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碧巌録 / 第三十六則

若得真實到這境界。何人眼不開。一任七顛八倒。一切處都是這境界。都是這時節。十方無壁落。四面亦無門。所以道。始隨芳草去。又逐落花回。雪竇不妨巧只去他左邊貼一句。右邊貼一句。一似一首詩相似。羸鶴翹寒木。狂猿嘯古臺。雪竇引到這裏。自覺漏逗。驀云。長沙無限意。咄。如作夢却醒相似。雪竇雖下一喝。未得勦絕。若是山僧即不然。長沙無限意。掘地更深埋。

新字:若得真実到這境界。何人眼不開。一任七顛八倒。一切処都是這境界。都是這時節。十方無壁落。四面亦無門。所以道。始随芳草去。又逐落花回。雪竇不妨巧只去他左辺貼一句。右辺貼一句。一似一首詩相似。羸鶴翹寒木。狂猿嘯古台。雪竇引到這裏。自覚漏逗。驀云。長沙無限意。咄。如作夢却醒相似。雪竇雖下一喝。未得勦絶。若是山僧即不然。長沙無限意。掘地更深埋。

書き下し

若し真実に這の境界に到ることを得ば、何人か眼開かざる。一任す七顛八倒することを。一切処都て是れ這の境界、都て是れ這の時節なり。十方に壁落無く、四面に亦た門無し。所以に道ふ、始めは芳草に随ひて去り、又落花を逐うて回ると。雪竇は巧みなることを妨げず。只だ去いて他の左辺に一句を貼じ、右辺に一句を貼じ、一に一首の詩に似て相似たり。羸鶴寒木に翹ち、狂猿古台に嘯く。雪竇引いて這裏に到り、自ら漏逗を覚えて、驀に云く、長沙無限の意、咄と。夢を作して却つて醒むるが如くに相似たり。雪竇一喝を下すと雖も、未だ勦絶することを得ず。若し是れ山僧ならば即ち然らず。長沙無限の意、地を掘りて更に深く埋めん。

現代語訳

もし本当にこの境地に到ることができれば、誰の眼が開かないことがあろう。七転び八倒れするのも思うにまかせる。あらゆるところがみなこの境地であり、みなこの時節である。十方に壁も垣根もなく、四方にもまた門はない。だから「はじめは香しい草について行き、また散る花を追って帰ってきた」と言うのである。雪竇は実に巧みである。ただ長沙の句の左側に一句を貼り、右側に一句を貼って、まるで一首の詩のようにしている。「痩せた鶴は冬枯れの木に片足で立ち、狂った猿は古い楼台でうそぶく」。雪竇はここまで引いてきて、自分でもぼろが出たと気づき、不意に「長沙の限りない心よ、咄」と言った。夢を見ていてはっと目覚めたかのようである。雪竇は一喝を下したが、まだ根こそぎ断ち切ってはいない。もしわたしならそうはしない。長沙の限りない心は、地を掘ってさらに深く埋めてしまおう。

解説

第三十六則の頌評唱の結びである。圜悟は、真実にこの境界に到れば、十方に壁も門もなく、七顛八倒しても一切処がこの時節だと言う。雪竇は長沙の句の左右に一句ずつ貼って一首の詩のように仕立てたが、自ら漏らしたと気づいて咄と一喝した。圜悟はそれでもまだ断ち切れていないとし、自分なら長沙無限の意を地を掘ってさらに深く埋めると言い放つ。美しい言葉で語り尽くそうとするほど、本質から遠ざかることがある。説明を重ねるより、黙って深く沈める方が伝わる場面もあると気づかせる評唱である。

この章句が説くこと

頌自由言葉長沙圜悟境界

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