碧巌録 / 第四十則
南泉答處。用衲僧巴鼻。與他拈出痛處。破他窠窟。遂指庭前花。召大夫云。時人見此一株花。如夢相似。如引人向萬丈懸崖上打一推。令他命斷。爾若平地上推倒彌勒佛下生。也只不解命斷。亦如人在夢。欲覺不覺被人喚醒相似。南泉若是眼目不正。必定被他搽糊將去。看他恁麼說話。也不妨難會。若是眼目定動。活底聞得。如醍醐上味。若是死底聞得翻成毒藥。古人道。若於事上見。墮在常情。若向意根下卜度。卒摸索不著。巖頭道。此是向上人活計。只露目前些子。如同電拂。南泉大意如此。有擒虎兕定龍蛇底手脚。到這裏也須是自會始得。不見道。向上一路千聖不傳。學者勞形如猿捉影。看他雪竇頌出。
新字:南泉答処。用衲僧巴鼻。与他拈出痛処。破他窠窟。遂指庭前花。召大夫云。時人見此一株花。如夢相似。如引人向万丈懸崖上打一推。令他命断。爾若平地上推倒弥勒仏下生。也只不解命断。亦如人在夢。欲覚不覚被人喚醒相似。南泉若是眼目不正。必定被他搽糊将去。看他恁麼説話。也不妨難会。若是眼目定動。活底聞得。如醍醐上味。若是死底聞得翻成毒薬。古人道。若於事上見。堕在常情。若向意根下卜度。卒摸索不著。巖頭道。此是向上人活計。只露目前些子。如同電払。南泉大意如此。有擒虎兕定竜蛇底手脚。到這裏也須是自会始得。不見道。向上一路千聖不伝。学者労形如猿捉影。看他雪竇頌出。
書き下し
南泉の答ふる処は、衲僧の巴鼻を用ゐて、他の与に痛処を拈出して、他の窠窟を破す。遂に庭前の花を指して、大夫を召して云く、時人此の一株の花を見ること、夢の如くに相似たりと。人を引いて万丈の懸崖上に向かひて一推を打して、他をして命断ぜしむるが如し。爾若し平地上にて弥勒仏の下生するを推倒するも、也た只だ命断ずることを解せず。亦た人の夢に在りて、覚めんと欲して覚めざるに、人に喚び醒まさるるが如くに相似たり。南泉若し是れ眼目正しからずんば、必定他に搽糊せられ将ち去らん。看よ他の恁麼の説話、也た会し難きことを妨げず。若し是れ眼目定動する、活底聞得せば、醍醐の上味の如し。若し是れ死底聞得せば、翻つて毒薬と成る。古人道ふ、若し事上に於て見れば、常情に堕在す。若し意根下に向いて卜度すれば、卒に摸索不著ならんと。巌頭道ふ、此れは是れ向上人の活計、只だ目前の些子を露はす、電払の如くに同じと。南泉の大意は此の如し。虎兕を擒へ龍蛇を定むる底の手脚有り。這裏に到りては也た須らく是れ自ら会して始めて得べし。見ずや道ふ、向上の一路、千聖も伝へず、学者形を労すること猿の影を捉ふるが如しと。看よ他の雪竇の頌出することを。
現代語訳
南泉の答えたところは、禅僧の急所のつかみ方を用いて、陸亘のために痛いところをつまみ出し、彼の巣窟を打ち破ったのである。そして庭先の花を指さし、大夫に呼びかけて言った、「世の人はこの一株の花を、まるで夢でも見ているように見ている」。これは人を万丈の断崖の上に連れて行って、ひと突きに突き落とし、命を断たせるようなものだ。お前がもし平地の上で、下生してきた弥勒仏を突き倒したとしても、ただ命を断つことはできない。また、人が夢の中にいて、覚めようとしても覚めずにいるところを、人に呼び覚まされるようなものである。南泉がもし眼が正しくなければ、きっと陸亘にごまかされてしまっただろう。見よ、このような話しぶりは、実に理解しがたい。もし眼がよく動く活きた者が聞けば、醍醐の最上の味のようである。もし死んだ者が聞けば、かえって毒薬となる。古人は「もし事柄の上で見れば、世の常の情に落ちる。もし意識の根のところで推しはかれば、ついに手探りすらできない」と言った。