碧巌録 / 第二十四則
劉鐵磨如擊石火。似閃電光。擬議則喪身失命。禪道若到緊要處。那裏有許多事。他作家相見。如隔牆見角便知是牛。隔山見煙便知是火。拶著便動。捺著便轉。溈山道。老僧百年後。向山下檀越家。作一頭水牯牛。左脇下書五字云。溈山僧某甲。且正當恁麼時。喚作溈山僧。即是喚作水牯牛。即是。如今人問著。管取分疎不下。劉鐵磨久參機鋒峭峻。人號為劉鐵磨。去溈山十里卓庵。一日去訪溈山。山見來便云。老牸牛。汝來也。磨云。來日臺山大會齋。和尚還去麼。溈山放身便臥。磨便出去。爾看他一如說話相似。且不是禪又不是道。喚作無事會得麼。溈山去臺山。自隔數千里。劉鐵磨因什麼却令溈山去齋。旦道意旨如何。
新字:劉鉄磨如撃石火。似閃電光。擬議則喪身失命。禅道若到緊要処。那裏有許多事。他作家相見。如隔牆見角便知是牛。隔山見煙便知是火。拶著便動。捺著便転。溈山道。老僧百年後。向山下檀越家。作一頭水牯牛。左脇下書五字云。溈山僧某甲。且正当恁麼時。喚作溈山僧。即是喚作水牯牛。即是。如今人問著。管取分疎不下。劉鉄磨久参機鋒峭峻。人号為劉鉄磨。去溈山十里卓庵。一日去訪溈山。山見来便云。老牸牛。汝来也。磨云。来日台山大会斎。和尚還去麼。溈山放身便臥。磨便出去。爾看他一如説話相似。且不是禅又不是道。喚作無事会得麼。溈山去台山。自隔数千里。劉鉄磨因什麼却令溈山去斎。旦道意旨如何。
書き下し
劉鉄磨は石火を撃つが如く、閃電光に似たり。擬議すれば則ち喪身失命す。禅道若し緊要の処に到らば、那裏にか許多の事有らん。他作家相見ゆること、牆を隔てて角を見れば便ち是れ牛なることを知り、山を隔てて煙を見れば便ち是れ火なることを知るが如し。拶著すれば便ち動き、捺著すれば便ち転ず。潙山道ふ、「老僧百年の後、山下の檀越の家に向かって一頭の水牯牛と作らん。左脇の下に五字を書して云はん、潙山の僧某甲と。且く正当恁麼の時、喚んで潙山の僧と作さば即ち是れ水牯牛、喚んで水牯牛と作さば即ち是れ潙山の僧」と。如今の人問著せられば、管取す分疎不下ならん。劉鉄磨は久参にして機鋒峭峻なり、人号して劉鉄磨と為す。潙山を去ること十里にして庵を卓つ。一日去って潙山を訪ふ。山来たるを見て便ち云く、「老牸牛、汝来たるや」。磨云く、「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」。潙山身を放って便ち臥す。磨便ち出で去る。爾看よ、他の一に説話するが如くに相似たるを。且つ是れ禅にあらず、又是れ道にあらず。喚んで無事と作して会し得んや。潙山台山に去ること、自ら数千里を隔つ。劉鉄磨什麼に因ってか却って潙山をして斎に去らしむる。且く道へ、意旨如何。
現代語訳
劉鉄磨は火打ち石の火花のよう、稲妻の閃きのようである。ためらえば命を落とす。禅の道も肝心かなめのところに至れば、どこにそんな多くの事があろうか。腕の立つ者同士が出会うのは、垣根越しに角を見ればそれが牛だと分かり、山越しに煙を見ればそれが火だと分かるようなものだ。押せばすぐ動き、抑えればすぐ転じる。潙山は言った。「わしは死んだ後、山の麓の檀家の家に一頭の水牛として生まれよう。左の脇の下に『潙山の僧某甲』と五字を書いておく。まさにそのとき、潙山の僧と呼べばそれは水牛であり、水牛と呼べばそれは潙山の僧である」と。今の人がこう問われたら、きっと言い訳もできないだろう。劉鉄磨は長く修行を積み、働きが鋭く険しかったので、人々は鉄の臼の劉と呼んだ。潙山から十里のところに庵を構えていた。ある日潙山を訪ねると、潙山は来たのを見て「老いた牝牛よ、お前が来たか」と言った。劉鉄磨は「明日、五台山で大きな斎会がありますが、和尚は行かれますか」と言った。潙山は身を投げ出して横になった。劉鉄磨はすぐに出て行った。見よ、二人がまるでふつうに世間話をしているかのようなさまを。