碧巌録 / 第十七則
一箇兩箇千萬箇 脫却籠頭卸角馱左轉右轉隨後來紫胡要打劉鐵磨雪竇直下如擊石火。似閃電光。拶出放教爾見。聊聞舉著便會始得。也不妨是他屋裏兒孫。方能恁麼道。若能直下便恁麼會去。不妨奇特。一箇兩箇千萬箇。脫却籠頭卸角馱。灑灑落落。不被生死所染。不被聖凡情解所縛。上無攀仰。下絕已躬。一如他香林雪竄相似。何止只是千萬箇。直得盡大地人。悉皆如此。前佛後佛。也悉皆如此。苟或於言句中作解會。便似紫胡要打劉鐵磨相似。其實纔舉。和聲便打。紫胡參南泉。與趙州岑大蟲同參。時劉鐵磨在溈山下卓庵。諸方皆不柰何他。一日紫胡得得去訪云。莫便是劉鐵磨否。磨云。不敢。胡云。左轉右轉。磨云。和尚莫顛倒。胡和聲便打。香林答這僧問如何是祖師西來意。却云。坐久成勞。若恁麼會得。左轉右轉隨後來也。且道雪竇如此頌出。意作麼生。無事好。試請舉看。
新字:一箇両箇千万箇 脱却籠頭卸角馱左転右転随後来紫胡要打劉鉄磨雪竇直下如撃石火。似閃電光。拶出放教爾見。聊聞舉著便会始得。也不妨是他屋裏児孫。方能恁麼道。若能直下便恁麼会去。不妨奇特。一箇両箇千万箇。脱却籠頭卸角馱。灑灑落落。不被生死所染。不被聖凡情解所縛。上無攀仰。下絶已躬。一如他香林雪竄相似。何止只是千万箇。直得尽大地人。悉皆如此。前仏後仏。也悉皆如此。苟或於言句中作解会。便似紫胡要打劉鉄磨相似。其実纔舉。和声便打。紫胡参南泉。与趙州岑大虫同参。時劉鉄磨在溈山下卓庵。諸方皆不柰何他。一日紫胡得得去訪云。莫便是劉鉄磨否。磨云。不敢。胡云。左転右転。磨云。和尚莫顛倒。胡和声便打。香林答這僧問如何是祖師西来意。却云。坐久成労。若恁麼会得。左転右転随後来也。且道雪竇如此頌出。意作麼生。無事好。試請舉看。
書き下し
一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。左転右転して随後に来たる、紫胡劉鉄磨を打たんと要す。雪竇直下に石火を撃つが如く、閃電光に似たり。拶出し放ちて爾をして見せしむ。聊か挙著するを聞いて便ち会して始めて得ん。也た妨げず是れ他の屋裏の児孫なることを、方に能く恁麼に道ふ。若し能く直下に便ち恁麼に会し去らば、妨げず奇特なることを。一箇両箇千万箇、籠頭を脱却し角馱を卸す。灑灑落落として、生死に染められず、聖凡の情解に縛せられず。上に攀仰無く、下に己躬を絶す。一に他の香林・雪竇の如くに相似たり。何ぞ止だ只だ是れ千万箇のみならん。直に尽大地の人、悉く皆此の如くなることを得。前仏後仏も、也た悉く皆此の如し。苟或し言句の中に於て解会を作さば、便ち紫胡の劉鉄磨を打たんと要するに似て相似たり。其の実纔かに挙すれば、和声に便ち打つ。紫胡、南泉に参じ、趙州・岑大虫と同参なり。時に劉鉄磨、溈山の下に在りて庵を卓つ。諸方皆他を柰何ともせず。一日紫胡得得として去きて訪うて云く、便ち是れ劉鉄磨なること莫しや。磨云く、不敢。胡云く、左転か右転か。磨云く、和尚顛倒すること莫かれ。胡和声に便ち打つ。香林這の僧の如何なるか是れ祖師西来の意と問ふに答へて、却つて云く、坐すること久しうして労を成すと。若し恁麼に会し得ば、左転右転して随後に来たらん。且く道へ、雪竇此の如く頌出す、意作麼生。無事好し。試みに請ふ挙す看よ。
現代語訳
一人、二人、千人万人と、おもがいを外し、角に負わせた荷を下ろす。左に回り右に回ってすぐ後をついて来るなら、紫胡が劉鉄磨を打とうとしたようなものだ。雪竇はまっすぐに、火打ち石の火花のように、稲妻の光のように、押し出して放り出し、お前たちに見せている。ちょっと取り上げるのを聞いただけですぐにわかって、はじめてよい。雪竇はやはり香林の家の子孫であるから、こう言えるのである。もしすぐにそのように理解できるなら、まことに優れている。「一人、二人、千人万人と、おもがいを外し、角に負わせた荷を下ろす」。