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碧巌録 / 第十六則

所以南院示眾云。諸方只具啐啄同時眼。不具啐啄同時用。有僧出問。如何是啐啄同時用。南院云。作家不啐啄。啐啄同時失。僧云。猶是學人疑處。南院云。作麼生是爾疑處。僧云。失。南院便打。其僧不肯。院便趕出。僧後到雲門會裏舉前話。有一僧云。南院棒折那。其僧豁然有省。且道意在什麼處。其僧却回見南院。院適已遷化。却見風穴。纔禮拜。穴云。莫是當時問先師啐啄同時底僧麼。僧云。是。穴云。爾當時作麼生會。僧云。某甲當初時。如燈影裏行相似。穴云。爾會也。且道是箇什麼道理。這僧都來只道某甲當初時。如燈影裏行相似。因甚麼風穴便向他道爾會也。後來翠巖拈云。南院雖然運籌帷幄。爭柰土曠人稀。知音者少。風穴拈云。南院當時。待他開口。劈脊便打。看他作麼生。若見此公案。便見這僧與鏡清相見處。諸人作麼生。免得他道草裏漢。所以雪竇愛他道草裏漢。便頌出。

新字:所以南院示衆云。諸方只具啐啄同時眼。不具啐啄同時用。有僧出問。如何是啐啄同時用。南院云。作家不啐啄。啐啄同時失。僧云。猶是学人疑処。南院云。作麼生是爾疑処。僧云。失。南院便打。其僧不肯。院便趕出。僧後到雲門会裏舉前話。有一僧云。南院棒折那。其僧豁然有省。且道意在什麼処。其僧却回見南院。院適已遷化。却見風穴。纔礼拝。穴云。莫是当時問先師啐啄同時底僧麼。僧云。是。穴云。爾当時作麼生会。僧云。某甲当初時。如灯影裏行相似。穴云。爾会也。且道是箇什麼道理。這僧都来只道某甲当初時。如灯影裏行相似。因甚麼風穴便向他道爾会也。後来翠巖拈云。南院雖然運籌帷幄。争柰土曠人稀。知音者少。風穴拈云。南院当時。待他開口。劈脊便打。看他作麼生。若見此公案。便見這僧与鏡清相見処。諸人作麼生。免得他道草裏漢。所以雪竇愛他道草裏漢。便頌出。

書き下し

所以に南院衆に示して云く、諸方は只だ啐啄同時の眼を具して、啐啄同時の用を具せず。僧有り出でて問ふ、如何なるか是れ啐啄同時の用。南院云く、作家は啐啄せず、啐啄同時に失す。僧云く、猶ほ是れ学人の疑ふ処。南院云く、作麼生か是れ爾が疑ふ処。僧云く、失。南院便ち打つ。其の僧肯はず。院便ち趕ひ出す。僧後に雲門の会裏に到りて前話を挙す。一僧有りて云く、南院の棒折れたりや。其の僧豁然として省有り。且く道へ、意什麼の処にか在る。其の僧却回して南院に見えんとするに、院適々已に遷化す。却つて風穴に見ゆ。纔かに礼拝するや、穴云く、是れ当時先師に啐啄同時を問ひし底の僧なること莫しや。僧云く、是。穴云く、爾当時作麼生か会せし。僧云く、某甲当初の時、灯影裏に行くが如くに相似たり。穴云く、爾会せり。且く道へ、是れ箇の什麼の道理ぞ。這の僧都来只だ道ふ、某甲当初の時、灯影裏に行くが如くに相似たりと。甚麼に因りてか風穴便ち他に向かつて爾会せりと道ふ。後来翠巌拈じて云く、南院運籌帷幄すと雖然も、争奈せん土曠く人稀にして、知音の者少なることを。風穴拈じて云く、南院当時、他の開口を待つて、劈脊に便ち打たば、他の作麼生なるかを看ん。若し此の公案を見ば、便ち這の僧と鏡清と相見ゆる処を見ん。諸人作麼生か他の草裏の漢と道ふことを免れ得ん。所以に雪竇他の草裏の漢と道ふを愛して、便ち頌出す。

現代語訳

だから南院は大衆に示して言った。「諸方の者はただ啐啄同時の眼を備えているだけで、啐啄同時の働きを備えていない」。ある僧が進み出て「啐啄同時の働きとはどういうものですか」と問うた。南院「手練れは啐啄しない。啐啄が同時であれば失う」。僧「それこそわたしの疑うところです」。南院「お前の疑うところとは何か」。僧「失うことです」。南院はすぐさま打った。その僧は納得しなかった。南院は追い出した。僧はのちに雲門の門下に至り、前の話を持ち出した。一人の僧が「南院の棒は折れたのか」と言った。その僧はからりと気づいた。さあ言ってみよ、その意図はどこにあるのか。その僧は引き返して南院に会おうとしたが、南院はちょうど亡くなったところであった。そこで風穴に会った。礼拝するやいなや、風穴は「お前はあのとき先師に啐啄同時を問うた僧ではないか」と言った。僧「そうです」。風穴「お前はあのときどう理解したのか」。僧「わたしはあのとき、灯火の影の中を歩いているようなものでした」。風穴「お前はわかったのだ」。さあ言ってみよ、これはどういう道理なのか。この僧はただ「わたしはあのとき、灯火の影の中を歩いているようなものでした」と言っただけである。なぜ風穴はすぐ彼に「お前はわかったのだ」と言ったのか。のちに翠巌はこれを取り上げて「南院は帷幕の中で策をめぐらしたが、いかんせん土地は広く人は少なく、知音の者が少なかった」と言った。風穴は取り上げて「南院はあのとき、彼が口を開くのを待って、背中めがけて打っていたら、彼がどうするか見られたのに」と言った。もしこの公案がわかれば、この僧と鏡清が出会ったところが見えるだろう。皆はどうしたら「草むらの中の奴だ」と言われずに済むか。だから雪竇は鏡清が「草むらの中の奴だ」と言ったところを愛して、頌に詠んだのである。

解説

本則評唱の結びで、圜悟は南院慧顒の啐啄同時の話を引く。南院は、諸方は啐啄同時の眼はあっても用がないと言い、作家は啐啄しない、啐啄同時なら失うと答えた。納得できず追い出された僧は、雲門の門下で南院の棒が折れたのかと言われて気づき、のちに風穴に、当時は灯火の影の中を歩くようだったと語って認められた。打たれたその場では受け取れず、時と場所を変えて初めて腑に落ちることがある。師の指導が本当に効くのは、後になってからかもしれない。すぐに結果が出ない育成にも意味があると、この逸話は教えている。

この章句が説くこと

南院風穴啐啄悟り育成公案

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