碧巌録 / 第十五則
只如巖頭道雪峯雖與我同條生。不與我同條死。若非全機透脫得大自在底人。焉能與爾同死同生。何故。為他無許多得失是非滲漏處。故洞山云。若要辨認向上之人真偽者。有三種滲漏。情滲漏。見滲漏。語滲漏。見滲漏。機不離位。墮在毒海。情滲漏。智常向背。見處偏枯。語滲漏。體妙失宗。機昧終始。此三滲漏。宜已知之。又有三玄。體中玄。句中玄。玄中玄。古人到這境界。全機大用。遇生與爾同生。遇死與爾同死。向虎口裏橫身。放得手脚。千里萬里。隨爾銜去。何故還他得這一著子。始得。
新字:只如巖頭道雪峯雖与我同条生。不与我同条死。若非全機透脱得大自在底人。焉能与爾同死同生。何故。為他無許多得失是非滲漏処。故洞山云。若要弁認向上之人真偽者。有三種滲漏。情滲漏。見滲漏。語滲漏。見滲漏。機不離位。堕在毒海。情滲漏。智常向背。見処偏枯。語滲漏。体妙失宗。機昧終始。此三滲漏。宜已知之。又有三玄。体中玄。句中玄。玄中玄。古人到這境界。全機大用。遇生与爾同生。遇死与爾同死。向虎口裏横身。放得手脚。千里万里。随爾銜去。何故還他得這一著子。始得。
書き下し
只だ巌頭の、雪峰我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せずと道ふが如き、若し全機透脱して大自在を得る底の人に非ずんば、焉んぞ能く爾と同死同生せん。何が故ぞ、他に許多の得失是非滲漏の処無きが為なり。故に洞山云く、若し向上の人の真偽を弁認せんと要せば、三種の滲漏有り。情滲漏、見滲漏、語滲漏。見滲漏は、機位を離れず、毒海に墮在す。情滲漏は、智常に向背し、見処偏枯す。語滲漏は、体妙にして宗を失し、機終始に昧し。此の三滲漏、宜しく已に之を知るべし。又三玄有り、体中玄、句中玄、玄中玄。古人這の境界に到つて、全機大用、生に遇へば爾と同じく生じ、死に遇へば爾と同じく死す。虎口裏に向かつて身を横たへ、手脚を放ち得て、千里万里、爾が銜み去るに随ふ。何が故ぞ、他の這の一著子を得るを還して始めて得ん。
現代語訳
たとえば巌頭が「雪峰はわたしと同じ枝に生まれたが、わたしと同じ枝に死にはしない」と言ったように、全き働きで透り抜け、大いなる自在を得た人でなければ、どうしてお前たちと同じく死に同じく生きることができようか。なぜか。彼にはさまざまな損得や是非の漏れ出るところがないからである。だから洞山は言った。「最上の人の真偽を見分けようとするなら、三種の滲漏がある。情の滲漏、見の滲漏、語の滲漏である。見の滲漏とは、働きがその位を離れず、毒の海に落ちていること。情の滲漏とは、智がいつも向かうか背くかに偏り、見どころが片寄って枯れていること。語の滲漏とは、本体の妙にとらわれて宗旨を失い、働きが始めも終わりも暗いことである。この三つの滲漏は、すでに知っておくべきである」。また三玄がある。体の中の玄、句の中の玄、玄の中の玄である。古人はこの境地に至って、全き働きと大いなる用をもって、生に遇えばお前とともに生き、死に遇えばお前とともに死ぬ。虎の口の中に身を横たえ、手足を放り出して、千里万里、お前がくわえて行くのにまかせる。なぜか。彼がこの一手を得ていることを認めて、はじめてよいのである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『碧巌録』第十五則倒一説、一節を分かつ。同死同生、君が為に訣す。八万四千鳳毛に非ず、三十三人虎穴に入る。別別。擾擾怱怱たり水裏の月。雪竇も亦た妨げず作家なることを。一句の下に於て便ち道ふ、一節を分かつと。分明に一著を放過して、他と手を把りて共に行く。他従来放行の手段有り、敢へて爾と泥に入り水に入り、同死同生す。所以に雪竇恁麼に頌す。其の実他無し、只だ爾が与に粘を解き縛を去り、釘を抽き楔を抜かんことを要す。如今却つて言句に因りて、転た情解を生ず。
-
