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碧巌録 / 第五十三則

雪竇劈頭便頌道。野鴨子知何許。且道有多少。馬祖見來相共語。此頌馬祖問百丈云。是什麼。丈云。野鴨子。語盡山雲海月情。頌再問百丈什麼處去。馬大師為他意旨自然脫體。百丈依前不會。却道飛過去也。兩重蹉過欲飛去。却把住。雪竇據欵結案。又云。道道。此是雪竇轉身處。且道。作麼生道。若作忍痛聲則錯。若不作忍痛聲。又作麼生會。雪竇雖然頌得甚妙。爭奈也跳不出。

新字:雪竇劈頭便頌道。野鴨子知何許。且道有多少。馬祖見来相共語。此頌馬祖問百丈云。是什麼。丈云。野鴨子。語尽山雲海月情。頌再問百丈什麼処去。馬大師為他意旨自然脱体。百丈依前不会。却道飛過去也。両重蹉過欲飛去。却把住。雪竇拠欵結案。又云。道道。此是雪竇転身処。且道。作麼生道。若作忍痛声則錯。若不作忍痛声。又作麼生会。雪竇雖然頌得甚妙。争奈也跳不出。

書き下し

雪竇劈頭に便ち頌して道ふ、「野鴨子、知んぬ何許ぞ」と。且く道へ、多少か有る。「馬祖見来たつて相共に語る」。此れ馬祖の百丈に問うて「是れ什麼ぞ」と云ひ、丈の「野鴨子」と云ふを頌す。「語り尽くす山雲海月の情」は、再び百丈に什麼の処にか去ると問ふを頌す。馬大師、他の為にする意旨、自然に脱体なり。百丈依前として会せず、却つて「飛び過ぎ去れり」と道ふ。両重に蹉過す。「飛び去らんと欲するも、却つて把住す」。雪竇、欵に拠つて案を結す。又た云く、「道へ道へ」。此れは是れ雪竇の転身の処なり。且く道へ、作麼生か道はん。若し忍痛の声を作さば則ち錯る。若し忍痛の声を作さずんば、又た作麼生か会せん。雪竇頌し得ること甚だ妙なりと雖も、争奈せん也た跳不出なることを。

現代語訳

雪竇は冒頭からすぐに「野鴨はいったいどこにいるのか」と頌した。さて言ってみよ、どれほどいるのか。「馬祖はそれを見て、ともに語り合った」。これは馬祖が百丈に「あれは何だ」と問い、百丈が「野鴨です」と答えたことを頌している。「山の雲、海の月の思いまで語り尽くした」は、馬祖が再び百丈に「どこへ行ったか」と問うたことを頌している。馬大師が百丈のためにはかった意は、おのずからまるごとあらわである。百丈は相変わらずわからず、かえって「飛んで行きました」と言った。二重に取り違えたのである。「飛んで行こうとしたところを、ぐいとつかまえた」。雪竇は供述に基づいて判決を下したのだ。さらに「さあ言え、さあ言え」と言う。これは雪竇が身を転じたところである。さて言ってみよ、どう言うのか。もし痛がる声を上げれば誤りだ。もし痛がる声を上げなければ、ではどう理解するのか。雪竇は見事に頌したが、どうしようもないことに、彼もまた抜け出られてはいない。

解説

雪竇の頌に対する圜悟の評唱である。圜悟は頌を一句ずつ本則に当てはめ、第二句は「是れ什麼ぞ」の問い、第三句は「什麼の処にか去る」の問いを詠んだものだと解く。百丈は二度の問いに二度とも外へ流れる答えを返し、両重に蹉過したという。そして「道へ道へ」を雪竇の転身の処と見て、痛がる声を上げても誤り、上げなくてもどう会得するのかと、読者を逃げ場のない所へ追い込む。最後には、見事な頌を作った雪竇さえ跳不出だと突き放す。権威の言葉も鵜呑みにせず、自分で確かめよという姿勢がここにある。

この章句が説くこと

圜悟頌評唱百丈蹉過公案自立

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