これは禅でもなく、道でもない。だからといって何事もないことと理解してよいのか。潙山から五台山までは、もともと数千里も離れている。劉鉄磨はなぜ潙山に斎会へ行かせようとしたのか。さあ言え、その意図はどうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十四則挙す。劉鉄磨、潙山に到る。山云く、「老牸牛、汝来たるや」。磨云く、「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」。潙山身を放って臥す。磨便ち出で去る。
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『碧巌録』第二十四則這の老婆、他の潙山の説話を会し、糸来たり線去り、一放一収、互ひに相酬唱すること、両鏡の相照らして影像の観るべき無きが如し。機機相副ひ、句句相投ず。如今の人は三たび搭するも頭を迴らさず。這の老婆、一点も也た他を瞞き得ず。這箇は却って是れ世諦の情見にあらず。明鏡の台に当たり、明珠の掌に在るが如く、胡来たれば胡現じ、漢来たれば漢現ず。是れ他向上の事有ることを知る、所以に此の如し。如今只管に無事の会を做す。四祖演和尚道ふ、「有事を将って無事と為すこと莫れ、往往事は無事より生ず」と。爾若し参得して透り去らば、他の恁麼なるを見ること、尋常の人の説話の如く一般ならん。多く言語に隔礙せらる、所以に会せず。唯だ是れ知音のみ方に他底を会す。只だ乾峰衆に示して云く、「一を挙して二を挙することを得ず。一著を放過すれば第二に落在す」。雲門衆を出でて云く、「昨日一僧有り、天台より来たって却って南岳に往き去る」。乾峰云く、「典座、今日普請することを得ざれ」。看よ他の両人、放てば則ち双び放ち、収むれば則ち双び収む。潙仰の下には之を境致と謂ふ。風塵草動、悉く端倪を究む。亦之を隔身の句と謂ふ。意通じて語隔たる。這裏に到って、須らく是れ左に撥し右に転じて方に是れ作家なるべし。
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『碧巌録』第二十四則曾て鉄馬に騎って重城に入る、勅下って伝へ聞く六国清しと。猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ、夜深けて誰と共にか御街を行く。雪竇の頌、諸方以て極則と為す。一百頌の中、這の一頌最も理路を具ふ。就中極めて妙なり。体に貼して分明に頌出す。「曾て鉄馬に騎って重城に入る」、劉鉄磨の恁麼に来たるを頌す。「勅下って伝へ聞く六国清しと」、潙山の恁麼に問ふを頌す。「猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ」、磨の「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」と云ふを頌す。「夜深けて誰と共にか御街を行く」、潙山の身を放って便ち臥し、磨の便ち出で去るを頌す。雪竇這般の才調有り、急切の処には急切の処に向かって頌し、緩緩の処には緩緩の処に向かって頌す。風穴も亦曾て拈ず、雪竇の意に同じ。此の頌、諸方皆之を美む。高高たる峰頂に立てば、魔外も能く知ること莫し。深深たる海底に行けば、仏眼も覷れども見えず。看よ他の一箇は身を放って臥し、一箇は便ち出で去るを。若し更に周遮せば、一時に路を求むれども見えず。雪竇の頌意最も好し、是れ「曾て鉄馬に騎って重城に入る」。若し是れ同じく得同じく証するにあらずんば、焉んぞ能く恁麼ならん。且く道へ、箇の什麼の意をか得たる。見ずや、僧、風穴に問ふ、「潙山道ふ、老牸牛汝来たるやと。意旨如何」。穴云く、「白雲深き処金龍躍る」。僧云く、「只だ劉鉄磨の来日台山に大会斎あり、和尚還た去るやと道ふが如き、意旨如何」。穴云く、「碧波心裏玉兎驚く」。僧云く、「潙山便ち臥す勢を作す、意旨如何」。穴云く、「老倒疎慵無事の日、閑眠高臥して青山に対す」。此の意も亦雪竇と同じきなり。