巌頭は「これは向上の人の暮らしぶりで、ただ目の前のわずかなものを露わにする。稲妻がひらめくようなものだ」と言った。南泉の大意はこのようである。虎や野牛を捕らえ、龍や蛇を見定める腕前がある。ここに至っては、自分で会得してはじめてよいのである。知らないか、「向上の一路は千の聖者も伝えない。学ぶ者が身を労するのは、猿が水に映る月の影をつかもうとするようなものだ」と言われているのを。見よ、雪竇が頌に詠みあげるのを。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第四十則挙す。陸亘大夫、南泉と語話する次で、陸云く、肇法師道く、天地と我と同根、万物と我と一体と。也た甚だ奇怪なり。南泉庭前の花を指して、大夫を召して云く、時人此の一株の花を見ること、夢の如くに相似たり。
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『碧巌録』第四十則南泉は小睡語、雪竇は大睡語。夢を作すと雖然も、却つて箇の好夢を作し得たり。前頭には一体を説き、這裏には不同を説く。聞見覚知一一に非ず、山河は鏡中に在りて観ず。若し鏡中に在りて観じて、然る後に方に曉了すと道はば、則ち鏡処を離れず。山河大地、草木叢林、鏡を将て鑑みること莫れ。若し鏡を将て鑑みれば、便ち両段と為る。但だ只だ山は是れ山、水は是れ水なるべし。法は法位に住して、世間の相常住なり。山河は鏡中に在りて観ず、且く道へ、什麼の処に向いてか観ん。還た会すや。這裏に到りて、霜天月落ちて夜将に半ばならんとするに向いて、這辺は爾が与に打併し了れり、那辺は爾自ら相度れ。還た雪竇の本分の事を以て人の為にすることを知るや。誰と共にか澄潭影を照らして寒き。為復自ら照らすか、為復人と共に照らすか。須らく是れ機を絶し解を絶して、方に這の境界に到るべし。即今も也た澄潭を要せず、也た霜天月落を待たず。即今作麼生。
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『碧巌録』第四十則垂示に云く、休し去り歇し去れば、鉄樹花を開く。有りや有りや。黠児も節を落す。直饒七縦八横なるも、他に鼻孔を穿たるることを免れず。且く道へ、誵訛什麼の処にか在る。試みに挙し看ん。
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『碧巌録』第二十八則山僧常に説く、若し是れ一句を添へば、甜蜜蜜地なるも、好好に観来たれば、正に是れ毒薬なり。若し是れ脊を劈いて便ち棒し、口に驀って便ち摑し、推し将ち出し去らば、方に始めて親切に人の為にす。「衲僧今古頭を競って走る」。到る処、是にも也た問ひ、不是にも也た問ひ、仏を問ひ祖を問ひ、向上を問ひ向下を問ふ。此の如くなりと雖然も、若し未だ這の田地に到らずんば、也た少くことを得ず。「明鏡台に当たって列像殊なり」、只だ一句を消ひて、明白を辨ずべし。古人道ふ、「万象及び森羅、一法の印する所なり」と。又道ふ、「森羅及び万象、総て箇中に在って円かなり」と。神秀大師云く、「身は是れ菩提樹、心は明鏡台の如し。時時に勤めて払拭して、塵埃を惹かしむること勿れ」。大満云く、「他は只だ門外に在り」。雪竇恁麼に道ふ、且く道へ、門内に在るか門外に在るか。爾等諸人、各一面の古鏡有り、森羅万象、長短方円、一一中に於て顕現す。爾若し長短の処に去って会せば、卒に摸索不著ならん。所以に雪竇道ふ、「明鏡台に当たって列像殊なり」と。却って須らく是れ「一一南に面して北斗を看る」べし。既に是れ南に面す、什麼と為てか却って北斗を看る。若し恁麼に会得せば、方に百丈・南泉の相見の処を見ん。此の両句は百丈の挨拶の処を頌す。丈云く、「我は又是れ大善知識にあらず、争でか説と不説と有ることを知らん」。雪竇此に到って頌し得て、死水裏に落在す。人の錯って会せんことを恐れて、却って自ら提起して云く、即今目前「斗柄垂る」、爾更に什麼の処に去ってか討ねん。爾纔かに「鼻孔を拈得すれば口を失却し」、口を拈得すれば鼻孔を失却し了れり。