さっぱりとして、生死に染まらず、聖と凡の情による理解に縛られない。上には仰ぎすがるものがなく、下には自分の身さえ絶えている。まるで香林や雪竇と同じである。千人万人どころではない。大地のあらゆる人がことごとくこのようであり、前の仏も後の仏もみなこのようである。もし言葉の中で解釈をするなら、紫胡が劉鉄磨を打とうとしたのと同じである。実は取り上げたとたん、声と同時に打つのである。紫胡は南泉に参じ、趙州や長沙景岑と同門であった。そのころ劉鉄磨は溈山の麓に庵を結んでおり、諸方の者は誰も彼女をどうすることもできなかった。ある日、紫胡はわざわざ訪ねて行って「あなたが劉鉄磨ではないか」と言った。鉄磨「恐れ入ります」。紫胡「左回りか、右回りか」。鉄磨「和尚、あべこべにならないでください」。紫胡は声と同時に打った。香林はこの僧の「祖師が西から来た意図とは何か」という問いに答えて、かえって「長く座っていたので疲れた」と言った。もしそのように理解できたなら、左に回り右に回ってすぐ後をついて来ることになる。さあ言ってみよ、雪竇がこのように頌したのは、どういう意図か。何事もないのがよい。試みに挙げてみよ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第二十四則曾て鉄馬に騎って重城に入る、勅下って伝へ聞く六国清しと。猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ、夜深けて誰と共にか御街を行く。雪竇の頌、諸方以て極則と為す。一百頌の中、這の一頌最も理路を具ふ。就中極めて妙なり。体に貼して分明に頌出す。「曾て鉄馬に騎って重城に入る」、劉鉄磨の恁麼に来たるを頌す。「勅下って伝へ聞く六国清しと」、潙山の恁麼に問ふを頌す。「猶ほ金鞭を握って帰客に問ふ」、磨の「来日台山に大会斎あり、和尚還た去るや」と云ふを頌す。「夜深けて誰と共にか御街を行く」、潙山の身を放って便ち臥し、磨の便ち出で去るを頌す。雪竇這般の才調有り、急切の処には急切の処に向かって頌し、緩緩の処には緩緩の処に向かって頌す。風穴も亦曾て拈ず、雪竇の意に同じ。此の頌、諸方皆之を美む。高高たる峰頂に立てば、魔外も能く知ること莫し。深深たる海底に行けば、仏眼も覷れども見えず。看よ他の一箇は身を放って臥し、一箇は便ち出で去るを。若し更に周遮せば、一時に路を求むれども見えず。雪竇の頌意最も好し、是れ「曾て鉄馬に騎って重城に入る」。若し是れ同じく得同じく証するにあらずんば、焉んぞ能く恁麼ならん。且く道へ、箇の什麼の意をか得たる。見ずや、僧、風穴に問ふ、「潙山道ふ、老牸牛汝来たるやと。意旨如何」。穴云く、「白雲深き処金龍躍る」。僧云く、「只だ劉鉄磨の来日台山に大会斎あり、和尚還た去るやと道ふが如き、意旨如何」。穴云く、「碧波心裏玉兎驚く」。僧云く、「潙山便ち臥す勢を作す、意旨如何」。穴云く、「老倒疎慵無事の日、閑眠高臥して青山に対す」。此の意も亦雪竇と同じきなり。
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『碧巌録』第一則且く道へ、達磨什麼の処にか在る。若し達磨を見ば、便ち雪竇末後人の為にする処を見ん。雪竇人の情見を逐はんことを恐怕るる、所以に関捩子を撥転して、自己の見解を出して云く、「相憶ふことを休めよ、清風地に匝くして何の極まりか有らん」。既に相憶ふことを休めば、爾が脚跟下の事、又作麼生。雪竇道ふ、即今箇裏匝地の清風、天上天下何の極まる所か有らん。雪竇千古万古の事を拈じて、面前に抛向す。止だ雪竇当時何の極まりか有るのみに非ず、爾諸人の分上も亦た何の極まりか有らん。他又人の這裏に執在せんことを怕れて、再び方便を著けて高声に云く、「這裏に還た祖師有りや」。自ら云く、「有り」。