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『碧巌録』第十七則一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。左転右転して随後に来たる、紫胡劉鉄磨を打たんと要す。雪竇直下に石火を撃つが如く、閃電光に似たり。拶出し放ちて爾をして見せしむ。聊か挙著するを聞いて便ち会して始めて得ん。也た妨げず是れ他の屋裏の児孫なることを、方に能く恁麼に道ふ。若し能く直下に便ち恁麼に会し去らば、妨げず奇特なることを。一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。灑灑落落として、生死に染められず、聖凡の情解に縛せられず。上に攀仰無く、下に己躬を絶す。一に他の香林・雪竇の如くに相似たり。何ぞ止だ只だ是れ千万箇のみならん。直に尽大地の人、悉く皆此の如くなることを得。前仏後仏も、也た悉く皆此の如し。苟或し言句の中に於て解会を作さば、便ち紫胡の劉鉄磨を打たんと要するに似て相似たり。其の実纔かに挙すれば、和声に便ち打つ。紫胡、南泉に参じ、趙州・岑大虫と同参なり。時に劉鉄磨、溈山の下に在りて庵を卓つ。諸方皆他を柰何ともせず。一日紫胡得得として去きて訪うて云く、便ち是れ劉鉄磨なること莫しや。磨云く、不敢。胡云く、左転か右転か。磨云く、和尚顛倒すること莫かれ。胡和声に便ち打つ。香林這の僧の如何なるか是れ祖師西来の意と問ふに答へて、却つて云く、坐すること久しうして労を成すと。若し恁麼に会し得ば、左転右転して随後に来たらん。且く道へ、雪竇此の如く頌出す、意作麼生。無事好し。試みに請ふ挙す看よ。
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『碧巌録』第二十七則若し箇裏に向かって薦得せば、始めて雲門の為人の処を見ん。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って只だ是れ鹿を指して馬と為し、眼瞎し耳聾す。誰人か這の境界に到らん。且く道へ、雲門は為復是れ他の話に答ふるか、為復是れ他と酬唱するか。若し他の話に答ふと道はば、定盤星を錯認す。若し他と唱和すと道はば、且く交渉没きことを得たり。既に恁麼ならずんば、畢竟作麼生。爾若し見得して透らば、衲僧の鼻孔、一捏を消ひず。其れ或いは未だ然らずんば、旧に依って鬼窟裏に打入し去らん。大凡宗乗を扶竪するには、也た須らく是れ全身に担荷し、眉毛を惜しまず、虎口に向かって身を横たへ、他の横拕倒拽するに任すべし。若し此の如くならずんば、争でか能く人の為にし得ん。這の僧箇の問端を致す、也た妨げず嶮峻なることを。若し尋常の事を以て他を看ば、只だ箇の閑事を管する底の僧に似たり。若し衲僧門下に拠って、命脈裏に去って覷る時は、妨げず妙処有ることを。
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『碧巌録』第一則垂示に云く、山を隔てて煙を見て、早く是れ火なることを知り、牆を隔てて角を見て、便ち是れ牛なることを知る。一を挙げて三を明らめ、目機銖両す、是れ衲僧家の尋常の茶飯なり。衆流を截断するに至つては、東に湧き西に没し、逆順縦横、与奪自在なり。正当恁麼の時、且く道へ、是れ什麼人の行履の処ぞ。雪竇の葛藤を看取せよ。
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