥。海底生塵。須弥鼓浪。方称他祖師之道。所以雪竇道。孤危不立道方高。壁立万仞。顕仏法奇特霊験。雖然孤危峭峻。不如不立孤危。但平常自然転轆轆地。不立而自立。不高而自高。機出孤危方見玄妙。所以雪竇云。入海還須釣巨鼇。看他具眼宗師等閑垂一語。用一機不釣鰕蜆螺蚌。直釣巨鼇。也不妨是作家。
書き下し
「孤危立せずして道方に高し」。雪竇、趙州の尋常人の為にする処を頌す。玄妙を立せず、孤危を立せず。諸方の、虚空を打破し、須弥を撃砕し、海底に塵を生じ、須弥に浪を鼓して、方に他の祖師の道に称ふと道ふに似ず。所以に雪竇道ふ、「孤危立せずして道方に高し」と。壁立万仞は、仏法の奇特霊験を顕す。孤危峭峻なりと雖も、孤危を立せざるには如かず。但だ平常自然に転轆轆地にして、立せずして自ら立し、高からずして自ら高し。機、孤危を出でて方に玄妙を見る。所以に雪竇云く、「海に入つては還た須らく巨鼇を釣るべし」と。看よ他の具眼の宗師、等閑に一語を垂れ一機を用ふるに、鰕蜆螺蚌を釣らず、直に巨鼇を釣る。也た妨げず是れ作家なることを。
現代語訳
「孤高の険しさを立てないところに、道はかえって高い」。雪竇は趙州がふだん人を導くありさまを頌している。趙州は玄妙を立てず、孤危も立てない。諸方の者が、虚空を打ち破り、須弥山を打ち砕き、海の底に塵を立て、須弥山に波を打たせてこそ祖師の道にかなうと言うのとは違う。だから雪竇は「孤危立せずして道方に高し」と言う。万仞の絶壁のように立つのは、仏法の不思議な霊験を顕すものではある。しかし孤高険峻であっても、孤危を立てないことには及ばない。ただ平常のまま自然にころころと転じて、立てずしておのずから立ち、高くせずしておのずから高い。機が孤危を抜け出たところで、はじめて玄妙が見える。だから雪竇は「海に入ったなら、大亀をこそ釣り上げねばならない」と言う。見よ、眼を具えた宗師は、何気なく一語を垂れ一機を用いても、小エビやシジミや巻貝を釣らず、まっすぐ大亀を釣る。まさしく手練れの名人である。
解説
この章句が説くこと
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『碧巌録』第五十二則孤危立せずして道方に高し、海に入つては還た須らく巨鼇を釣るべし。笑ふに堪へたり同時の灌渓老、解く劈箭と云ふも亦た徒労。
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『碧巌録』第五十九則「水灑げども著かず、風吹けども入らず。虎歩竜行、鬼号び神泣く」。爾が啗啄する処無し。此の四句は趙州の答話を頌す。大いに竜の馳せ虎の驟るに似たり。這の僧只だ一場の懡㦬を得たり。但だ這の僧のみにあらず、直に得たり鬼も也た号び神も也た泣くことを。風行けば草偃すに相似たり。末後の両句は、一子親しく得たりと謂ひつべし。「頭の長さ三尺知んぬ是れ誰ぞ、相対して無言にして独足もて立つ」。見ずや、僧、古徳に問ふ、「如何なるか是れ仏」。古徳云く、「頭の長さ三尺、頸の長さ二寸」。雪竇引用す。未審、諸人還た識るや。山僧も也た識らず。雪竇一時に脱体に趙州を画却す。真箇に裏に在り了れり。諸人須らく子細に眼を著けて看るべし。
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『碧巌録』第五十二則趙州に石橋有り、蓋し李膺の造る所なり。今に至るまで天下に名有り。略彴とは、即ち是れ独木橋なり。其の僧、故意に他の威光を減じて、他に問うて道ふ、「久しく趙州の石橋を響く。到来すれば只だ略彴を見る」。趙州便ち道ふ、「汝は只だ略彴を見て、且つ石橋を見ず」。他の問処に拠れば、也た只だ是れ平常の説話に相似たり。趙州用ひ去つて他を釣る。這の僧果然として鉤に上り、随後に便ち問ふ、「如何なるか是れ石橋」。州云く、「驢を渡し馬を渡す」。妨げず、言中自ら出身の処有ることを。趙州は臨済・徳山の棒を行じ喝を行ずるに似ず、他は只だ言句を以て殺活す。