碧巌録 / 第七十則
溈山五峯雲巖。同侍立百丈。百丈問溈山。併却咽喉唇吻。作麼生道。山云。却請和尚道。丈云。我不辭向汝道。恐已後喪我兒孫。百丈雖然如此。鍋子已被別人奪去了也。丈復問五峯。峯云。和尚也須併却。丈云。無人處斫額望汝。又問雲巖。巖云。和尚有也未。丈云。喪我兒孫。三人各是一家。古人道。平地上死人無數。過得荊棘林者。是好手。所以宗師家。以荊棘林驗人。何故若於常情句下。驗人不得。衲僧家須是句裏呈機。言中辨的。若是擔板漢。多向句中死却。便道。併却咽喉唇吻。更無下口處。若是變通底人。有逆水之波。只向問頭上有一條路。不傷鋒犯手。溈山云。却請和尚道。且道他意作麼生。向箇裏如擊石火似閃電光相似。拶他問處便答。自有出身之路。不費纖毫氣力。所以道。他參活句。不參死句。百丈却不采他。只云。不辭向汝道。恐已後喪我兒孫。大凡宗師為人。抽釘拔楔。若是如今人便道。此答不肯他不領話。殊不知。箇裏一路生機處。壁立千仞。賓主互換。活鱍鱍地。雪竇愛他此語風措。宛轉自在。又能把定封疆。所以頌云。
新字:溈山五峯雲巖。同侍立百丈。百丈問溈山。併却咽喉唇吻。作麼生道。山云。却請和尚道。丈云。我不辞向汝道。恐已後喪我児孫。百丈雖然如此。鍋子已被別人奪去了也。丈復問五峯。峯云。和尚也須併却。丈云。無人処斫額望汝。又問雲巖。巖云。和尚有也未。丈云。喪我児孫。三人各是一家。古人道。平地上死人無数。過得荊棘林者。是好手。所以宗師家。以荊棘林験人。何故若於常情句下。験人不得。衲僧家須是句裏呈機。言中弁的。若是担板漢。多向句中死却。便道。併却咽喉唇吻。更無下口処。若是変通底人。有逆水之波。只向問頭上有一条路。不傷鋒犯手。溈山云。却請和尚道。且道他意作麼生。向箇裏如撃石火似閃電光相似。拶他問処便答。自有出身之路。不費繊毫気力。所以道。他参活句。不参死句。百丈却不采他。只云。不辞向汝道。恐已後喪我児孫。大凡宗師為人。抽釘抜楔。若是如今人便道。此答不肯他不領話。殊不知。箇裏一路生機処。壁立千仞。賓主互換。活鱍鱍地。雪竇愛他此語風措。宛転自在。又能把定封疆。所以頌云。
書き下し
溈山・五峰・雲巌、同じく百丈に侍立す。百丈、溈山に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。山云く、「却つて請ふ和尚道へ」。丈云く、「我汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」。百丈此の如くなりと雖然も、鍋子已に別人に奪ひ去られ了れり。丈復た五峰に問ふ。峰云く、「和尚も也た須らく併却すべし」。丈云く、「無人の処に額を斫りて汝を望まん」。又雲巌に問ふ。巌云く、「和尚有りや未だしや」。丈云く、「我が児孫を喪はん」。三人各おの是れ一家なり。古人道ふ、「平地上に死人無数、荊棘林を過ぎ得る者是れ好手」と。所以に宗師家は荊棘林を以て人を験す。何が故ぞ。若し常情の句下に於いてせば、人を験し得ず。衲僧家は須らく是れ句裏に機を呈し、言中に的を辨ずべし。若し是れ担板漢ならば、多く句中に向かつて死却して、便ち道ふ、「咽喉唇吻を併却すれば、更に下口の処無し」と。若し是れ変通底の人ならば、逆水の波有り、只だ問頭上に向かつて一条の路有りて、鋒を傷つけず手を犯さず。溈山云く、「却つて請ふ和尚道へ」と。且く道へ他の意作麼生。箇裏に向かつて石火を撃つが如く閃電光に似たるが如く相似て、他の問処を拶して便ち答ふ。自ら出身の路有りて、纖毫の気力をも費やさず。所以に道ふ、「他は活句に参じて死句に参ぜず」と。百丈却つて他を采らず、只だ云く、「汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」と。大凡そ宗師の為人は、釘を抽き楔を抜く。若し是れ如今の人ならば便ち道はん、「此の答は他を肯はず、他は話を領せず」と。殊に知らず、箇裏一路の生機の処、壁立千仞、賓主互換して、活鱍鱍地なることを。雪竇は他の此の語の風措、宛転自在にして、又能く封疆を把定することを愛す。所以に頌して云く、
