碧巌録 / 第四十二則
雪團打雪團打。龐老機關沒可把雪竇要在居士頭上行。古人以雪明一色邊事。雪竇意道。當時若握雪團打時。居士縱有如何機關。亦難搆得。雪竇自誇他打處。殊不知有落節處。天上人間不自知。眼裏耳裏絕瀟灑。眼裏也是雪。耳裏也是雪。正住在一色邊。亦謂之普賢境界一色邊事。亦謂之打成一片。雲門道。直得盡乾坤大地無纖毫過患。猶為轉句。不見一色。始是半提。若要全提。須知有向上一路始得。到這裏須是大用現前。針劄不入。不聽他人處分。所以道。他參活句。不參死句。古人道。一句合頭語。萬劫繫驢橛。有什麼用處。雪竇到此頌殺了。復轉機道。只此瀟灑絕。直饒是碧眼胡僧也難辨別。碧眼胡僧尚難辨別。更教山僧說箇什麼。
新字:雪団打雪団打。龐老機関没可把雪竇要在居士頭上行。古人以雪明一色辺事。雪竇意道。当時若握雪団打時。居士縦有如何機関。亦難搆得。雪竇自誇他打処。殊不知有落節処。天上人間不自知。眼裏耳裏絶瀟灑。眼裏也是雪。耳裏也是雪。正住在一色辺。亦謂之普賢境界一色辺事。亦謂之打成一片。雲門道。直得尽乾坤大地無繊毫過患。猶為転句。不見一色。始是半提。若要全提。須知有向上一路始得。到這裏須是大用現前。針劄不入。不聴他人処分。所以道。他参活句。不参死句。古人道。一句合頭語。万劫繋驢橛。有什麼用処。雪竇到此頌殺了。復転機道。只此瀟灑絶。直饒是碧眼胡僧也難弁別。碧眼胡僧尚難弁別。更教山僧説箇什麼。
書き下し
「雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し」。雪竇は居士の頭上に在つて行かんことを要す。古人雪を以て一色辺の事を明かす。雪竇の意に道ふ、当時若し雪団を握つて打たば、居士縦ひ如何なる機関有るも、亦た搆へ得難しと。雪竇自ら他の打処を誇る。殊に知らず落節の処有ることを。「天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑」。眼裏も也た是れ雪、耳裏も也た是れ雪、正に一色辺に住在す。亦た之を普賢境界一色辺の事と謂ひ、亦た之を打成一片と謂ふ。雲門道ふ、「直に尽乾坤大地、繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転句と為す。一色を見ざる、始めて是れ半提。若し全提を要せば、須らく向上の一路有ることを知りて始めて得べし」。這裏に到つて須らく是れ大用現前して、針箚せども入らず、他人の処分を聴かざるべし。所以に道ふ、「他は活句に参じて、死句に参ぜず」。古人道ふ、「一句合頭の語、万劫の繋驢橛」。什麼の用処か有らん。雪竇此に到つて頌殺し了つて、復た機を転じて道ふ、「只だ此の瀟灑絶、直饒是れ碧眼の胡僧も也た弁別し難し」。碧眼の胡僧すら尚ほ弁別し難し、更に山僧をして箇の什麼をか説かしめん。
現代語訳
「雪の玉で打て、雪の玉で打て。龐老人のからくりはつかみようがない」。雪竇は居士の頭上を行こうとしている。古人は雪によって一色の側の事を明らかにした。雪竇の意は、あの時もし雪玉を握って打っていれば、居士がどんなからくりを持っていても構えようがなかったということである。雪竇は自分の打つところを誇っているが、そこに落ち度があることを知らない。「天上の者も人間も自ら知らない、目の中も耳の中も、すっかり清らかに洗われている」。目の中も雪、耳の中も雪、まさに一色の側に住しているのである。これを普賢の境界、一色の側の事ともいい、また打成一片ともいう。雲門は言った。「天地のすべてにわずかの過ちもないところに至っても、なお転じるべき句である。一色を見ないところで、ようやく半分を提起したにすぎない。全体を提起しようとするなら、向上の一路があることを知らねばならない」。ここに到っては、大いなる働きが目の前に現れ、針を刺しても入らず、他人の指図を受けないのでなければならない。それゆえ「彼は活きた句に参じて、死んだ句には参じない」と言う。古人は「ぴたりと当てはまる一句の語も、万劫にわたる驢馬つなぎの杭となる」と言った。何の役に立つものか。雪竇はここまで頌し殺しておいて、また機を転じて言う。「ただこの清らかさも絶えた、たとえ碧眼の胡僧(達磨)でも見分けがたい」。碧眼の胡僧でさえ見分けがたいのだ、この山僧にさらに何を説かせようというのか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第四十二則雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し。天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑。瀟灑絶、碧眼の胡僧も弁別し難し。