『碧巌録』第十五則雲門は是れ這般の人、善く能く同死同生す。宗師人の為にするは、須らく此の如くなるに至るべし。曲彔木床の上に據りて坐し、捨得して爾をして打破せしめ、爾が虎鬚を捋づるを容す。也た須らく是れ這般の田地に到りて始めて得べし。七事を具して随身し、以て同生同死すべし。高き者は之を抑へ、下き者は之を挙げ、足らざる者は之に与ふ。孤峰に在る者は、救ひて荒草に入らしめ、荒草に落つる者は、救ひて孤峰に処らしむ。爾若し鑊湯炉炭に入らば、我も也た鑊湯炉炭に入らん。其の実他無し、只だ爾が与に粘を解き縛を去り、釘を抽き楔を抜き、籠頭を脱却し、角馱を卸却せんことを要す。平田和尚に一頌有りて最も好し。霊光昧まさず、万古の徽猷。此の門に入り来たらば、知解を存すること莫かれ。別別。擾擾怱怱たり水裏の月。妨げず出身の路有り、亦た活人の機有ることを。雪竇拈じ了りて、人をして自ら去きて生機を明悟せしむ。他の語句に随ふこと莫かれ。爾若し他に随はば、正に是れ擾擾怱怱たる水裏の月なり。如今作麼生か平穏を得去らん。一著を放過す。
-
『碧巌録』第二十五則又云く、「眼裏に須弥山を著け得、耳裏に大海水を著け得。一般の漢有って、人の商量を受く。祖仏の言教、龍の水を得るが如く、虎の山に靠るに似たり。却って須らく鉢嚢を挑起し、拄杖を横担すべし。亦是れ一員の無事の道人なり」。復た云く、「恁麼も也た得ず、不恁麼も也た得ず。然る後交渉没し。三員の無事の道人の中、一人を選んで師と為さんと要す」。正に是れ這般の生鉄鋳就底の漢なり。何が故ぞ。或いは悪境界に遇ひ、或いは奇特の境界に遇ふも、他の面前に到れば、悉く皆夢の如くに相似たり。六根有ることを知らず、亦旦暮有ることを知らず。直饒ひ這般の田地に到るも、切に忌む寒灰死火を守って、黒漫漫の処に打入し去ることを。也た須らく是れ転身の一路有って始めて得べし。見ずや、古人道ふ、「寒巌に異草の青きを守ること莫れ。白雲に坐却せば宗妙ならず」と。所以に蓮華峰庵主道ふ、「他の途路に力を得ざるが為なり」と。直に須らく是れ千峰万峰に去って始めて得べし。且く道へ、什麼を喚んでか千峰万峰と作す。雪竇只だ他の「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」と道ふを愛す。所以に頌出す。且く道へ、什麼の処に向かってか去る。還た去処を知り得る者有りや。「落花流水太だ茫茫」。落花紛紛、流水茫茫、閃電の機、眼前是れ什麼ぞ。「眉毛を剔起して何れの処にか去る」。雪竇什麼と為てか也た他の去処を知らざる。只だ山僧適来払子を挙すと道ふが如き、且く道へ、即今什麼の処にか在る。爾諸人若し見得せば、蓮華峰庵主と同参ならん。其れ或いは未だ然らずんば、三条椽下、七尺単前に、試みに去って参詳し看よ。
-
『碧巌録』第七十則溈山・五峰・雲巌、同じく百丈に侍立す。百丈、溈山に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。山云く、「却つて請ふ和尚道へ」。丈云く、「我汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」。百丈此の如くなりと雖然も、鍋子已に別人に奪ひ去られ了れり。丈復た五峰に問ふ。峰云く、「和尚も也た須らく併却すべし」。丈云く、「無人の処に額を斫りて汝を望まん」。又雲巌に問ふ。巌云く、「和尚有りや未だしや」。丈云く、「我が児孫を喪はん」。三人各おの是れ一家なり。古人道ふ、「平地上に死人無数、荊棘林を過ぎ得る者是れ好手」と。所以に宗師家は荊棘林を以て人を験す。何が故ぞ。若し常情の句下に於いてせば、人を験し得ず。衲僧家は須らく是れ句裏に機を呈し、言中に的を辨ずべし。若し是れ担板漢ならば、多く句中に向かつて死却して、便ち道ふ、「咽喉唇吻を併却すれば、更に下口の処無し」と。若し是れ変通底の人ならば、逆水の波有り、只だ問頭上に向かつて一条の路有りて、鋒を傷つけず手を犯さず。溈山云く、「却つて請ふ和尚道へ」と。且く道へ他の意作麼生。箇裏に向かつて石火を撃つが如く閃電光に似たるが如く相似て、他の問処を拶して便ち答ふ。自ら出身の路有りて、纖毫の気力をも費やさず。所以に道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。百丈却つて他を采らず、只だ云く、「汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」と。大凡そ宗師の為人は、釘を抽き楔を抜く。若し是れ如今の人ならば便ち道はん、「此の答は他を肯はず、他は話を領せず」と。殊に知らず、箇裏一路の生機の処、壁立千仞、賓主互換して、活鱍鱍地なることを。雪竇は他の此の語の風措、宛転自在にして、又能く封疆を把定することを愛す。所以に頌して云く、