現代語訳
溈山・五峰・雲巌がそろって百丈のそばに侍立していた。百丈が溈山に問うた。「喉も唇も塞いでしまって、どう言うか」。溈山「かえって和尚にお言いいただきたい」。百丈「お前に言ってやるのを拒みはしないが、後々わが子孫を失うことになるのが心配だ」。百丈はこう言ったけれども、鍋はすでに他人に奪い去られてしまっている。百丈はまた五峰に問うた。五峰「和尚もまた塞いでしまわねばなりません」。百丈「人のいないところで、額に手をかざしてお前を望み見よう」。また雲巌に問うた。雲巌「和尚には、言うべきものがありますか、まだありませんか」。百丈「わが子孫を失うぞ」。三人はそれぞれ一家をなしている。古人は言う、「平地の上に死人は数知れない。いばらの林を通り抜けられる者こそ腕利きだ」と。だから宗師は、いばらの林で人を試す。なぜか。ありきたりの句のもとでは、人を試すことができないからである。禅僧は句の中で機を示し、言葉の中で的を見分けねばならない。もし板を担いで片側しか見えない男なら、多くは句の中で死んでしまって、「喉も唇も塞いでしまえば、もう口を開くところがない」と言う。もし変通のきく人なら、流れに逆らう波があり、ただ問いそのものの上に一本の道があって、切っ先を傷つけず手を傷つけない。溈山は「かえって和尚にお言いいただきたい」と言った。さて言ってみよ、彼の意はどうか。ここでは火打石の火花のよう、稲妻の光のように、相手の問いのところを押し返してすぐ答えている。自ずから抜け出る道があり、少しの力も使っていない。だから「彼は活きた句に参じて、死んだ句に参じない」と言う。百丈はかえって彼を相手にせず、ただ「お前に言ってやるのを拒みはしないが、後々わが子孫を失うことになるのが心配だ」と言った。およそ宗師の人の導き方は、釘を抜き楔を抜くものである。今の人なら「この答えは溈山を認めていない、溈山は話がわかっていない」と言うだろう。まったく知らないのだ、ここに一筋の生きた機があり、千仞の壁が切り立ち、主客が入れ替わって、生き生きとしていることを。雪竇は、彼のこの言葉のたたずまいが、しなやかで自在であり、しかも自分の領分をしっかり守っていることを愛した。だから頌して言う。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『碧巌録』第七十則挙す。溈山・五峰・雲巌、同じく百丈に侍立す。百丈、溈山に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。溈山云く、「却つて請ふ和尚道へ」。丈云く、「我汝に向かつて道ふことを辞せず、恐らくは已後我が児孫を喪はん」。
-
『碧巌録』第七十一則溈山は封疆を把定し、五峰は衆流を截断す。這些子、要ず是れ箇の漢、当面に提掇すべし。馬前の相撲の如く、擬議を容れず、直下に便ち用ふ。緊迅危峭にして、溈山の盤礴滔滔地に似ず。如今の禅和子、只だ架下に向かつて行き、他に一頭地を出づること能はず。所以に道ふ、「親切を得んと欲せば、問を将ち来たつて問ふこと莫れ」と。五峰の答ふる処、当頭に坐断して、妨げず快俊なることを。百丈云く、「無人の処に斫額して汝を望まん」と。且く道へ、是れ他を肯ふか、是れ他を肯はざるか。是れ殺か、是れ活か。他の阿轆轆地なるを見て、只だ他に一点を与ふ。雪竇頌して云く、