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『碧巌録』第二十八則丈云く、「説き了れり」。惜しむべし、他の与に注破す。当時但だ脊を劈いて便ち棒し、他をして痛痒を知らしめん。是の如くなりと雖然も、爾且く道へ、什麼の処か是れ説く処。南泉の見処に拠らば、不是心・不是仏・不是物、曾て説著せず。且く爾諸人に問ふ、什麼に因ってか却って「説き了れり」と道ふ。他の語下に又蹤迹無し。若し他説かずと道はば、百丈什麼と為てか却って恁麼に道ふ。南泉は是れ変通底の人なり。便ち随後に一拶して云く、「某甲は只だ恁麼。和尚又作麼生」。若し是れ別人ならば、未だ分疎不下を免れず。争奈せん百丈は是れ作家にして、答処妨げず奇特なることを。便ち道ふ、「我は又是れ大善知識にあらず、争でか説と不説と有ることを知らん」。南泉便ち箇の「会せず」と道ふ。是れ渠果たして会し来たって「会せず」と道ふか、是れ真箇に会せざるにあらざるや。百丈云く、「我太殺だ爾が為に説き了れり」。且く道へ、什麼の処か是れ説く処。若し是れ泥団を弄する漢の時ならば、両箇淈淈渹渹たらん。若し是れ二り倶に作家の時ならば、明鏡の台に当たるが如し。其の実、前頭は二り倶に作家、後頭は二り倶に放過す。
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『碧巌録』第五則雪竇自然に他の古人を見る、只だ他の命脈上に去いて一劄を消して、他の与に頌出す。「牛頭没し馬頭回る」。且く道へ、箇の什麼をか説く。見得透する底は、早朝に粥を喫し、斎時に飯を喫するが如くに相似たり、只だ是れ尋常なり。雪竇慈悲、当頭に一鎚に撃砕し、一句に截断す。只だ是れ妨げず孤峻なることを。石火を撃つが如く閃電光に似たり。鋒鋩を露はさず、爾が湊泊の処無し。且く道へ、意根下に向つて摸索し得んや。此の両句一時に道ひ尽し了れり。雪竇第三句、却つて一線道を通じて、略ぼ些かの風規を露はす。早く是れ落草なり。第四句、直下に更に是れ落草なり。若し言上に言を生じ、句上に句を生じ、意上に意を生じて、解を作し会を作さば、唯だ老僧を帯累するのみにあらず、亦乃ち雪竇に辜負せん。古人の句は此の如くなりと雖も、意は此の如くならず。終に道理を作して人を繋縛せず。「曹渓鏡裏塵埃を絶す」。多少の人か道ふ、「静心便ち是れ鏡」と。且喜すらくは没交渉。只管に計較道理を作す、什麼の了期か有らん。這箇は是れ本分の説話、山僧敢へて本分に依らずんばあらず。「牛頭没し馬頭回る」、雪竇分明に説き了れり。自ら是れ人見ず。所以に雪竇此の如く郎当として頌して道ふ、「鼓を打つて看来れども君見ず」。癡人還た見るや。更に爾に向つて道ふ、「百花春至つて誰が為にか開く」。謂つべし戸牖を豁開して、爾が与に一時に八字に打開し了れりと。春来るに及んで、幽谷野澗、乃至人無き処にも、百花競ひ発く。爾且く道へ、更に誰が為にか開く。
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