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碧巌録 / 第三十五則

雪竇只改明招底用。却有針線。千峯盤屈色如藍。更不傷鋒犯手。句中有權有實。有理有事。誰謂文殊是對談。一夜對談。不知是文殊。後來無著。在五臺山作典座。文殊每於粥鍋上現。被無著拈攪粥篦便打。雖然如是。也是賊過後張弓。當時等他道南方佛法。如何住持。劈脊便棒。猶較些子。堪笑清涼多少眾。雪竇笑中有刀。若會得這笑處。便見他道前三三與後三三。

新字:雪竇只改明招底用。却有針線。千峯盤屈色如藍。更不傷鋒犯手。句中有権有実。有理有事。誰謂文殊是対談。一夜対談。不知是文殊。後来無著。在五台山作典座。文殊毎於粥鍋上現。被無著拈攪粥篦便打。雖然如是。也是賊過後張弓。当時等他道南方仏法。如何住持。劈脊便棒。猶較些子。堪笑清涼多少衆。雪竇笑中有刀。若会得這笑処。便見他道前三三与後三三。

書き下し

雪竇只だ明招底を改めて用ゐる。却つて針線有り。千峰盤屈して色藍の如し。更に鋒を傷つけ手を犯さず。句中に権有り実有り、理有り事有り。誰か謂ふ文殊是れ対談すと。一夜対談して、是れ文殊なることを知らず。後来無著、五台山に在りて典座と作る。文殊毎に粥鍋上に現ず。無著に粥を攪ぜる篦を拈じて便ち打たる。是の如くなりと雖然も、也た是れ賊過ぎて後に弓を張る。当時他が南方の仏法如何が住持すと道ふを等ちて、脊を劈いて便ち棒せば、猶ほ些子に較れり。笑ふに堪へたり清涼多少の衆。雪竇は笑中に刀有り。若し這の笑ふ処を会得せば、便ち他の前三三と後三三とを道ふことを見ん。

現代語訳

雪竇はただ明招の頌を作り変えて用いたのだが、そこにはかえって細やかな針と糸の工夫がある。「千の峰が折り重なって、その色は藍のようだ」。少しも刃を傷めず、手を切ることもない。句の中に方便と真実があり、理と事がある。「文殊と向かい合って語っていたなどと、誰が言うのか」。一夜語り合っても、それが文殊だとは知らなかった。のちに無著は五台山で典座(炊事係)をつとめた。文殊がいつも粥の鍋の上に現れたので、無著は粥をかき混ぜるへらを手に取って打ちすえた。とはいえ、これもまた盗人が去った後に弓を張るようなものだ。あのとき文殊が「南方の仏法はどのように保たれているか」と言ったところで、背中をめがけてすぐさま棒で打っていれば、まだいくらかましだった。「笑うべきかな、清涼山の衆は何人か」。雪竇の笑いの中には刀がある。もしこの笑うところを会得すれば、すぐに「前に三三と後ろに三三と」と言ったところが見えるだろう。

解説

第三十五則の頌評唱の後半である。圜悟は、雪竇が明招の頌を作り変えつつ細やかな工夫を施し、句中に権実と理事を備えたと評する。無著は一夜語り合っても相手が文殊と知らなかった。後に五台山の典座となった無著は、粥鍋の上に現れた文殊を篦で打ったという逸話が添えられる。しかし圜悟は、それは賊が去った後に弓を張るようなもので、最初の問答のときに打てばまだましだったと手厳しい。好機は後から取り戻せないことが多い。その場で応じる瞬発力の大切さと、笑いの中に刃を潜ませる言葉の力を学べる段である。

この章句が説くこと

頌文殊無著機好機典座

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