碧巌録 / 第二十九則
其僧既不會大隋說話。是他也不妨以此事為念。却持此問。直往舒州投子山。投子問近離甚處。僧云。西蜀大隋。投云。大隋有何言句。僧遂舉前話。投子焚香禮拜云。西蜀有古佛出世。汝且速回。其僧復回至大隋。隋已遷化。這僧一場懡[怡-台+羅]。後有唐僧景遵題大隋云了然無別法。誰道印南能。一句隨他語。千山走衲僧。蛩寒鳴砌葉。鬼夜禮龕燈。吟罷孤窓外。徘徊恨不勝。所以雪竇後面引此兩句頌出。如今也不得作壞會。也不得作不壞會。畢竟作麼生會。急著眼看。
新字:其僧既不会大隋説話。是他也不妨以此事為念。却持此問。直往舒州投子山。投子問近離甚処。僧云。西蜀大隋。投云。大隋有何言句。僧遂舉前話。投子焚香礼拝云。西蜀有古仏出世。汝且速回。其僧復回至大隋。隋已遷化。這僧一場懡[怡-台+羅]。後有唐僧景遵題大隋云了然無別法。誰道印南能。一句随他語。千山走衲僧。蛩寒鳴砌葉。鬼夜礼龕灯。吟罷孤窓外。徘徊恨不勝。所以雪竇後面引此両句頌出。如今也不得作壊会。也不得作不壊会。畢竟作麼生会。急著眼看。
書き下し
其の僧既に大随の説話を会せず。是れ他も也た妨げず此の事を以て念と為すことを。却って此の問を持して、直に舒州の投子山に往く。投子問ふ、「近く甚れの処をか離る」。僧云く、「西蜀の大随」。投云く、「大随に何の言句か有る」。僧遂に前話を挙す。投子香を焚いて礼拝して云く、「西蜀に古仏有って出世す。汝且く速やかに回れ」。其の僧復た回って大随に至るに、随已に遷化す。這の僧一場の懡㦬なり。後に唐僧景遵有り、大随に題して云く、「了然として別法無し、誰か南能に印すと道ふ。一句随他の語、千山に衲僧を走らしむ。蛩寒うして砌葉に鳴き、鬼夜龕灯を礼す。吟じ罷んで孤窓の外、徘徊して恨み勝へず」。所以に雪竇後面に此の両句を引いて頌出す。如今也た壊の会を作すことを得ず、也た不壊の会を作すことを得ず。畢竟作麼生か会せん。急に眼を著けて看よ。
現代語訳
その僧は大随の話を会得できなかった。とはいえ彼も、この事をずっと心にかけていたのである。そこでこの問いを抱えて、まっすぐ舒州の投子山へ向かった。投子は「最近どこを離れてきたのか」と問うた。僧は「西蜀の大随です」と言った。投子は「大随にはどんな言葉があったか」と言った。僧はそこで先の話を語った。投子は香を焚いて礼拝し、「西蜀に古仏が世に出られた。お前はすぐに戻れ」と言った。その僧がまた大随のもとへ戻ると、大随はすでに亡くなっていた。この僧はひと場面の恥さらしである。のちに唐の僧景遵が大随を詠んでこう題した。「明らかに別の法などない。誰が南の慧能に印可を受けたと言うのか。随他の一句が、千の山々に禅僧を走らせた。寒さの中でこおろぎは石段の落ち葉に鳴き、夜には鬼が龕の灯明を拝む。吟じ終えて孤独な窓の外を、さまよい歩いて恨みに堪えない」。だから雪竇は後でこの二句を引いて頌に詠み出したのである。いまは壊れると理解してもならず、壊れないと理解してもならない。結局どう会得するのか。すばやく眼をつけて見よ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十九則劫火光中に問端を立つ、衲僧猶ほ両重の関に滞る。憐れむべし一句随他の語、万里区区として独り往還す。雪竇機に当たって頌出す、句裏に出身の処有り。「劫火光中に問端を立つ、衲僧猶ほ両重の関に滞る」。這の僧の問処、先づ壊と不壊とを懐く、是れ両重の関なり。若し是れ得底の人ならば、壊すと道ふも也た出身の処有り、壊せずと道ふも也た出身の処有り。「憐れむべし一句随他の語、万里区区として独り往還す」。這の僧の此の問を持して投子に投じ、又復た大随に回るを頌す。万里区区と謂ひつべし。
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『碧巌録』第七十九則「投子投子、機輪阻無し。一を放つて二を得、彼に同じく此に同じ。憐れむべし無限の弄潮の人、畢竟還た潮中に落ちて死す。忽然として活せば、百川倒に流れて閙活活たらん」。投子投子、機輪阻無し。投子尋常道ふ、「爾総に投子は実頭なりと道ふ。忽然として山を下ること三歩、人有つて爾に問うて、如何なるか是れ投子実頭の処と道はば、爾作麼生か抵対せん」と。古人道ふ、「機輪の転ずる処、作者すら猶ほ迷ふ」と。他の機輪は転轆轆地にして全く阻隔無し。所以に雪竇道ふ、「一を放つて二を得」と。見ずや僧問ふ、「如何なるか是れ仏」。投子云く、「仏」。又た問ふ、「如何なるか是れ道」。投子云く、「道」。又た問ふ、「如何なるか是れ禅」。投子云く、「禅」。又た問ふ、「月未だ円かならざる時如何」。投子云く、「三箇四箇を呑却す」。「円かなる後如何」。「七箇八箇を吐却す」。投子の人を接する、常に此の機を用ふ。這の僧に答ふるも、只だ是れ一箇の是の字なり。這の僧両回打たる。所以に雪竇道ふ、「彼に同じく此に同じ」と。四句一時に投子を頌し了る。
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『碧巌録』第二十九則挙す。僧、大随に問ふ、「劫火洞然として大千倶に壊す。未審し這箇は壊するや壊せざるや」。随云く、「壊す」。僧云く、「恁麼ならば則ち他に随ひ去るや」。随云く、「他に随ひ去る」。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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