碧巌録 / 第二十七則
舉。僧問雲門。樹凋葉落時如何雲門云。體露金風。
新字:舉。僧問雲門。樹凋葉落時如何雲門云。体露金風。
書き下し
挙す。僧、雲門に問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門云く、「体露金風」。
現代語訳
取り上げる。ある僧が雲門に問うた。「樹が枯れしぼみ、葉が落ちるときはどうですか」。雲門は言った。「体があらわになり、秋の風が吹きわたる」。
解説
第二十七則の本則で、雲門文偃と一人の僧の短い問答である。僧は、樹が凋み葉が落ちるときはどうかと問う。煩悩も分別も落ち尽くした境地を問うとも、老いや衰えの時を問うとも読める問いである。雲門は体露金風、つまり幹がむき出しになり秋風が吹きわたると答えた。落葉を嘆くのでも悟りとして持ち上げるのでもなく、ありのままの姿を秋風の中に示している。飾りや肩書きが落ちたときにこそ、その人の本体が現れる。衰えの時期を恐れず、むき出しの自分で風に立つ覚悟が問われている。
この章句が説くこと
体露金風雲門落葉無常本体公案
関連する章句
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『碧巌録』第二十七則且く道へ、樹凋み葉落つるは是れ什麼人の境界ぞ。十八問の中、此れ之を辨主問と謂ひ、亦之を借事問と謂ふ。雲門一糸毫も移易せず、只だ他に向かって道ふ、「体露金風」と。答へ得て甚だ妙なり。亦敢へて他の問頭に辜負せず。蓋し他の問処に眼有り、答処も亦端的なるが為なり。古人道ふ、「親切を得んと欲せば、問を将って来たり問ふこと莫れ」と。若し是れ知音底ならば、挙著すれば便ち落処を知る。爾若し雲門の語脈裏に向かって討ねば、便ち錯り了れり。只だ是れ雲門の句中、多く人の情解を惹くことを愛す。若し情解を作して会せば、未だ我が児孫を喪ふことを免れず。雲門は愛して恁麼に賊馬に騎って賊を趁ふ。見ずや、僧問ふ、「如何なるか是れ非思量の処」。門云く、「識情測り難し」。這の僧問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。門云く、「体露金風」。句中妨げず要津を把断して凡聖を通ぜざることを。須らく他の一を挙して三を明らめ、三を挙して一を明らむるを会すべし。爾若し他の三句の中に去って求めば、則ち脳後に箭を抜かん。他の一句の中に須らく三句を具すべし、函蓋乾坤の句、随波逐浪の句、截断衆流の句、自然に恰好なり。雲門の三句の中、且く道へ、那の句を用ひてか人を接する。試みに辨じ看よ。頌に曰く。
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『碧巌録』第二十七則若し箇裏に向かって薦得せば、始めて雲門の為人の処を見ん。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って只だ是れ鹿を指して馬と為し、眼瞎し耳聾す。誰人か這の境界に到らん。且く道へ、雲門は為復是れ他の話に答ふるか、為復是れ他と酬唱するか。若し他の話に答ふと道はば、定盤星を錯認す。若し他と唱和すと道はば、且く交渉没きことを得たり。既に恁麼ならずんば、畢竟作麼生。爾若し見得して透らば、衲僧の鼻孔、一捏を消ひず。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って鬼窟裏に打入し去らん。大凡宗乗を扶竪するには、也た須らく是れ全身に担荷し、眉毛を惜しまず、虎口に向かって身を横たへ、他の横拕倒拽するに任すべし。若し此の如くならずんば、争でか能く人の為にし得ん。這の僧箇の問端を致す、也た妨げず嶮峻なることを。若し尋常の事を以て他を看ば、只だ箇の閑事を管する底の僧に似たり。若し衲僧門下に拠って、命脈裏に去って覷る時は、妨げず妙処有ることを。
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『碧巌録』第八十二則若し大用大機無くんば、争でか恁麼に天を籠め地を罩むることを解せん。大いに明鏡の台に当たり、胡来れば胡現じ漢来れば漢現ずるに似たり。此の公案、花薬欄の話と一般なり。然れども意却つて同じからず。這の僧、問処明らかならず、大龍、答処恰好なり。見ずや、僧、雲門に問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。門云く、「体露金風」。此れ之を箭鋒相拄ふと謂ふ。這の僧、大龍に問ふ、「色身は敗壊す、如何なるか是れ堅固法身」。大龍云く、「山花開いて錦に似たり、澗水湛へて藍の如し」。一に君は西秦に向ひ、我は東魯に之くが如し。他既に恁麼に行けば、我は却つて恁麼に行かず。他の雲門と一倍相返す。那箇は恁麼に行いて却つて見易く、這箇は却つて恁麼に行かずして却つて見難し。大龍、妨げず三寸甚だ密なることを。雪竇頌して云く、
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『碧巌録』第二十七則凡そ言を出し気を吐くには、須らく是れ鉗の如く鋏の如く、鉤有り鎖有るべし。須らく是れ相続して断えずして始めて得べし。這の僧の問処に宗旨有り、雲門の答処も亦然り。雲門は尋常三句を以て人を接す、此れは是れ極則なり。雪竇の這の公案を頌する、大龍の公案を頌するに相類す。「三句辨ずべし」、一句の中に三句を具す。若し辨得せば則ち三句の外に透出す。「一鏃空を遼かにす」、鏃は乃ち箭鏃なり。射得て太だ遠し、須らく是れ急に眼を著けて看て始めて得べし。若也見得て分明ならば、以て一句の下に大千沙界を開展すべし。此に到って頌し了って、雪竇余才有り、所以に展開して頌出して道ふ、「大野、涼飈颯颯、長天、疎雨濛濛」と。且く道へ、是れ心か是れ境か、是れ玄か是れ妙か。古人道ふ、「法法隠蔵せず、古今常に顕露す」と。他問ふ、「樹凋み葉落つる時如何」。雲門道ふ、「体露金風」。雪竇の意は只だ一境と作す。如今眼前、風拂拂地、是れ東南の風にあらずんば、便ち是れ西北の風。直に須らく便ち恁麼に会して始めて得べし。爾若し更に禅道の会を作さば、便ち交渉没し。「君見ずや、少林に久しく坐して未だ帰らざる客」。達磨未だ西天に帰らざる時、九年面壁して静悄悄地。且く道へ、是れ樹凋み葉落つるか、且く道へ、是れ体露金風か。若し這裏に向かって、尽古今の凡聖、乾坤大地を打して一片と成さば、方に雲門・雪竇の的的たる為人の処を見ん。「静かに熊耳の一叢叢に依る」。熊耳は即ち西京嵩山の少林なり。前山も也た千叢万叢、後山も也た千叢万叢。諸人什麼の処に向かってか見る。還た雪竇の為人の処を見るや。也た是れ霊亀の尾を曳くなり。
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『碧巌録』第八十三則挙す。雲門、衆に示して云く、「古仏と露柱と相交はる、是れ第幾機ぞ」。自ら代はりて云く、「南山に雲を起こし、北山に雨を下す」。
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