碧巌録 / 第十一則
丈云。子已後莫承嗣馬大師麼。檗云。不然。今日因師舉。得見馬大師大機大用。若承嗣馬師。他日已後喪我兒孫。丈云。如是如是。見與師齊。減師半德。智過於師。方堪傳授。子今見處宛有超師之作。諸人且道。黃檗恁麼問。是知而故問耶。是不知而問耶。須是親見他家父子行履處始得。黃檗一日又問百丈。從上宗乘。如何指示。百丈良久。檗云。不可教後人斷絕去。百丈云。將謂汝是箇人。遂乃起入方丈。
新字:丈云。子已後莫承嗣馬大師麼。檗云。不然。今日因師舉。得見馬大師大機大用。若承嗣馬師。他日已後喪我児孫。丈云。如是如是。見与師斉。減師半徳。智過於師。方堪伝授。子今見処宛有超師之作。諸人且道。黄檗恁麼問。是知而故問耶。是不知而問耶。須是親見他家父子行履処始得。黄檗一日又問百丈。従上宗乗。如何指示。百丈良久。檗云。不可教後人断絶去。百丈云。将謂汝是箇人。遂乃起入方丈。
書き下し
丈云く、子已後馬大師に承嗣すること莫きや。檗云く、然らず。今日師の挙するに因りて、馬大師の大機大用を見ることを得たり。若し馬師に承嗣せば、他日已後我が児孫を喪せん。丈云く、如是如是。見、師と斉しきは、師の半徳を減ず。智、師に過ぎて、方に伝授するに堪へたり。子今の見処、宛も超師の作有り。諸人且く道へ、黄檗恁麼に問ふは、是れ知りて故らに問ふか、是れ知らずして問ふか。須らく是れ親しく他の家の父子の行履の処を見て始めて得べし。黄檗一日又百丈に問ふ、従上の宗乗、如何が指示せん。百丈良久す。檗云く、後人をして断絶せしめ去るべからず。百丈云く、将に謂へり、汝は是れ箇の人なりと。遂乃ち起ちて方丈に入る。
現代語訳
百丈は言った。「お前はこれから先、馬大師の法を継ぐのではないか」。黄檗は言った。「そうではありません。今日、師が挙げてくださったおかげで、馬大師の大いなる働きを見ることができました。もし馬大師の法を継いだら、後々わたしの子孫を絶やすことになりましょう」。百丈は言った。「そのとおり、そのとおり。見識が師と同じであれば、師の徳を半分に減らしてしまう。智慧が師を超えてこそ、法を伝えるに足るのだ。お前の今の見どころは、まさに師を超える働きがある」。皆の者、言ってみよ、黄檗がこう問うたのは、知っていてわざと問うたのか、知らずに問うたのか。親しくこの師弟の行いの跡を見て、はじめてわかるのである。黄檗はある日また百丈に問うた。「昔からの宗旨を、どのように示されますか」。百丈は黙ってしばらくいた。黄檗は「後の人に絶やさせてはなりません」と言った。百丈は「お前はひとかどの人物だと思っていたのに」と言うと、立ち上がって方丈に入ってしまった。
解説
この章句が説くこと
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『墨子』耕柱公孟子曰く、「君子は作らず、術ぶるのみ」と。子墨子曰く、「然らず。人の其れ君子ならざる者は、古の善き者は誅がず、今や善き者は作らず。其の次に君子ならざる者は、古の善き者は遂げず、已に善有れば則ち之を作り、善の己より出でんことを欲す。今、誅ぎて作らざるは、是れ遂ぐるを好まずして作る者に異なる所無きなり。吾れ以為えらく、古の善き者は則ち之を誅ぎ、今の善き者は則ち之を作り、善の益ます多からんことを欲すと」と。
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『武士道』第十六章 武士道の命脈・七百年に蓄積したる動量其メーソニック・サイン明亮なることは、個々の間、暗号を有せずしてなお能く直ちに感通するを得るに足るものあり、となす。武士道の我国民、特に士林に印象したる性格は、之を以て種属の具有する不変の要素を形成するものなりと称するを得ずと雖、なお之れが活力を保有せることは、復た疑を容れず。武士道もしただ物理力に過ぎずとすとも、なお既往七百年の間に蓄積したる動量は、俄然停止するを得べきに非ず。武士道はただ遺伝によりてのみ継承したりとすとも、其感化の範囲はすこぶる広大ならずんばあらず。試みに思へ、仏国経済学者ケソン氏が、仮に一世紀を人間三代と定めて打算せば、『吾人は各自其血管中に、紀元一千年に生存したる、少くも二千万人の血液を伝ふるものなり』と云へるを。
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『驢鞍橋』卷下因に云ふ、大形昔より師一人にして、二代になれば、早や衰ふと見えたり。然ればこそ、仏弟子より此の位有る也。仏経には勇猛精進と多く説き給ふに、その後誰れでも沙汰したる人を聞かす、若し沙汰せば、先つ迦葉のめされんすか早や替りたると見えたり。総而昔も今の如く、善き者出でにくかるべし。替り有るべからず。皆知らずして仏の御出世なる間、誰れをも彼れをも善からんずと計思はるゝ也。時に僧問ふ、普化は仏境界の人と承る、何ぞ度人なきや。師曰く、中中さつさつとしたる活境界にて、度人も何も有る様の機に非ず、是れはよく我知ると也。
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