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碧巌録 / 第十六則

鏡清承嗣雪峯。與本仁玄沙疎山太原孚輩同時。初見雪峯。得旨後。常以啐啄之機。開示後學。善能應機說法。示眾云。大凡行脚人。須具啐啄同時眼。有啐啄同時用。方稱衲僧。如母欲啄。而子不得不啐。子欲啐。而母不得不啄。有僧便出問。母啄子啐。於和尚分上。成得箇什麼邊事。清云。好箇消息。僧云。子啐母啄。於學人分上。成得箇什麼邊事。清云。露箇面目。所以鏡清門下。有啐啄之機。這僧亦是他門下客。會他家裏事。所以如此問。

新字:鏡清承嗣雪峯。与本仁玄沙疎山太原孚輩同時。初見雪峯。得旨後。常以啐啄之機。開示後学。善能応機説法。示衆云。大凡行脚人。須具啐啄同時眼。有啐啄同時用。方称衲僧。如母欲啄。而子不得不啐。子欲啐。而母不得不啄。有僧便出問。母啄子啐。於和尚分上。成得箇什麼辺事。清云。好箇消息。僧云。子啐母啄。於学人分上。成得箇什麼辺事。清云。露箇面目。所以鏡清門下。有啐啄之機。這僧亦是他門下客。会他家裏事。所以如此問。

書き下し

鏡清、雪峰に承嗣し、本仁・玄沙・疎山・太原孚の輩と同時なり。初め雪峰に見えて旨を得て後、常に啐啄の機を以て後学を開示す。善く能く機に応じて法を説く。衆に示して云く、大凡そ行脚の人は、須らく啐啄同時の眼を具し、啐啄同時の用有りて、方に衲僧と称すべし。母の啄せんと欲するが如きは、子啐せざることを得ず。子の啐せんと欲するは、母啄せざることを得ず。僧有りて便ち出でて問ふ、母啄し子啐す、和尚の分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得ん。清云く、好箇の消息。僧云く、子啐し母啄す、学人の分上に於て、箇の什麼辺の事をか成し得ん。清云く、箇の面目を露はす。所以に鏡清の門下に啐啄の機有り。這の僧も亦た是れ他の門下の客、他の家裏の事を会す。所以に此の如く問ふ。

現代語訳

鏡清は雪峰の法を嗣ぎ、本仁、玄沙、疎山、太原の孚上座らと同時代の人である。初めて雪峰に見えて宗旨を得てから、いつも啐啄の働きによって後進を導いた。よく機に応じて法を説いた。大衆に示して言った。「およそ行脚する者は、啐啄同時の眼を備え、啐啄同時の働きがあって、はじめて禅僧と称することができる。母鳥が外からつつこうとすれば、雛は内からつつかずにはいられない。雛が内からつつこうとすれば、母鳥は外からつつかずにはいられない」。ある僧が進み出て問うた。「母がつつき子がつつくのは、和尚の側からすると、どういうことになりますか」。鏡清「よい知らせだ」。僧「子がつつき母がつつくのは、わたしの側からすると、どういうことになりますか」。鏡清「顔かたちをあらわにすることだ」。だから鏡清の門下には啐啄の働きがある。この僧もまた鏡清の門下の客であり、その家の中の事をわかっていた。だからこのように問うたのである。

解説

圜悟の本則評唱の冒頭で、鏡清の人物と啐啄の教えが紹介される。雪峰の法を嗣いだ鏡清は、母鳥が外からつつけば雛は内からつつかずにいられず、雛が内からつつけば母鳥も外からつつかずにいられないと説き、行脚の者は啐啄同時の眼と用を具えよと言った。師の側から見ればそれは好い知らせであり、弟子の側から見れば本来の面目が露わになることだと答えている。本則の僧も、この家風を知ったうえで問うたのである。教える側と学ぶ側の呼吸が合ったとき、はじめて殻は破れる。育成の場面で、相手の内側の動きに合わせられているかを点検したい。

この章句が説くこと

鏡清雪峰啐啄育成師弟時節

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