這の公案、好好に看来たれば、只だ是れ尋常に機鋒を闘はすに相似たり。是の如くなりと雖も、也た妨げず湊泊し難きことを。一日、首座と石橋を看る。州乃ち首座に問ふ、「是れ什麼人の造る」。座云く、「李膺の造る」。州云く、「造る時、什麼の処に向かつてか手を下す」。座、対無し。州云く、「尋常石橋を説くも、下手の処を問著すれば也た知らず」。又た一日、州地を掃く次、僧問ふ、「和尚は是れ善知識、什麼としてか塵有る」。州云く、「外より来たる底」。又た問ふ、「清浄の伽藍、什麼としてか塵有る」。州云く、「又た一点有り」。又た僧問ふ、「如何なるか是れ道」。州云く、「牆外底」。僧云く、「這箇の道を問はず、大道を問ふ」。州云く、「大道長安に透る」。趙州偏に此の機を用ふ。他は平実安穏の処に到つて、人の為にするに更に鋒を傷つけ手を犯さず、自然に孤峻なり。此の機を用得すること甚だ妙なり。雪竇頌して云く。
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『碧巌録』第五十八則趙州道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」と。象王の嚬呻、獅子の哮吼に似たり。「無味の談、人の口を塞断す。南北東西、烏飛び兎走る」。雪竇若し末後の句無くんば、何れの処にか更に雪竇有り来たらん。既に是れ烏飛び兎走る、且く道へ、趙州・雪竇・山僧、畢竟什麼の処にか落在す。
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『碧巌録』第五十八則趙州平生棒喝を行ぜず、用得して棒喝に過ぐ。這の僧問ひ得来たること、也た甚だ奇怪なり。若し是れ趙州にあらずんば、也た伊に答へ難からん。蓋し趙州は是れ作家、只だ伊に向かつて道ふ、「曽て人有りて我に問ふ、直に得たり五年分疎し下らざることを」。問処は壁立千仞、答処も亦た他を軽んぜず。只だ恁麼に会せば直に是れ当頭なり。若し会せずんば、且く道理計較を作すこと莫かれ。見ずや、投子の宗道者、雪竇の会下に在つて書記と作る。雪竇令して至道無難唯嫌揀択に参ぜしむ。此に於て省有り。一日雪竇他に問ふ、「至道無難唯嫌揀択、意作麼生」。宗云く、「畜生、畜生」。後に投子に隠居す。凡そ去つて住持するに、袈裟を将つて草鞋と経文とを裹む。僧問ふ、「如何なるか是れ道者の家風」。宗云く、「袈裟、草鞋を裹む」。僧云く、「未審、意旨如何」。宗云く、「赤脚にして桐城に下る」。所以に道ふ、「仏に献ずるは香の多きに在らず」と。若し透得し脱し去らば、縦奪我に在り。既に是れ一問一答、歴歴として現成す。什麼としてか趙州却つて「分疎し下らず」と道ふ。且く道へ、是れ時人の窠窟なりや否や。趙州は窠窟裏に在つて他に答ふるか、窠窟外に在つて他に答ふるか。須らく知るべし、此の事は言句の上に在らざることを。或いは箇の漢有りて、徹骨徹髄、信得及し去らば、竜の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。頌に云く。
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『碧巌録』第五十七則雪竇両句を注して云く、「海の深きに似、山の固きが如し」と。僧云く、「此れ猶ほ是れ揀択」。雪竇道ふ、這の僧は一に蚊虻の空裏の猛風を弄し、螻蟻の鉄柱を撼かすに似たりと。雪竇は他の胆の大なるを賞す。何が故ぞ。此れは是れ上頭の人の用ふる底なるに、他敢へて恁麼に道ふ。趙州作ち他を放さず、便ち云く、「田厙奴、什麼の処か是れ揀択」。豈に是れ猛風鉄柱ならずや。「揀びや択びや、当軒の布鼓」。雪竇末後に提起して活せしむ。若し識得して明白ならば、十分に爾自ら将ち来たり了れり。何が故ぞ。見ずや道ふ、「親切を得んと欲せば、問を将つて来たり問ふこと莫かれ」と。是の故に当軒の布鼓なり。
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