碧巌録 / 第十則
如人騎虎頭。須是手中有刀。兼有轉變始得。雪竇道。若恁麼。二俱成瞎漢。雪竇似倚天長劍。凜凜全威。若會得雪竇意。自然千處萬處一時會。便見他雪竇後面頌。只是下注脚。又道誰瞎漢。且道是賓家瞎。是主家瞎。莫是賓主一時瞎麼。拈來天下與人看。此是活處。雪竇一時頌了也。為什麼却道。拈來天下與人看。且道作麼生看。開眼也著。合眼也著。還有人免得麼。
新字:如人騎虎頭。須是手中有刀。兼有転変始得。雪竇道。若恁麼。二倶成瞎漢。雪竇似倚天長剣。凜凜全威。若会得雪竇意。自然千処万処一時会。便見他雪竇後面頌。只是下注脚。又道誰瞎漢。且道是賓家瞎。是主家瞎。莫是賓主一時瞎麼。拈来天下与人看。此是活処。雪竇一時頌了也。為什麼却道。拈来天下与人看。且道作麼生看。開眼也著。合眼也著。還有人免得麼。
書き下し
人の虎頭に騎るが如きは、須らく是れ手中に刀有り、兼ねて転変有つて始めて得べし。雪竇道ふ、「若し恁麼ならば、二り倶に瞎漢と成る」。雪竇は天に倚る長剣に似て、凜凜として全威あり。若し雪竇の意を会得せば、自然に千処万処一時に会せん。便ち見ん、他の雪竇の後面の頌は、只だ是れ注脚を下すのみなることを。又道ふ、「誰か瞎漢」。且く道へ、是れ賓家瞎か、是れ主家瞎か、是れ賓主一時に瞎なること莫しや。「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」、此れは是れ活処なり。雪竇一時に頌し了れり。什麼としてか却つて道ふ、「拈じ来つて天下に人の与に看せしむ」と。且く道へ、作麼生か看ん。眼を開くも也た著し、眼を合するも也た著す。還つて人の免れ得る有りや。
現代語訳
人が虎の頭にまたがるには、手に刀を持ち、そのうえ転変の才がなければならない。雪竇は言う、「もしそうなら、二人とも盲になる」。雪竇は天に寄りかかる長剣のようで、凛として威光に満ちている。もし雪竇の意を会得すれば、自然に千のところ万のところが一度にわかるだろう。そうすれば、雪竇の後の句はただ注釈をつけているだけだとわかるはずだ。また「誰が盲か」と言う。さあ言ってみよ、賓が盲なのか、主が盲なのか、それとも賓主ともに盲なのか。「取り上げて天下の人に見せてやろう」、これが活きたところである。雪竇は一度に頌し終えている。それなのに、なぜ「取り上げて天下の人に見せてやろう」と言うのか。さあ言ってみよ、どう見るのか。眼を開いても引っかかり、眼を閉じても引っかかる。それを免れる人がいるだろうか。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『碧巌録』第十則両喝と三喝と、作者機変を知る。若し虎頭に騎ると謂はば、二り倶に瞎漢と成る。誰か瞎漢。拈じ来つて天下に人の与に看せしむ。
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『碧巌録』第十則所以に雪竇頌して道ふ、「作者機変を知る」。這の僧睦州に収められたりと雖も、他却つて機変を識る処有り。且く道へ、什麼の処か是れ這の僧の機変を識る処。鹿門の智禅師、這の僧を点じて云く、「法を識る者は懼る」。巌頭道ふ、「若し戦を論ぜば、箇箇転処に立在す」。黄龍の心和尚道ふ、「窮すれば則ち変じ、変ずれば則ち通ず」。這箇些子は、是れ祖師の天下の人の舌頭を坐断する処なり。爾若し機変を識らば、挙著すれば便ち落処を知らん。有る般の漢云く、「他の三喝四喝と道ふを管して什麼か作ん。只管に喝し将ち去れ。什麼の三十二十喝をか説かん、喝して弥勒仏の下生に到らん」と。之を虎頭に騎ると謂ふ。若し恁麼の知見ならば、睦州を識らざることは則ち故より是なり、這の僧を見んと要するも太だ遠きこと在り。