-
『碧巌録』第四十三則獹(字音の注)。曹洞下に出世・不出世有り、垂手・不垂手有り。若し出世せずんば目は雲霄を視、若し出世せば便ち灰頭土面。目雲霄を視るは即ち是れ万仞峰頭、灰頭土面は即ち是れ垂手辺の事。有る時は灰頭土面即ち万仞峰頭に在り、有る時は万仞峰頭即ち是れ灰頭土面。其の実、鄽に入り手を垂るると、孤峰に独立すると一般なり。帰源了性と差別智と異なること無し。切に忌む両橛の会を作すことを。所以に道ふ、「垂手還つて万仞の崖に同じ」。直に是れ汝が湊泊する処無し。「正偏何ぞ必ずしも安排に在らん」。若し用ふる時に到らば、自然に此くの如し、安排に在らざるなり。此れは洞山の答処を頌す。後面に道ふ、「瑠璃の古殿明月を照らす、忍俊たる韓獹空しく階を上る」。此れは正に這の僧の言語を逐うて走るを頌す。洞下に此の石女・木馬・無底籃・夜明珠・死蛇等十八般有り、大綱只だ正位を明かす。月の瑠璃の古殿を照らして、円影有るに似たるが如し。洞山答へて道ふ、「何ぞ無寒暑の処に向かつて去らざる」。其の僧一に韓獹の塊を逐ふに似て、連忙として階を上り、其の月影を捉ふるに相似たり。又問ふ、「如何なるか是れ無寒暑の処」。山云く、「寒時は闍黎を寒殺し、熱時は闍黎を熱殺す」。韓獹の塊を逐うて走つて階上に到り、又却つて月影を見ざるが如し。韓獹は乃ち戦国策に出づ。云く、「韓氏の獹は駿狗なり、中山の兔は狡兔なり」。是れ其の獹にして方に能く其の兔を尋ぬ。雪竇引いて以て這の僧に喩ふるなり。只だ諸人の如きは、還つて洞山の為人の処を識るや。良久して云く、「甚の兔子をか討ねん」。
-
『碧巌録』第二十五則這般の事、若し是れ通方の作者ならば、古人の実処に到って、自然に力を費やさず。他人の他底を搆へ得る無きを見て、復た自ら徴して云く、「畢竟如何」。又奈何ともし得ず。自ら云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。這箇の意又作麼生。且く道へ、什麼の処を指して地頭と為す。妨げず句中に眼有り、言外に意有ることを。自ら起き自ら倒れ、自ら放ち自ら収む。豈に見ずや、厳陽尊者、路に一僧に逢ひ、拄杖を拈起して云く、「是れ什麼ぞ」。僧云く、「識らず」。厳云く、「一条の拄杖も也た識らず」。厳復た拄杖を以て地上に劄すること一下して云く、「還た識るや」。僧云く、「識らず」。厳云く、「土窟子も也た識らず」。厳復た拄杖を以て担って云く、「会すや」。僧云く、「会せず」。厳云く、「楖栗横に担って人を顧みず、直に千峰万峰に入り去る」。古人這裏に到って、什麼と為てか住まることを肯ぜざる。雪竇頌有り、云く、「誰か機に当たって挙して賺かざる、亦還た希なり。峭峻を摧残し、玄微を銷鑠す。重関曾て巨いに闢く、作者未だ同じく帰せず。玉兎乍ち円かに乍ち欠け、金烏飛ぶに似て飛ばず。盧老知らず何れの処にか去る、白雲流水共に依依たり」。什麼に因ってか山僧道ふ、「脳後に腮を見ば、与に往来すること莫れ」と。纔かに計較を作さば、便ち是れ黒山鬼窟裏に活計を作す。若し見得して徹し、信得して及ばば、千人万人も自然に羅籠すれども住まらず、奈何ともし得ず。動著し拶著すれば、自然に殺有り活有り。雪竇他の意を会して「直に千峰万峰に入り去る」と道ふ、方に始めて頌を成す。落処を知らんと要せば、看取せよ雪竇の頌に云く。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る