碧巌録 / 第二十四則
舉。劉鐵磨到溈山山云老牸牛。汝來也磨云。來日臺山大會齋。和尚還去麼溈山放身臥磨便出去。
新字:舉。劉鉄磨到溈山山云老牸牛。汝来也磨云。来日台山大会斎。和尚還去麼溈山放身臥磨便出去。
書き下し
挙す。劉鉄磨、潙山に到る。山云く、「老牸牛、汝来たるや」。磨云く、「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」。潙山身を放って臥す。磨便ち出で去る。
現代語訳
取り上げる。劉鉄磨が潙山のもとにやって来た。潙山は言った。「老いた牝牛よ、お前が来たか」。劉鉄磨は言った。「明日、五台山で大きな斎会がありますが、和尚は行かれますか」。潙山は身を投げ出して横になった。劉鉄磨はすぐに出て行った。
解説
第二十四則の本則で、潙山霊祐と、その近くに庵を結んでいた尼僧の劉鉄磨との問答である。潙山は彼女を老いた牝牛と呼び、劉鉄磨は数千里離れた五台山の斎会に行くかと問う。潙山がごろりと横になると、劉鉄磨はさっさと出て行った。行けるはずのない誘いに、潙山は寝ころぶことで応じ、劉鉄磨はそれで十分と去った。言葉の表面だけを見れば世間話だが、互いの境地を試し合い、認め合っている。潙山の寝姿は、行く行かぬの分別を超えた一つの答えである。熟練した者同士のやりとりは、説明抜きで一瞬に通じるのである。
この章句が説くこと
劉鉄磨潙山老牸牛問答阿吽公案
関連する章句
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『碧巌録』第二十四則劉鉄磨は石火を撃つが如く、閃電光に似たり。擬議すれば則ち喪身失命す。禅道若し緊要の処に到らば、那裏にか許多の事有らん。他作家相見ゆること、牆を隔てて角を見れば便ち是れ牛なることを知り、山を隔てて煙を見れば便ち是れ火なることを知るが如し。拶著すれば便ち動き、捺著すれば便ち転ず。潙山道ふ、「老僧百年の後、山下の檀越の家に向かって一頭の水牯牛と作らん。左脇の下に五字を書して云はん、潙山の僧某甲と。且く正当恁麼の時、喚んで潙山の僧と作さば即ち是れ水牯牛、喚んで水牯牛と作さば即ち是れ潙山の僧」と。如今の人問著せられば、管取す分疎不下ならん。劉鉄磨は久参にして機鋒峭峻なり、人号して劉鉄磨と為す。潙山を去ること十里にして庵を卓つ。一日去って潙山を訪ふ。山来たるを見て便ち云く、「老牸牛、汝来たるや」。磨云く、「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」。潙山身を放って便ち臥す。磨便ち出で去る。爾看よ、他の一に説話するが如くに相似たるを。且つ是れ禅にあらず、又是れ道にあらず。喚んで無事と作して会し得んや。潙山台山に去ること、自ら数千里を隔つ。劉鉄磨什麼に因ってか却って潙山をして斎に去らしむる。且く道へ、意旨如何。
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『碧巌録』第二十四則這の老婆、他の潙山の説話を会し、糸来たり線去り、一放一収、互ひに相酬唱すること、両鏡の相照らして影像の観るべき無きが如し。機機相副ひ、句句相投ず。如今の人は三たび搭するも頭を迴らさず。這の老婆、一点も也た他を瞞き得ず。這箇は却って是れ世諦の情見にあらず。明鏡の台に当たり、明珠の掌に在るが如く、胡来たれば胡現じ、漢来たれば漢現ず。是れ他向上の事有ることを知る、所以に此の如し。如今只管に無事の会を做す。四祖演和尚道ふ、「有事を将って無事と為すこと莫れ、往往事は無事より生ず」と。爾若し参得して透り去らば、他の恁麼なるを見ること、尋常の人の説話の如く一般ならん。多く言語に隔礙せらる、所以に会せず。唯だ是れ知音のみ方に他底を会す。只だ乾峰衆に示して云く、「一を挙して二を挙することを得ず。一著を放過すれば第二に落在す」。雲門衆を出でて云く、「昨日一僧有り、天台より来たって却って南岳に往き去る」。乾峰云く、「典座、今日普請することを得ざれ」。看よ他の両人、放てば則ち双び放ち、収むれば則ち双び収む。潙仰の下には之を境致と謂ふ。風塵草動、悉く端倪を究む。亦之を隔身の句と謂ふ。意通じて語隔たる。這裏に到って、須らく是れ左に撥し右に転じて方に是れ作家なるべし。