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『碧巌録』第五十四則雪竇、此の話を頌し得て極めて会し易し。大意は只だ雲門の機鋒を頌す。所以に道ふ、「虎頭虎尾一時に収む」と。古人云く、「虎頭に拠り虎尾を収む、第一句下に宗旨を明らむ」と。雪竇只だ欵に拠つて案を結す。雲門の会く虎頭に拠り、又た能く虎尾を収むることを愛す。僧両手を展べ、門便ち打つは、是れ虎頭に拠るなり。雲門両手を展べ、僧無語、門又た打つは、是れ虎尾を収むるなり。頭尾斉しく収め、眼は流星に似て、自然に石火を撃つが如く、閃電光に似たり。直に得たり凜凜たる威風四百州。直に尽大地の世界をして風颯颯地たらしむ。「却つて問ふ、知らず何ぞ太だ嶮なる」。妨げず嶮しき処有ることを。雪竇云く、「一著を放過す」。且く道へ、如今放過せざる時又た作麼生。尽大地の人、総に須らく棒を喫すべし。如今の禅和子、総に道ふ、「他の手を展ぶる時を等つて、也た他に本分の草料を還す」と。似たることは則ち也た似たるも、是なることは則ち未だ是ならず。雲門は只だ恁麼に爾をして休せしむべからず。也た須らく別に事在るべし。
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『碧巌録』第十則雪竇妨げず人の為にする処有ることを。若し是れ作者にあらずんば、只だ是れ胡喝乱喝せん。所以に古人道ふ、「有る時は一喝、一喝の用を作さず。有る時は一喝、却つて一喝の用を作す。有る時は一喝、踞地の獅子の如く、有る時は一喝、金剛王宝剣の如し」。興化道ふ、「我見る、爾諸人、東廊下にも也た喝し、西廊下にも也た喝す。且く胡喝乱喝すること莫れ。直饒ひ興化を喝得して、三十三天に上らしめ、却つて撲ち下し来つて、気息一点も也た無からしむるも、我が甦醒し起き来るを待つて、汝に向つて未在と道はん。何が故ぞ。興化未だ曾て紫羅帳裏に向つて真珠を撤して、爾諸人に与へざること在り。只管に胡喝乱喝して什麼をか作す」。臨済道ふ、「我聞く、汝等総て我が喝を学ぶと。我且く爾に問ふ、東堂に僧有つて出で、西堂に僧有つて出で、両箇斉しく喝を下す。那箇か是れ賓、那箇か是れ主。爾若し賓主を分ち得ずんば、已後老僧を学ぶことを得ざれ」。
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『碧巌録』第五十一則徳山、斎晩し、老子自ら鉢を捧げて法堂に下り去る。巌頭道ふ、「大小の徳山、未だ末後の句を会せざること在り」。雪竇拈じて云く、「曽て聞く、箇の独眼竜を説くと。元来只だ一隻眼を具するのみ。殊に知らず、徳山は是れ箇の無歯の大虫なることを。若し是れ巌頭の識破するにあらずんば、争でか昨日と今日と同じからざることを知り得ん」。諸人、末後の句を会せんと要すや。只だ老胡の知るを許して、老胡の会するを許さず。古より今に及ぶまで、公案万別千差、荊棘の林の如くに相似たり。爾若し透得し去らば、天下の人も奈何ともせず、三世の諸仏も下風に立在せん。爾若し透不得ならば、巌頭道ふ、「雪峰は我と同条に生ずと雖も、我と同条に死せず」と。只だ這の一句、自然に出身の処有り。雪竇頌して云く。
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