雪竇這裏に到つて、妨げず人の為にすることを、赤心片片たり。又自ら云く、「喚び来つて老僧の与に脚を洗はしめん」。太殺だ人の威光を減ず。当時也た好し、本分の手脚を与へんには。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。這裏に到つて、喚んで驢と作すも則ち是、喚んで馬と作すも則ち是、喚んで祖師と作すも則ち是。如何が名邈せん。往往に喚んで雪竇祖師を使ひ去ると作す。且喜すらくは没交渉。且く道へ、畢竟作麼生。只だ老胡の知ることを許して、老胡の会することを許さず。
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『碧巌録』第二十六則祖域に交馳す天馬駒、化門の舒巻途を同じくせず。電光石火に機変を存す、笑ふに堪へたり人の来たって虎鬚を捋づることを。雪竇見得して透り、方に乃ち頌出す。天馬駒は日に千里を行き、横行竪走、奔驟すること飛ぶが如くにして、方に天馬駒と名づく。雪竇は百丈を頌す、祖域の中に於て、東に走り西に向かひ、西に走り東に向かひ、一来一往、七縦八横、殊に少しの礙げも無く、天馬駒の如くに相似たり、善く能く交馳して、方に自由の処を見ると。這箇は自ら是れ他の馬祖の大機大用を得たり。見ずや、僧、馬祖に問ふ、「如何なるか是れ仏法の大意」。祖便ち打って云く、「我若し爾を打たずんば、天下の人我を笑ひ去らん」。又問ふ、「如何なるか是れ祖師西来の意」。祖云く、「近前し来たれ、爾に向かって道はん」。僧近前す。祖、耳を劈いて便ち掌して云く、「六耳謀を同じくせず」。看よ他の恁麼に大自在を得たるを。建化門の中に於て、或いは巻き或いは舒ぶ。有る時は舒ぶるも巻く処に在らず、有る時は巻くも舒ぶる処に在らず、有る時は巻舒倶に在らず。所以に道ふ、「塗を同じくして轍を同じくせず」と。此れ百丈に這般の手脚有るを頌す。雪竇道ふ、「電光石火に機変を存す」と。這の僧の石火を撃つが如く閃電光に似て、只だ些子の機変の処に在るを頌す。巌頭道ふ、「物を却くるを上と為し、物を逐ふを下と為す」と。若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す。雪竇道ふ、「機輪曾て未だ転ぜず、転ずれば必ず両頭に走る」と。若し転じ得ずんば、什麼の用処か有らん。大丈夫漢は、也た須らく是れ些子の機変を識って始めて得べし。如今の人は只管に他に款を供して、他に鼻孔を穿却せらる、什麼の了期か有らん。這の僧は電光石火の中に於て、能く機変を存して、便ち礼拝す。雪竇道ふ、「笑ふに堪へたり人の来たって虎鬚を捋づることを」と。百丈は一箇の大虫に似て相似たり。笑ふに堪へたり這の僧の去って虎鬚を捋づることを。
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『碧巌録』第二十五則又云く、「眼裏に須弥山を著け得、耳裏に大海水を著け得。一般の漢有って、人の商量を受く。祖仏の言教、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。却って須らく鉢嚢を挑起し、拄杖を横担すべし。亦是れ一員の無事の道人なり」。復た云く、「恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。然る後交渉没し。三員の無事の道人の中、一人を選んで師と為さんと要す」。正に是れ這般の生鉄鋳就底の漢なり。何が故ぞ。或いは悪境界に遇ひ、或いは奇特の境界に遇ふも、他の面前に到れば、悉く皆夢の如くに相似たり。六根有ることを知らず、亦旦暮有ることを知らず。直饒ひ這般の田地に到るも、切に忌む寒灰死火を守って、黒漫漫の処に打入し去ることを。也た須らく是れ転身の一路有って始めて得べし。