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『碧巌録』第二十四則曾て鉄馬に騎って重城に入る、勅下って伝へ聞く六国清しと。猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ、夜深けて誰と共にか御街を行く。雪竇の頌、諸方以て極則と為す。一百頌の中、這の一頌最も理路を具ふ。就中極めて妙なり。体に貼して分明に頌出す。「曾て鉄馬に騎って重城に入る」、劉鉄磨の恁麼に来たるを頌す。「勅下って伝へ聞く六国清しと」、潙山の恁麼に問ふを頌す。「猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ」、磨の「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」と云ふを頌す。「夜深けて誰と共にか御街を行く」、潙山の身を放って便ち臥し、磨の便ち出で去るを頌す。雪竇這般の才調有り、急切の処には急切の処に向かって頌し、緩緩の処には緩緩の処に向かって頌す。風穴も亦曾て拈ず、雪竇の意に同じ。此の頌、諸方皆之を美む。高高たる峰頂に立てば、魔外も能く知ること莫し。深深たる海底に行けば、仏眼も覷れども見えず。看よ他の一箇は身を放って臥し、一箇は便ち出で去るを。若し更に周遮せば、一時に路を求むれども見えず。雪竇の頌意最も好し、是れ「曾て鉄馬に騎って重城に入る」。若し是れ同じく得同じく証するにあらずんば、焉んぞ能く恁麼ならん。且く道へ、箇の什麼の意をか得たる。見ずや、僧、風穴に問ふ、「潙山道ふ、老牸牛汝来たるやと。意旨如何」。穴云く、「白雲深き処金龍躍る」。僧云く、「只だ劉鉄磨の来日台山に大会斎あり、和尚還た去るやと道ふが如き、意旨如何」。穴云く、「碧波心裏玉兎驚く」。僧云く、「潙山便ち臥す勢を作す、意旨如何」。穴云く、「老倒疎慵無事の日、閑眠高臥して青山に対す」。此の意も亦雪竇と同じきなり。
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『碧巌録』第三十四則挙す。仰山僧に問ふ、近離甚れの処ぞ。僧云く、廬山。山云く、曾て五老峰に遊ぶや。僧云く、曾て到らず。山云く、闍黎曾て山に遊ばず。雲門云く、此の語は皆慈悲の為の故に、落草の談有り。
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『碧巌録』第十七則一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。左転右転して随後に来たる、紫胡劉鉄磨を打たんと要す。雪竇直下に石火を撃つが如く、閃電光に似たり。拶出し放ちて爾をして見せしむ。聊か挙著するを聞いて便ち会して始めて得ん。也た妨げず是れ他の屋裏の児孫なることを、方に能く恁麼に道ふ。若し能く直下に便ち恁麼に会し去らば、妨げず奇特なることを。一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。灑灑落落として、生死に染められず、聖凡の情解に縛せられず。上に攀仰無く、下に己躬を絶す。一に他の香林・雪竇の如くに相似たり。何ぞ止だ只だ是れ千万箇のみならん。直に尽大地の人、悉く皆此の如くなることを得。前仏後仏も、也た悉く皆此の如し。苟或し言句の中に於て解会を作さば、便ち紫胡の劉鉄磨を打たんと要するに似て相似たり。其の実纔かに挙すれば、和声に便ち打つ。紫胡、南泉に参じ、趙州・岑大虫と同参なり。時に劉鉄磨、溈山の下に在りて庵を卓つ。諸方皆他を柰何ともせず。一日紫胡得得として去きて訪うて云く、便ち是れ劉鉄磨なること莫しや。磨云く、不敢。胡云く、左転か右転か。磨云く、和尚顛倒すること莫かれ。胡和声に便ち打つ。香林這の僧の如何なるか是れ祖師西来の意と問ふに答へて、却つて云く、坐すること久しうして労を成すと。若し恁麼に会し得ば、左転右転して随後に来たらん。且く道へ、雪竇此の如く頌出す、意作麼生。無事好し。試みに請ふ挙す看よ。
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『臨済録』行録師乃ち頌有り、「大道は同を絶し、西東に向かうに任す。石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し。」潙山、仰山に問う、「石火も及ぶこと莫く、電光も通ずること罔し、従上の諸聖、什麼を将ってか人の為にする。」仰山云く、「和尚の意作麼生。」潙山云く、「但だ言説有るのみにして、都て寔義無し。」仰山云く、「然らず。」潙山云く、「子又た作麼生。」仰山云く、「官には針をも容れず、私には車馬を通ず。」金牛に到る。牛、師の来たるを見て、拄杖を横按して門に当たって踞坐す。師、手を以て拄杖を敲くこと三下して、却って堂中の第一位に帰って坐す。牛下り来たって見て、乃ち問う、「夫れ賓主相見するには各おの威儀を具う。上座何れよりして来たる、太だ無礼生。」師云く、「老和尚、什麼をか道う。」牛口を開かんと擬す。師便ち打つ。牛倒るる勢を作す。師又た打つ。牛云く、「今日便を著けず。」潙山、仰山に問う、「此の二尊宿、還って勝負有りや。」仰山云く、「勝つときは即ち総に勝ち、負くるときは即ち総に負く。」
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