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『碧巌録』第四十二則他は是れ作家なるが為に、後に列剎相望みて、至る所競ひて誉む。薬山に到つて盤桓すること既に久しく、遂に薬山を辞す。山至つて他を重んじ、十人の禅客に命じて相送らしむ。是の時雪の下るに値ふ。居士雪を指して云く、「好雪片片、別処に落ちず」。全禅客云く、「什麼の処にか落在す」。士便ち掌す。全禅客既に令を行ずること能はず、居士令を行ずること一半。令行ずと雖も、全禅客恁麼に酬対す。也た是れ他の落処を知らざるにあらず。各機鋒有り、巻舒同じからず。然れども居士の処に到らざること有り、所以に他の架下に落ちて、他の彀中を出で難し。居士打ち了つて、更に与に道理を説いて云く、「眼見ること盲の如く、口説くこと啞の如し」。雪竇前語に別して云く、「初め問ふ処、但だ雪団を握つて便ち打たん」。雪竇恁麼なるは、他の問端に辜かざらんことを要す。只だ是れ機遅し。慶蔵主道ふ、「居士の機は掣電の如し。汝が雪団を握るを等たば、幾時にか到らん。声に和して便ち応じ、声に和して打ちて、方始めて勦絶せん」。雪竇自ら他の打処を頌して云く。彀(字音の注)。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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『碧巌録』第四十二則挙す。龐居士、薬山を辞す。山、十人の禅客に命じて相送りて門首に至らしむ。居士、空中の雪を指して云く、「好雪片片、別処に落ちず」。時に全禅客有り云く、「什麼の処にか落在す」。士打つこと一掌。全云く、「居士も也た草草なることを得ざれ」。士云く、「汝恁麼にして禅客と称せば、閻老子未だ汝を放さざらん」。全云く、「居士作麼生」。士又打つこと一掌して云く、「眼見ること盲の如く、口説くこと啞の如し」。雪竇別して云く、「初め問ふ処、但だ雪団を握つて便ち打たん」。
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『碧巌録』第五十五則雪竇偏に注脚を下すことを会す。他は是れ雲門下の児孫、凡そ一句の中に三句を具する底の鉗鎚あり。道ひ難き処に向かつて道破し、撥き開かざる処に向かつて撥開し、他の緊要の処に去いて頌出す。直に道ふ、「兎馬に角有り、牛羊に角無し」と。且く道へ、兎馬什麼としてか角有り、牛羊什麼としてか却つて角無き。若し前話を透得せば、始めて雪竇に人の為にする処有ることを知らん。有る者は錯会して道ふ、「道はざるは便ち是れ道ふなり、無句は是れ有句なり。兎馬に角無きを却つて角有りと云ひ、牛羊に角有るを却つて角無しと云ふ」と。且らく没交渉なることを得たり。殊に知らず、古人千変万化して此の如きの神通を現ずるは、只だ爾が這の精霊の鬼窟を打破せんが為なることを。若し透得し去らば、一箇の了の字を消ひず。「兎馬に角有り、牛羊に角無し。毫を絶し氂を絶し、山の如く嶽の如し」。這の四句は、摩尼宝珠一顆に相似たり。雪竇渾淪地に爾が面前に吐き了れり。末後は皆是れ欵に拠つて案を結す。「黄金の霊骨今猶ほ在り、白浪滔天何れの処にか著けん」。此れは石霜と太原孚の語を頌す。什麼としてか著くる処無き。「隻履西に帰つて曽て失却す」。霊亀尾を曳く。此れは是れ雪竇の転身して人の為にする処なり。古人道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。既に是れ失却す、他の一火什麼としてか却つて頭を競うて争ふ。
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『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
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