見ずや、古人道ふ、「寒巌に異草の青きを守ること莫れ。白雲に坐却せば宗妙ならず」と。所以に蓮華峰庵主道ふ、「他の途路に力を得ざるが為なり」と。直に須らく是れ千峰万峰に去って始めて得べし。且く道へ、什麼を喚んでか千峰万峰と作す。雪竇只だ他の「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、什麼の処に向かってか去る。還た去処を知り得る者有りや。「落花流水太だ茫茫」。落花紛紛、流水茫茫、閃電の機、眼前是れ什麼ぞ。「眉毛を剔起して何れの処にか去る」。雪竇什麼と為てか也た他の去処を知らざる。只だ山僧適来払子を挙すと道ふが如き、且く道へ、即今什麼の処にか在る。爾諸人若し見得せば、蓮華峰庵主と同参ならん。其れ或いは未だ然らずんば、三条椽下、七尺単前に、試みに去って参詳し看よ。
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『碧巌録』第二十則雪竇復た拈じて云く、這の老漢也た未だ勦絶することを得ず。復た一頌を成す。盧公付し了りて亦た何をか憑まん、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよ。堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるに、遠山限り無く碧層層。盧公付し了りて亦た何をか憑まん。何の憑拠か有る。直に須らく這裏に向かつて恁麼に会し去るべし。更に株を守りて兎を待つこと莫かれ。髑髏前に一時に打破して、一点の事の胸中に在る無く、放ちて灑灑落落地ならしむ。又何ぞ必ずしも憑むことを要せん。或いは坐し或いは倚る、仏法の道理を作すことを消ひず。所以に道ふ、坐倚して祖灯を継ぐことを将ゐること休めよと。雪竇一時に拈じ了れり。他に箇の転身の処有り、末後に自ら箇の消息を露はす。些子の好き処有りて道ふ、堪対す暮雲の帰りて未だ合せざるにと。且く道へ、雪竇の意什麼の処にか在る。暮雲帰りて合せんと欲して未だ合せざる時、爾道へ作麼生。遠山限り無く碧層層。旧に依りて鬼窟裏に打入し去る。這裏に到りて得失是非、一時に坐断して灑灑落落たらば、始めて些子に較れり。遠山限り無く碧層層。且く道へ、是れ文殊の境界か、是れ普賢の境界か、是れ観音の境界か。此に到りて且く道へ、是れ什麼人の分上の事ぞ。
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『碧巌録』第四十二則「雪団打、雪団打、龐老の機関把るべき没し」。雪竇は居士の頭上に在つて行かんことを要す。古人雪を以て一色辺の事を明かす。雪竇の意に道ふ、当時若し雪団を握つて打たば、居士縦ひ如何なる機関有るも、亦た搆へ得難しと。雪竇自ら他の打処を誇る。殊に知らず落節の処有ることを。「天上人間自ら知らず、眼裏耳裏絶えて瀟灑」。眼裏も也た是れ雪、耳裏も也た是れ雪、正に一色辺に住在す。亦た之を普賢境界一色辺の事と謂ひ、亦た之を打成一片と謂ふ。雲門道ふ、「直に尽乾坤大地、繊毫の過患無きことを得るも、猶ほ転句と為す。一色を見ざる、始めて是れ半提。若し全提を要せば、須らく向上の一路有ることを知りて始めて得べし」。這裏に到つて須らく是れ大用現前して、針箚せども入らず、他人の処分を聴かざるべし。所以に道ふ、「他は活句に参じて、死句に参ぜず」。古人道ふ、「一句合頭の語、万劫の繋驢橛」。什麼の用処か有らん。雪竇此に到つて頌殺し了つて、復た機を転じて道ふ、「只だ此の瀟灑絶、直饒是れ碧眼の胡僧も也た弁別し難し」。碧眼の胡僧すら尚ほ弁別し難し、更に山僧をして箇の什麼をか説かしめん。
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