-
『碧巌録』第七十則却つて請ふ和尚道へ、虎頭角を生じて荒草を出づ。十洲春尽きて花凋残す、珊瑚樹林日杲杲たり。此の三人の答処、各各同じからず。也た壁立千仞なる有り、也た照用同時なる有り、也た自救不了なる有り。「却つて請ふ和尚道へ」、雪竇便ち此の一句の中に向かつて機を呈し了れり。更に中に就いて軽軽に拶して、人をして見易からしめて云く、「虎頭角を生じて荒草を出づ」と。溈山の答処、一に猛虎の頭上に角を安くに似たり。什麼の近傍の処か有らん。見ずや、僧、羅山に問ふ、「同生不同死の時如何」。山云く、「牛の角無きが如し」。僧云く、「同生亦同死の時如何」。山云く、「虎の角を戴くが如し」と。雪竇只だ一句に頌し了れり。他は転変の余才有りて、更に云く、「十洲春尽きて花凋残す」と。海上に三山十洲有り、百年を以て一春と為す。雪竇の語は風措を帯び、宛転盤礴たり。春尽くるの際、百千万株の花一時に凋残し、独り珊瑚樹林有りて凋落することを解せず、大陽と相奪ひて、其の光交映す。正当恁麼の時、妨げず奇特なることを。雪竇此れを用ゐて、他の「却つて請ふ和尚道へ」を明かす。
-
『碧巌録』第七十二則挙す。百丈、又た雲巌に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。巌云く、「和尚、有りや未だしや」。丈云く、「我が児孫を喪せり」。
-
『碧巌録』第七十一則挙す。百丈、復た五峰に問ふ、「咽喉唇吻を併却して、作麼生か道はん」。峰云く、「和尚も也た須らく併却すべし」。丈云く、「無人の処に斫額して汝を望まん」。
-
『碧巌録』第四則這の漢這般の手段有りて、死中に活を得たり。雪竇引いて頌中に在き、用て徳山の再び入つて相見し、依旧として他に跳び得て出で去らるるに比す。看よ他の古人、見到り、説到り、行到り、用到る。妨げず英霊なることを。人を殺して眼を眨せざる底の手脚有つて、方に立地に成仏すべし。立地に成仏する底の人有れば、自然に人を殺して眼を眨せず。方に自由自在の分有り。如今の人有る底は、問著すれば頭上一に衲僧の気概に似たり。軽軽に拶著すれば、便ち腰段を做し、股截を做し、七支八離して、渾て些子の相続する処無し。所以に古人道ふ、「相続も也た大いに難し」と。看よ他の徳山溈山此の如くなる、豈に是れ滅滅挈挈底の見解ならんや。「再び完全を得るは能く幾箇ぞ」。「急に走過す」。徳山喝して便ち出で去る、一に李広の捉へられて後に計を設け、一箭に一箇の番将を射殺して、虜庭を出づることを得たるに似て相似たり。雪竇頌して此に到る、大いに工夫有り。徳山法堂を背却し、草鞋を著けて出で去る、便宜を得たりと道ふ。殊に知らず、這の老漢、依旧として他を放して頭を出さしめざること在ることを。雪竇道ふ、「放過せず」。溈山晩間に至つて首座に問ふ、「適来の新到什麼の処にか在る」。首座云く、「当時法堂を背却し、草鞋を著けて出で去れり」。溈山云く、「此の子他日、孤峰頂上に向つて、草庵を盤結して、仏を呵し祖を罵り去ること在らん」。幾曾か是れ放過し来る。妨げず奇特なることを。這裏に到つて、雪竇什麼と為てか道ふ、「孤峰頂上草裏に坐す」。又一喝を下す。且く道へ、什麼の処にか落在す。更に参ぜよ三十年。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る